3月10日

2010年03月11日

ダラムサラの3月10日

10.3.2010 チベット蜂起記念日1中国の侵略以後、抵抗運動の犠牲となった人々へ、慰霊の黙祷を捧げる法王。

今日もこれでもかと言うほど法王の写真を載せる。


昨日3月10日、ダラムサラで行なわれた「チベット民族平和蜂起51周年記念日」については、概要、日本の各メディアも当日すでに記事やら映像を送られたので、みなさんもご覧になったことでしょう。

日本メディアとしては、今年はN局とT局、K通信社にM新聞のみ。
全体でも去年この日に集まった世界中のメディアの数が約150だったのに比べ、今年はその半分以下だった。


10.3.2010 チベット蜂起記念日2今年もこんな田舎まで来てくださったメディアには感謝します。

N局は今回は短いニュース番組のみでしたが、バンコクからわざわざ来られたT局は時間もかけ、様々なインタビューも撮っておられる。きっとよい「チベット番組」ができることでしょう。

共同さんには、いつもチベットに対し特別の関心も持って頂いてると感じる。


10.3.2010 チベット蜂起記念日3式は黙祷、国家斉唱、「真実の祈り」斉唱の後、首相、議会議長のスピーチに続きダライ・ラマ法王が今年の「3月10日声明文」を読み上げられた。

この法王の声明とカシャックの声明は東京事務所が翻訳されたものが以下に載っている。
http://www.tibethouse.jp/home.html

その中で法王はチベット内の尼僧院の状況について「現在、中国指導部はチベット本土の多くの僧院において愛国再教育キャンペーンなどさまざまな政治キャンペーンを行なっています。中国指導部は、僧侶や尼僧から仏教を学び実践する機会を奪い取り、牢獄にいるような生活を強いています。そのような状況から、僧院は博物館のようになっています。チベット仏教を滅すべく意図的に行なわれていることなのです。」と、「牢獄」「博物館」という比喩を使い表現されている。

10.3.2010 チベット蜂起記念日9今回「東トルキスタン」という言葉を使ってウイグルの人々との連帯を表明したのは目立った部分だった。

このところを事務所訳は「苦難の末に弾圧が増した東トルキスタンの人々のこと、自由の拡大を求めて立ち上がり、懲役の実刑判決を受けた中国人有識者たちのことを思い起こしてください。私は、彼らと共に断固たる決意で立ち向かうことを表明したいと思います。」となっている。
最後の部分はちょっと誤解されかねない訳になってると感じた。
英語の原文は「I would like to express my solidarity and stand firmly with them.」
で、「stand with」を「立ち向かう」と訳したのであろうが、ここの「stand with 」
は「寄り添う。仲間となる」ぐらいの意味と思う。

この部分チベット語の原文は「ドゥンセム・ニャムケ」で、この意味は単に「苦しみを共有する/同情する」だ。この言葉に「断固たる決意で(中国に)立ち向かう」という意味は全くない。



で、最後は「真理が勝利する日が必ずやってくる。だから、今は忍を行じ、決して諦めるな!」
と結ばれた。

10.3.2010 チベット蜂起記念日5バルデン・ギャツォさん


昨日の式典では「日本、フランス、ドイツ、オランダ、中国,、、等々からの使節も参加されている」と首相、議長、法王ともにスピーチで言及された。

確かに壇上には日本の僧衣を召した人びとが10人ほどいた。

数日前、某新聞社に電話で「牧野議員が10日の式典に出席するという情報があるが、ほんとか?」と聞かれた。私は「聞いてません。そうならいいですね、、、」と答えた。
それでも、ひょっとしてこの日牧野議員が日本から現れるかも知れないと期待したが、残念ながら来られなかったようだ。

この使節団体のことは後ほど少し明らかになった。

10.3.2010 チベット蜂起記念日8この日の使節団の中で、特に目立っていたのは「中国民主化活動家」の団体だった。20人以上いた。アメリカ在住者が中心で、その多くは天安門事件に関わり投獄された経験のある人たちだという。

法王は声明文を読み上げた後、特にこの使節団を褒めたたえられた。



10.3.2010 チベット蜂起記念日7首相のサムドゥン・リンポチェ


式の後、いよいよこれからデモが始まるという時、近くに来た元外務大臣、現デリー代表、ジェツン・ペマ女史の旦那さんでもあるテンパ・ツェリン氏が、私の手を握って、パレスの方にひきつれて行こうとする。途中警備員に止められるが、強引に彼は私をパレスの中に連れていく。
「何事ですか?」と聞くと「今から法王の通訳をするんだ」
「はあ、突然それはないでしょう、、、怖いし、嫌ですよ、マリア(様)はいないのですか? 
私はこれからデモなんですがね」
「いない、お前がやれ」
と否応なしの雰囲気。

しかし、最後の関門であるインドの警備室は私がパスポートを持っていないというので、中に入れないという。
私も内心、「その通りだ。入れないのだ」とインド側の言い分が通ることを願ったが、テンパ氏も強引で、最後はこれも「後から持ってくる」ことにして突破した。

10.3.2010 チベット蜂起記念日10さて、その通訳すべき日本人グループというのは日本からの使節として会場で紹介されていた、僧侶たちだった。
10人ほどのそのグループは年配の高僧風な方々を中心に背広姿のアメリカ人、インド人などにより構成されていた。
どのような方々だったのか、正直今もよくわからない。
ただ、名刺によれば多くのメンバーは「世界連邦日本仏教徒協議会」という団体の方々だったようだ。

