【旧 二月廿九日 赤口】春分・櫻始開(さくらはじめてひらく)
 1945年3月26日。小笠原諸島南端に位置する硫黄島(いおうとう)において、1ヶ月あまりに及ぶ激戦が行われました。日本軍は約1万8千名の戦死者を出して全滅、米軍も約7千名の戦死者と1万9千名の戦傷者を出していて、死傷者を合わせると米軍のほうが多かったという、勝者にとっても悲惨な戦場になりました。この戦いの総司令官であった栗林忠道中将については2015年3月17日の記事にしておりますので、今日はこの日に54歳で戦死したもう一人の司令官、市丸利之助海軍少将(死後中将)の短歌をご紹介します。

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Photo:硫黄島の医務課壕跡(東京都小笠原村)と市丸中将

化粧して 娘盛りの わが妻が 
人込みをゆく 夢を見るかな

洞に臥す 兵は地熱に 凝(さ)えられて 
とかく熟睡(うまゐ)の とりえぬ恨み
  ~柏邨 『市丸利之助歌集』

 市丸は大正14年、34歳の時に飛行訓練中の墜落事故で瀕死の重症を負いましたが、復帰までの4年間を無為に過ごすことなく、短歌、漢詩、書を学んで人格の修養に努めていました。「柏邨」は市丸利之助の歌人としての号です。そしてあの有名なルーズベルト大統領に宛てた書は、そのような市丸司令官の教養のにじみ出た見事な文章で、英訳したのはハワイ出身の三上弘文兵曹でした。この書を戦後の我々が読むと日本がなぜあの戦争に邁進していったかの答えの幾つかが垣間見えることと思います。

 →ルーズベルトに与える書(原文と英訳)
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