私一人がジーパンにジャージ姿で通訳とはいえ、パレス内では異様に見え、恥ずかしくて小さくなっていた。





10.3.2010 チベット蜂起記念日11以下、会談中の法王のお話の幾つかを紹介する。
(メモを取りながらではなかったので、内容は参考程度)

法王は初めに「かつて多くのチベット人が苦しみを味わった、今日という特別の日に、このダラムサラまでお越しいただいたことに深く感謝する」と挨拶された。

その後「日本とチベットは古より交流がある。先代13世のころから関係がある。
第二次大戦のころにも関係はあった。」
とかつてのチベット・日本関係についてひとしきり話された。






10.3.2010 チベット蜂起記念日12そして「日本社会は今、経済的な打撃を受け、少々暗く、自信を失っているかもしれない。それに比べ中国は益々発展してきている、とか考えるかも知れない。
でもそれは物質的、経済的発展のみを発展の基準にすればの話だ。
たとえばインドは中国に比べらればまだ経済的には進んでいないかもしれない、しかし、インドにはそれ以外の大事な価値が生きている。
民主主義と人権がある。
言論の自由がある。これらは誇るべき大事な価値だ。
この点から見ればインドは中国より余程先に進んでいる。

日本には発展した民主主義があり、言論の自由がある。このことを忘れないで大事にすべきだ。
G8とかG20とか言って、主要各国が集まるが、いつも議題は経済的なことばかりだ。
人権のことなど他の大事なこともあるだろうに。」
と続けられた。

ここで私は、きっと法王は私と同じで、この日本からの団体さんがどのような人たちなのかについてはほとんどご存じないに違いない、と思った。
次のようなことも話された。
「オバマ氏は核廃絶に向けて努力している。唯一の被爆国である日本は積極的にオバマ氏のこの政策を支持すべきだ」

10.3.2010 チベット蜂起記念日13で、だいぶ長く法王の日本人用メッセージが続いた後、やっとこのグループの代表者と思しき年配の方が「私たちは現在の国連を不公平な組織と認識し、新しく世界連邦という組織を作ろうと努力している、、、、、」と始められた。

私は「はあ、!、、、、訳すのかな?、」とその説明を聞きながら思ってた。

法王は私の簡単にした説明を聞くと、「そうか、私も今の国連がいいとは思っていない。国連には各国政府の代表が集まるが、中にはその政府が人民を代表していないという国もある。政府の代表はただその政府の利害のためだけに動く。本当にはその国の人民のためにならないことも多い。
だから、各国の普通の人々を代表する者たちを集めた会議を開くといいと思う」と返された。

その後は終わりのあいさつとなり、すぐに写真会が始まった。

聞けば、この方々は別にこの特別の日に来ることは意図してなかったとのこと。
つまり日本からの政治的使節団なんかじゃないことは解りました。
東京の事務所とも関係がないそうです。

でも、この団体さんたちは壇上で目立ったし、集会の間、首相、議長、法王からともに「日本からのデレゲーション・使節」として紹介されたので、チベット人に対してはアピール度抜群でした。

10.3.2010 チベット蜂起記念日14私としては、本当に久しぶりに特別の日に、法王のそばに座ることができ、法王は何度か手も握ってくださり、「トポ・ニンバ/古い友人」と話しかけて下さる、という実に楽しい時間が過ごせたので、終わった後は弾んでパレスを後にしました。

おしかったことはカメラを置いて入ったので、絶好の法王接写のチャンスを逃してしまったことだ。

法王は午後から最近新しく亡命してきたチベット人たちに謁見した。

この後も、デモなど見る暇もなく速攻で記事と映像を送るN局のお手伝いをしている間にデモには完全に遅れてしまった。
「今回のデモでは最後にどうしても見たい(撮りたい)特別なシーンがあるから」最後の集会にだけは参加したかった。
例の刑期6年を受けたドゥンドゥップ・ワンチェン氏の妻ラモ・ツォさんが最後にスピーチすることになっていたのだ。
これは実は、特別に日本のI撮影隊の発案・要請により実現されるはこびになったものだった。

ーーー

以下私が参加できなかった、3月10日のダラムサラのデモの写真を盟友の野田雅也氏のアルバムよりお借りして掲載する。
10.3.2010 チベット蜂起記念日16転載するときにはくれぐれもコピーライトは野田くんにあることを明記されるように。
なにせ、私と違って彼はプロだから、ただで使わせてもらえるということは普通ないのだよ。
彼の写真を見ると、やっぱ、全然違うねプロは、、、といつも思うよ。
特にデモを撮らしたら彼に勝てる者はインドにはいないね。


10.3.2010 チベット蜂起記念日17











10.3.2010 チベット蜂起記念日18











10.3.2010 チベット蜂起記念日19 ラモツォの涙この日デモの最後に行われた集会で絶叫スピーチをした、ラモ・ツォは最後に泣き崩れたという。


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2010年03月09日

チベットが独立国であった証拠の数々

ダライ・ラマ法王の大印璽、1909年チベット国会により贈られるダライ・ラマ法王の大印璽。1909年、チベット国会からダライ・ラマ法王に贈られた。

ーーー

明日はいよいよ「3月10日蜂起記念日」、というかこれを日本の方がご覧になるころはもう10日でしょう。
ダラムサラの3月10日レポートは次回ということにして、今回は「蜂起記念日」を前に、作家であり、独立派の理論的指導者の代表格であるジャミヤン・ノルブ氏が発表したエッセイを紹介したい、、、が今全文翻訳する時間がとりあえずないので、これはどなたかに期待するとして、文中に使われている証拠写真のいくつかだけ以下紹介させてもらいます。

是非皆さんには全部読んでいただきたい。

チベット国旗を掲げ中国との戦いに向かうチベット軍チベット国旗を掲げ中国との戦いに向かうチベット軍


「INDEPENDENT TIBET – THE FACTS : BY JAMYANG NORBU」

http://phayul.com/news/article.aspx?id=26803&article=INDEPENDENT+TIBET+%e2%80%93+THE+FACTS+%3a+BY+JAMYANG+NORBU

(最初の一節のみ訳します)

<チベットは国家として機能していた>
中国による侵略以前、チベットは独立国家として完全に機能していた。近隣の如何なる国に対しても脅威を与えることなく、自国の民を、長年外国や国際機関の援助なしに、負債なく、確実に養っていた。孤立した神政国家であり近代的民主国家ではなかったが、チベットは国内に法と秩序を維持し、他国と締結した条約や協定を注意深く遵守していた。
チベットは世界でも最も早く、野生動物と環境を保護するための法律を制定した国の一つである。
1642年(ダライラマ5世)の「山谷勅令the Rilung Tsatsik (ri klung rtsa tshig) generally translated as the Mountain Valley Edict.」は(1958年まで)再施行され続けてきた。

1829年の地図に描かれた「Great Tibet」1829年の地図に描かれた「Great Tibet」











チベット・コイン 1791〜チベット・コイン 1791〜





チベット紙幣チベット紙幣








1921年、第一回エベレスト登山隊にチベット政府が与えた許可証1921年、第一回エベレスト登山隊にチベット政府が与えた入山許可証








海外に行くチベット人に発行されたパスポート海外に行くチベット人に発行されたパスポート

















チベットの切手によりニュージャージーに送られた手紙チベットの切手によりニュージャージーに送られた手紙





1913年に締結された「モンゴル・チベット協定」1913年に締結された「モンゴル・チベット協定」






1949年11月2日、チベット外務省が毛沢東に宛てた手紙1949年11月2日、チベット外務省が毛沢東に宛てた手紙

手紙の中でチベットは宗教的国家であり、古代(earliest times)より独立を保っていると表明され、共産党指導者に対し、その士官たちに決してチベット国内に越境しないよう「厳重な命令を下す」ことを要請している。すでに中国の支配下に組み入れられた地域について、「チベット政府は中国の内戦が終結後、話し合いたい」とも書かれている。



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2009年08月21日

2008年3月10日、ラサでデモを先導したセラ僧院僧侶のその後

2008年3月10日ラサデモ昨年3月10日、デブン僧院の僧侶たちはラサに向かう途中で警官隊に阻止されたが、セラ僧院の僧侶14人はラサの中心ジョカン寺の前で中国政府に対する抗議の声を上げることに成功した。
この小さな炎がその後14日のラサ大蜂起を引き起こし、そしてその炎はカム、アムドへとチベット中に飛び火して広がって行ったのだった。

この日のデモに偶然参加し、そのすぐ後、ラサを離れ亡命することに成功したガワンという16歳の女の子に会って、話とその時の絵を描いてもらった話は以下の昨年のブログに報告しています。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-06.html?p=2#20080615

「絵は一度も描いたことがない」と言いながら、中々描きたがらなかったところを無理に描かせた絵です。
この中、赤い服(僧衣)を着た二人が抗議活動扇動中のセラ僧院の僧侶とのことです。
みんな顔が笑っているところが泣けます。

この子もNHKに取材してもらったのですが、絵が下手過ぎたのか、取り上げてもらえませんでした。

ところで、今日Voice of Tibet radio serviceがこのときデモをした14人の内3人のセラ僧院の僧侶たちの消息を伝えています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25377&article=Four+Tibetan+monks+sentenced+up+to+ten+years+in+prison

チベットの国旗を掲げ、チベット独立を叫んだ14人は全員その場で逮捕された。
そのうちザチュカ、セルシュル出身のロドゥの家族は今年4月に当局からロドゥが10年の刑期を受けたと言うことを知らされていたが、決してそのことを外部に知らせないようにと脅されていた。

7月14日、ロドゥの家族がラサのチュシュル刑務所に彼を訪ねた折、彼の僧院仲間のロプサン・ゴドゥップ29歳とマンゲ・スパ30歳がそれぞれ5年の刑を受けていることが判った。

しかし、このとき一緒に逮捕された他の僧侶たちの消息は依然不明のままだという。














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2009年03月19日

3月10日法王記者会見 その五

法王の3月10日の記者会見レポート最終回です。

法王は英語で話されました。
尚、これは私の試訳に過ぎません。


3月10日法王記者会見 20質問者:ファイナンシャル・タイムズのものだが、
現在のチベットの状況についてコメントしてもらいたい。
去年は7000人が逮捕されながらも、抵抗は続いた。
今年も去年と同じ程度の抵抗運動が起こると思われるか?
内部のチベット人に対するメッセージはあるか?


法王:最近、困難にも拘らずチベットの内部に入り現地からのレポートを発表している外国のレポーターがいる。
それによれば、状況は極めて厳しい。
これ以上言うことはない。

それから、もう一度皆さんにはお願いしたい。
チベットの中の人々に私のメッセージを伝えてほしい。

もちろん、(現在チベット人は)厳しい状況下に置かれ、絶望的な気持になっているであろうことはよく解る。
それでも、今は静かにして、行動を抑制するようにと言いたい。
地方政府はチベット人がもっと反抗し、暴れてくれることを待っているのだ。
そうなれば、もっと簡単に打ちのめすことができるからと。
何れにしてもいいことはない、今は静かに耐えることだ。

(この私のメッセージを)何らかの方法を使って内部チベットの人々に伝えてほしい。

次、
なにBBC?、、、いや、、、違うか?

3月10日法王記者会見 21質問者:スウェーデンの新聞社の者だが、法王は「早期にチベット問題が解決されるであろうと考える理由がある、、、」と言われたが、これはどういう意味なのか

法王:それについては、すでに答えた。もう答えた。
もう、一度説明したから、もう繰り返さない。
理由1,2,3,4と答えた。
もう答えた。

次、






3月10日法王記者会見 23質問者:フランスのテレビ局です。
あなたはステートメントの中で中国はチベットを「この世の地獄(hell on earth)にした」とおっしゃった。
この言葉は強いメッセージと感じられる。これについて更なるコメントを


法王:これはチベット人がよく使う表現だ。
ただ、バイブルが説くところの「地獄」とは異なる。
仏教の経典には違った「地獄」についての記述がある。
ハハハハ、、私はよく知らない、、、

質問者:どういうことか?

法王:(大きなジェスチャーと大きな声で)これほどの苦しみ、これほどの恐怖、これほどの怒り、これほどの憎しみ、生活を蝕む、、、

法王の興奮を抑えようとここで、リンポチェが言葉を挟む。

リンポチェ:地獄とは苦しみの極まった(Highest Level)状態のことだ。

法王:Yes.

(ここで、少し説明がいる。この3月10日午後一時ごろにはこのステートメントに書かれた「この世の(生き)地獄」という表現が、この後中国政府からの非難を思いっきり浴び、外国メディアもこの表現を好んで使うことになろうとは、法王自身この時点で予想されていなかったご様子でした)

3月10日法王記者会見 22質問者:フランスからだが、
法王の後継者としてリン・リンポチェとカルマパのどちらが選ばれるのか?

法王:何、カルマパ? ノーノー。

ステートメントの中で今回もはっきり言っているが、私のポジションははっきりしている。
半引退だ。
最近EU議会で私はリンポチェを「私のボスだ」と言って紹介した。
政治的には彼が私のボスだ。

精神界では私が彼のボスだ。エヘヘヘヘヘヘヘ、、、、
だから今は5年ごとの選挙によって政治的トップは入れ替わる。
中国のジャーナリストも私の後継者について質問したが、
私はコミュニストではないと答えた。
もしもコミュニストだったら、自分の後継者を必ず自分でピックアップすることであろう。

でも、我々はコミュニストではない。
我々は完全に民主主義に従っている。
私はいつも「もう半引退している」と言うとき、誇りを感じる。
リンポチェはすでに二期目に入った、後、、、

リンポチェ:二年です。

法王:だから、もしも彼がそれからも同じ地位に留まりたいと考えてもそれは法律上叶わない。
この地球のメンバーである、どこかの国のある大統領などは、一生地位を守ろうとする。
そんなことはここではあり得ない。
5年ごとに選挙で選出されるのだ。

一方精神的レベルにおいては、皆様も朝の式典でご覧になったように、
私のそばにサキャ・ティチェン・リンポチェ、その傍にカルマパ・リンポチェ、ボン教のティンジン(座主)、それにデブン・キャンマ・リンポチェ、その他成就者たち、
すべての派が集っている。
黄帽派、赤帽派、黒帽派、それに何だ、、、、そうだ、ボンは時に白い帽子を被るから白帽派、
そして、、、その内、青帽派も現れてくることも期待されてるとか、、、、ハハハハハハ、、、。

緑は如何で(とリンポチェ)
そうだ、そうだ、緑は良い。
グリーン・パーティーだ!ハハハハ、、。
沢山の国でグリーン・パーティーが、、、、ニュージーランドに行った時、グリーン・パーティーの事務所に迎えられた。その時私は「もし、ニュージーランドに居るなら私はあなた方の党に入るであろう」と言った。
それは私は常に「エコロジー」の大事さを語っているからだ。

何れにせよ、すべての組織の中で若い世代の優秀な人材がたくさん育っている。
非常に健康的で可能性を秘めた指導者たちが現れてきた。
だからダライ・ラマの後継者について心配する必要はない。
ダライ・ラマ制度に関する限り、早くは1959年にすでに私はこの数百年続いた制度の存続はチベット人によって決定されるべきだと表明している。
大多数のチベット人がこの制度の存続を大事だと感じるならば、残るであろう。
もしも、大多数の人々がもう必要ないと思うなら、無くなるまでだ。
これは大事なことではない。

3月10日法王記者会見 24大事なことは前にも話したが、私の日々の生活が他の人々の福祉に何らかの貢献をするということだ。

私は自分の将来について考えたことはない。

サンキュウ、サンキュウ。










終わり。


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2009年03月16日

3月10日法王記者会見 その三

10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見 10以下、法王記者会見の続きです。

*注:質問については明瞭に聞き取れないことが多かったので、要旨のみと思って下さい。

ーーー

質問その二

ワシントンポスト:会談が進まない中、チベットの状況は悪化するばかりのように見える。
これからの見通しは?


法王:私のステートメントにおいても、内閣のステートメントにおいてもはっきりと表明していることだが、我々の要求はすべて最後の会談の時中国側の代表に手渡してある。
すべては文章で明確に示してある。
これは中国側からその前の会談で要求されたものだ。
「すべての要求を明らかにせよ」と言われた。
だからメモランダムという形式で答えた。

これについて如何なる協議も行われることなく、彼らはただ、全面的に否定した。
このメモランダムのすべての意味は「半独立」とか「隠ぺい独立」だと断定している。
このように、完全に内容自体を拒否したのだ。

今、多くの友人、国々が中国を説得することに努力してくれている。
だから、様子をみよう。

中国の多くの知識人、作家たちが中国のチベット政策は間違っていると指摘している。
だから、時が来るかもしれない。

10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見  11
質問その三
チベット・ポストだが、
インドがチベットの真の自治を実現するためにもっと積極的に果たせる役割とは何か?


法王:インドはこの50年間の我々のホームだ。
50年前から我々はホームレスだ。
しかし、ホームレスもそれから色んなホームを見つけた。
インド政府からは居住、教育その他の分野でできる限りの援助を受けた。

一方、チベット問題に関しては、勿論インドも中国と長い国境線を境に隣接しているし、そのかなりの部分はまだ最終的に決定されものではない。
だから、まだ困難はある。
故に(チベット問題において)インドが出来ることにも限界があるのは理解できよう。

インドの政府も人々も一般的に非常に我々に同情的だ。
でも過去には私も「インドは少々心配し過ぎだ」とか言ったこともある。
しかし、インドの態度は理解できるものだ。
また、インドのメディアの我々に対する関心は益々強くなってきている。
だから、時がくればインドは必ず、できる限りチベットを助けてくれると信じる。


質問第四
日本の共同通信社のSだが、

(このが先のブログでお知らせしたものです)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51179267.html
ただ、次の質問の間にサンドゥン・リンポチェがコメントを入れられた。
10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見  13
リンポチェ:法王は非常に洗練された言い方で話されたが、少し説明もいると思われる。
この中道路線は中国政府の態度に対する反応として提案されたものではない(訂正箇所)。自発的にこちらが提案したものだ。この方法は双方に利のあるものだ、、、(話の途中で法王がここで話し始める)

法王:これは明らかなことだ。
この中道路線は、一方が勝利し、一方が負けるというような提案ではない。
双方に勝利をもたらすものだ。

この考えを我々は74年ダラムサラにおいて決定した。
そのころ中国の人々は文化大革命に完全に没頭していた。
だから、我々は中国から要求されてこの決定を下したのではない。
何れは、中国政府との話し合いが始まるとの予測の下に自発的に決定したことなのだ。
つまり、真の、意味のある自治を求めることになったのだ。
これが中道路線だ、、、(ここで今度はリンポチェが割って入り)

リンポチェ:我々はこの路線遂行に更なる確信をもっている。
それは、人々からの信任を得たからだ。この際中国は関係ない。

法王:グッド!

次、そこのインド人、、、

10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見  12
質問第五
ロイターの者だが、
法王は1959年に亡命を決意されたことに対し後悔を感じられたことはないか?

法王:私はこの50年間、常にあの時の事を思い出し続けてきた。
正しい判断だったといつも思っている。

もしも、中国政府があの17条協定を継続的に守っていれば、1959年の危機は決して起こらなかったことであろう。
しかし56年、57年頃から次第に極左寄りの政策が始まった。
中央のほんのちょっとした政策変更がチベットで実際には大きな変化となって現れた。
これが1956〜9年までの衝突の原因だ。
56年の列車の路線変更からして、その後の59年の結果はすでに不可避のものだったのだ。
そのような状況において、最善の方法は脱出することだった。

このインドに亡命してすでに50年経った。
地球のこの場所でチベットの宗教と文化は完全な自由の下にある。

インド人の友人によく語ることだが、「インドは我々の精神的ホームである。仏教はインドから始まった。だから、我々の多くは自分たちが幸運であるとまで思っている。
過去には一生のうち一度でもインドに行くことができればラッキーと思われていた。
それが、今は自分たちのホームとなったのだ。ハハハ、、、簡単にそうなった、、、ハハハ

皆さんも知っているようにインドと我々の関係はグル(師)とチャラ(弟子)の関係だ。
インドは我々のグルであり先生だ。
だから私は時々インドの友人にこう言う
「弟子が苦況にある時には師はそれを助ける道徳的責任があると」ハハハ、
そうではないかな?ハハハ、、、

このようにして、我々は1956年の政策変更により、今こうなっているのだ。
もちろん1980年代初めにおいて、胡耀邦がいたときには希望があった。
彼は素晴らしい共産党指導者だった。
彼には誤りを認めるだけの勇気があった。

私のステートメントにも引用したが、1980年彼がラサを訪問した時、チベット政策の間違いについて民衆の前で謝罪したのだ。
過去に如何なるダメージをチベットに与えたかについて語った。
その時は、本当の希望が持てた。

しかし、彼の政治生命はあまりに短かった。
中国にもこのように時に希望の持てる人も現れるが、基本的には強硬派が政権を担い続けている。
だから、我々の1959年の決定を間違っていたと思ったことはない。
正しい決定だったと思っている。


次、、、、そこの中国人、
10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見  14
質問第六
質問者:台湾パブリック、、です。

昨日法王は台湾の人々からの「台湾訪問」の要請を受けられたはずだが、どうされるお積りか?今年台湾を訪問されるのか?もしそうでないなら、その理由は?


法王:昨日、台湾からのジャーナリストにあった。
ジャンパ・プンツォをはじめとする、プレスクラブからの台湾訪問要請を受け取った。
それに対し、私は「原則的に承諾する」と答えた。

私は常に台湾に行きたいと願っている。
そこで、百万の中国人の目の前に顔を出してみたい。

我々は「反中国」ではない。
我々は中国の文明と文化を称賛するものだ。
地理的に我々はすでに数千年の間隣り合わせに暮らしてきた。

中国本土に行って直接、私の(中国に対する)信と誠実さを多くの人々に示すことが許されない今、私は台湾を選んだ。
台湾こそ、私の信と誠実さを中国の兄弟・姉妹に対して示す場所だと。

ここで、「中国人」と私の言うとき、誤解しないでほしい。
(記者を示して)あなたも中国語を話すであろう。
中国語を読み書きし、話し、中国文化の下にあるすべての人々のことだ。
台湾人でも、中国人でも、その他でもだ。

台湾こそ、私の中国人に対する信と真を示す場所と考えた。
これが、第一のポイントだ。
より親密な理解を求めてのことだ。

次に第二のポイントとして、台湾には仏教徒が大勢いることだ。

こんなことから、私は過去二回台湾を訪問する機会を得た。
完全に宗教活動のみだった。
実際最初の訪問の時、中国からの独立を要求していた野党(DBP)の人たちと会談した。
私はその時「チベットに関する限り我々は独立を求めていない」と言った。
「我々は離反を求めていない」と。
今、あなた方台湾の人々は経済的理由から、一方違いもあるということから、本土とユニークで特別に緊密な関係を築くべきだ、と語った。

そして、二度目の訪問の時にも、私は空港で「中国の係官を私の台湾訪問の間中24時間監視するために付けてほしい」と言った。
どこに行くのか?誰と会うのか?すべて見てもらいたいと。
はたして、チベットの反動主義者!と台湾の反動主義者!が結託しているのかどうか、調べるべきだと。ヘへへへへへへ、、、
それはただの訪問だ、オープンなものだ。

基本的に政治的なものではない。
もちろん、ある種の政治的意味合いは発生する。
しかし、基本的に私の動機に関する限り、そこに全く政治的なものはない。
将来の台湾は彼らによる。
政治に関する限り、完全に彼らの意志によると、明言している。

だが、民主主義に関する限り台湾のなしたことは大きい。
他の自由世界はこの達成された民主主義を守る道徳的義務がある。
これが、私の立場だ。

ポイントは、私の台湾訪問は完全に宗教的、教育的なものではあるが、
2001年の2度目の訪問の後、2002年北京政府との接触が再開されたことだ。
中国政府は私の台湾訪問について異常な関心を示した。
そして、訪問の延期とかが起こった。

ここ数年の間、多くの中国人、主に台湾、シンガポール、マレーシアその他の中国人に対し仏教講義を行って来た。
多くの台湾人から「あなたは我々の事をお忘れになったのか?」と目に涙を浮かべて訴えられた。
私は非常に悲しいと感じた。
私はいつも言う。
「私はあなた達のことを決して忘れていない」と。
「私は常にあなた達のことを思っている」と。
仏教徒として。

しかし、政治的には常にはっきりしている。
私もチベット人の面倒を見ないといけない。今、漸く中国政府と直接接触できるようになった。中国は私の台湾訪問に対し厳しい顔をする。
だから、私の台湾訪問は慎重に判断されねばならない。

昨日も彼らに「基本的には承諾するが、最終決定にはもっと時間が要る」と答えた。
それは昨日(3月9日)のことで今日(3月10日)に私はステートメントを発表した。
普通ならいつものように、我々は何らかの北京からの「お叱り」を期待するところだ。
ハハハハハ、、、、これが期待されている。
何れまた「反動主義者の、、、、ではなくて、、(リンポチェの方を向いて)何だったか?」

リンポチェ:「分離主義者です」

法王:そうだ、そう、それだ。
ついでにインド政府に対しても非難してくるかもしれない。
何れにせよ、それは計算済み(expected)だ。
一方で、チベット人からも厳しい言葉を返されるかもしれない。
それも有り得る。
ということは、我々のアプローチが本当に中道だということを示している。へへへ、、
こっち側の人も満足せず、あちらの人も満足しない。
どうしたらいいのか!?(What to do?)ヒヒヒ、、、。

でも、明日とか、数日とか数週間の間に来る非難は何でもない。
怖れや怒りの心からそんな反応も帰ってくることであろう。
それは何でもない。
しかし、数か月後に解るであろう。
もしも、チベットの内部で、何かしらの状況改善が起こるなら、我々の対話は意味あるものとなろう。
そうではなく、今のように中国の態度が硬化したままならば、その時は私の台湾訪問は難しいものとなろう。
一般的には本土の中国人が沢山台湾を訪問し、交流は深まっているので、訪問も簡単なはずだ。

以上は昨日も彼らに説明したことだが、今ここでもっと大勢の前で説明したまでだ。

では次の質問。

今度はヨーロッパ人にするかな?



続く


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2009年03月14日

写真で追うダラムサラの3月10日

2009年3月10日、チベット蜂起50周年記念日、ダラムサラの出来事を以下写真中心にお伝えします。

10.3.09 Dharamsala 伝統歌舞団の演技朝9時、ツクラカンの前庭を埋め尽くした人々の前で、ますドラマ・スクール(チベット伝統歌舞団)のパフォーマンスから記念式典が始められた。
















10.3.09 Dharamsala 法王の声明発表今年は異例にも法王自身が短い説明の後「3月10日の声明」を読み上げられた。








世界7カ国から集まった中国民主連盟の人々世界7カ国から、チベット人との連帯を示すために、ダラムサラに集まった15人の中国民主化組織の代表者たち。







10.3.09 Dharamsala デモ記念集会に続いて行われた平和行進。









10.3.09 Dharamsala デモ2









10.3.09 Dharamsala 法王の記者会見午後12時半から始められた「法王の記者会見」








10.3.09 ダラムサラ法王記者会見2



















10.3.09 Dharamsala 法王記者会見3









10.3.09 ダラムサラ法王記者会見4



















10.3.09 Dharamsala 法王記者会見5









10.3.09 Dharamsala 午後山には雪が降ったこの日午後、風か出て、一時荒れ模様となった。山には新雪が積もった。







10.3.09 ダラムサラ、燈明の集い夜、町からツクラカンまでこれまでの犠牲者を弔うためのキャンドル・ライト・ビジルが行われた。







10.3.09 Dharamsala 犠牲者の霊を弔う為の燈明









10.3.09 Dharamsala キャンドル・ライト・ビジルの後















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3月10日法王記者会見 その一

BBCが、昨日北京で行われた温家報宝首相の記者会見の様子を昨夜から流しています。
大きな会場は一杯でメディアの数は500を越えていると思われました。
彼の記者会見は年に一度だけとか。
コメントに「質問者は事前に選択されており、質問内容もその答えも大体決められている。質問できなかったものは一年待つしかない」と。

しかし、どうしたものか?意図的であろうが、チベットに関する質問があった。
もちろんそれに対し温家宝は「チベットは発展しており、全体的には安定している。政策が間違っていない証拠だ」と答えた。
ダライ・ラマとの対話については「厳しい状況下でダライ側の要求に応じて3回行った。実質的な成果を得るにはダライ側の誠意が鍵になる」といつもの逆論理。

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3809ca6d.JPG
以下、3月10日、ダラムサラのツクラカン、カーラチャクラ堂で行われたダライ・ラマ法王の記者会見の一部をお知らせします。(続きは追って)

こちらのメディアの数は200人ほどでした。
去年の3月行われた法王の記者会見には100人ほどのメディアが集まっていました。
今年はその倍。恐らくダラムサラにこれほどのメディアが集まったことは嘗てないことでしょう。
北京と違ってダラムサラでは質問は誰でも自由、内容もまるで自由です。

中には「法王はご自身の死をコントロールできると聞きました。いつお亡くなりになるおつもりか?」という、突拍子もない質問まで出てくる始末でした。
もっとも、いつも法王はどんな下らない質問に対しても、それを逆に使って面白くて意味のある答えを返して下さるという、そこが面白いので、馬鹿な質問でも許されるのです。

まずは日本の共同通信社の質問とそれに対する法王のお答えから。

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共同:

中道路線についてです。法王はステートメントの中で、この路線の継続に対しより大きな確信を持っている、とおっしゃいました。しかし、中国側からは如何なる肯定的反応も返ってきていない。
では今、中国に対し何か新しい、秘密の方策とかでもお持ちなのか?


法王:

我々に国家機密というものは何もない。ハハハハハハ、、、
いつも透明だ。

ステートメントにも明記したことだが、我々は最悪の事態に対しても準備すべきだ。
だが、同時に希望を捨ててはいけない。
この希望には多くの理由がある。

まず第一に、チベット人の精神と決意は非常に強いことだ。

すでに(チベットが中国により侵略されてから)50〜60年の歳月が流れた。
世代は完全に変わった。
しかしこの若い世代の者たちは前の世代と同じチベット精神を持っている。
この精神の歴史は古い。これは明白な事実だ。

共産党は様々な方法、例えば洗脳、情報操作、金を与えること、昇進そして暴力、監獄の拷問等を使ってこの精神を破壊しようとしているが、この精神は決して無くならない。

例えば、私の良く知っている、チベット人で共産党に1930〜40年台に入党したものがいる。彼らは共産党員だったが、そのチベット人としての精神には変わりがなかった。
そのせいで、1957年頃彼らは共産党により投獄された。
あるチベット人は、あまり宗教的精神は強くないが、そのチベット人としての国家意識は強いという者もいる。
だから、これが第一のポイントだ。

第二番目には、中国人の中に益々チベットの現状に対する認識が広まってきているということだ。

中国は偉大な国家、最も人口の多い国家だ。だから、中国人がこの地球上においてより積極的な役割を担うためには、中国は他の世界の人々からの尊敬と信頼を必要とする。
故に、この問題に対処するための政策はこの点から見て非常に大事なことだ。

中国内の知識人の多くが現政府のチベット政策を全面的に批判している。
私の知る限りこれに関し、去年の3月からすでに300を超える記事、文章が中国語で発表されている。中国本土でこれらは読まれているものだ。
すべてこれらは中国政府の政策を非難し、チベット人との連帯を表明するものだ。

これももうひとつの肯定的要因だ。

第三番目には、中国人の中に益々仏教徒が増えて来ているということだ。

私は常に中国を仏教的長兄として尊敬している。
我々チベット人はブッダの若い生徒だ。
私は中国人に対し仏教を説く時には、いつも最初に長兄に対する尊敬を示すことにしている。彼らは仏教に関してシニアであり我々はジュニアであるからだ。

でも、時にはジョークとして、ジュニア生徒の方が知識力においてはシニアに勝ることがあるが、、、と言ったりする。へへへへへへへ、、、、。
ま、とにかく、益々多くの中国人がチベット仏教に対する真摯な興味を示しはじめた。
彼らはチベットの伝統から仏教を学ぼうとしている。
チベット仏教の修行法に従おうとしている。
これも一つの肯定的傾向だ。
実際、政府の高官やその家族の中にも仏教への強い関心を示している者もいる。
多くの者が家に仏像を置いていると聞く。

中国はこの60年間、中華人民共和国が成立して以来、一党独裁の下に置かれ続けてきた。
私はよくこれを、四つの時代に分けて考える。
毛沢東の時代、小平の時代、江沢民の時代、そして今、胡錦涛の時代だ。

よく観察するならば、変化は大きいことに気付くであろう。
毛沢東の時代にはイデオロギィーが第一であった。故に他の価値は犠牲にされた。
小平の時代になり、大事なものはイデオロギィーではなく「金」だということになった。
共産党が資本主義党になったということだ。
だから、外国の友達なども、「今はもう中国に共産主義はない、あるのは独裁資本主義だけだ」と言っている。ハハハハハ。
だから、小平の時代には大きな変化があった。

この新しい現実の中で、中国には今までいなかった中流階級が増え、億万長者もたくさん生まれた。
貧富の差、沿岸部と内陸部の格差が生じた。
かつては国の主人と呼ばれた労働者階級の人々は今、苦境にある。
共産党はすでに労働者階級の人々のための党ではない。

この状況を見て江沢民は「三つの異なる提示」という概念を作った。
「共産党は労働者階級のための党ではなく、すべての階級の人々のための党だ」といった。

今、この格差や様々な新しい問題に対処するために胡錦涛は「調和ある社会」の重要性を強調している。
これらの事は共産党独裁政権も、少しは新しい現実に即して政策を変えていく力があるということを証明している。

「調和」と言うことは本当に大事なことだ、世界のいかなるレベルにおいても大事なことだ。鍵だ。
「調和」「連帯」のためには「信頼」が欠かせない。「信頼」がないならば真の「友情」も「連帯」「調和」も起こり得ない。
「信頼」と「恐怖」は相反するものだ。
胡錦涛は民衆の前でかっこよく「調和ある社会」の促進の話をするが、願わくば、そこに至る方策が論理的、科学的なものであることをだ。

まずは透明性が求められる。すべてをオープンにすべきだ。
秘密をなくすことだ。
メディアに対し完全に開かれていなければならない。
このようにすれば、信頼は次第に獲得されよう。

同時に軍隊と警察を縮小すべきだ。
この二つは「恐怖」を生みだすだめのものだから。
「恐怖」がそこに或る時、如何にして「信頼」が育ち得るのか?
親子の間においても、もしも父親が子供に対し暴力的であったり厳しすぎるときには、子供は反抗する。
これはまったく当たり前のことだ。
人間の自然な心理的反応だ。

もっと開けた、大きな心を示す時、親近感は生まれる。親近感は信頼に繋がる。信頼から連帯、統一が生まれ調和が実現される。
そうではないかな?
だから、胡錦涛が「調和ある社会」を作るために、いずれ「科学的方法」を取ることを望む。

もうひとつの側面、国際関係についてだが、中国はいつも我々がチベット問題を国際化していると言って非難する。
みなさんも御存じのように、よくよく現実を分析してみれば、このチベット問題を国際化しているのは中国自体だということが解るであろう。
私が行く先々で抗議を行う、国に対し、大学に対し、個人に対してまで圧力をかける。
このことがメディアの注目を引く。
この方法により中国はチベット問題を国際化するために大いに貢献してくれているのだ。
だから、この点で我々は中国政府に感謝しなければいけない、、ハハハ。

目の前にはこんなにたくさんメディアの人たちが集まっている。
これはチベット問題に対する関心の高さを示している。
多くの国の人々がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパそれに日本でも、チベットに対する真摯な連帯を表明している。
これは肯定的要素だ。我々の希望の基礎ともいえよう。

だが、一方で我々チベット人は決心している。
私たち(隣にいるリンポチェを見ながら)70歳を越えた世代はもういつでもこの世に「バイバイ」(手を振るしぐさ)する用意ができている。
天国とか浄土とかに行くなり、地獄に行く。
そんなことはどうでもいいが、とにかく自然に新しい世代は生まれる。
今日も聴衆の中に沢山の優秀な若い世代の者たちを見かけた。
彼らがチベット問題を担うであろう。

これらが、我々が楽天的でいられる理由なのだ。

























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2008年03月12日

アプライジング・デーinダラムサラ

9924d5d9.JPGダラムサラの知人から、3月10日の現地の様子の写真をいただいたのでご紹介。
 あ、熱いー……。
 左の画像はたぶん、ダウン・ダラムサラに向かってジョギバラよりさらに坂を下ったあたりでしょうか(コルラ道にしては道幅が広いし)。巨大なチベット国旗のほかに「チベタン・オリンピック」の大プラカードも見えます。あれ、白いドレスシャツに長髪をポニーテールにしている兄さんはチベ五輪プロデューサーのロプサン・ワンギャル本人だったりして? ははは。 
 右の画像はそのアップ。「チベタン・オリンピック」目立つなあ。そういえば、ダラムサラの3・10マーチは、チベタン・オリンピックのトーチリレーも兼ねていたのでした。どっかにトーチ持ったランナーもいるのではないかと思いますが、この熱気で埋もれているのでしょうか……。

メールによると、

昨日の夜も今日の朝もデモしていました。

とのこと。在住10年以上の知人が「これまでになく大きな規模のデモでした」と言うのですから、相当に大勢の人が集まったのだろうなあと思います。

 右の画像は、よく分からないけど、すっかりダウン・ダラムサラに下りて、乗り合いバスが止まっていたりするあたり……でしょうか。普段はチベット人の姿の目立たない、インド人の街がこんな風になるとは……。
 右の写真、印象的なのは、全身にペイントして雄叫びを上げる若いチベタンももちろんですが、その横で、やや暑そうにチベット国旗を日よけがわりにしてたり、男性の後ろで、ほんとに普通の普段着姿で歩きながら声を上げているふつーのおばさん・おねぇちゃんの姿です。
 難民の町は、およそ“政治活動”なんてものとは縁のなさそうな、できるならそんなことには関わりたくないよ、という市井の人たちが行進に加わらざるをえないほどの閉塞感に覆われているんだ、と思ったりするのです。
 ……そして、たぶん、それは本土も同じ状況なのかもしれない、と思ったりもするのでした。



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