【旧 六月廿日 先勝】立秋・涼風至(すずかぜいたる)
 国民の祝日「山の日」が施行されて今年は2年目です。あえてお盆にくっつけるほうがよいということで8月11日に決められました。今日から16日までお休みの会社が多いようです。でも11日の「山の日」がなければ、12日から20日まで9連休ということもあり得たかもしれませんね。ともあれ、国民に連休を取らせることだけが主な目的ではありませんし、登山愛好家の為の祝日でもありません。山の日の趣旨は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことです。

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Photo:神倉神社の本殿からさらに538段の石段を登り詰めた山頂に拝殿と御神体の巨岩があります(和歌山県新宮市)

み熊野の 神くら山の 石たゝみ 
のぼりはてゝも 猶祈るかな
  ~入道前太政大臣 『続古今和歌集』 巻7-0740 神祇

熊野の神倉山の石段を
登り終えてもまだ祈っているのです

 神倉山は熊野速玉大社の古宮とされ、熊野根本大権現とも呼ばれる神倉神社が鎮座する山です。この歌では「石たゝみ」と言っていますが、実際には山上の御神体、ゴトビキ岩まで続く538段の「石段」で、これは源平合戦で熊野の功労を賞して源頼朝が寄進したもの。現在もそのまま残っています。入道前太政大臣とは平安末期から鎌倉初期にかけての親幕府派の太政大臣、西園寺公経(さいおんじきんつね)のこと。公経というと小倉百人一首の96番にも一首入集しています。こちらは桜散る春の歌です。

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで 
ふりゆくものは 我が身なりけり
  ~入道前太政大臣 『新勅撰和歌集』 巻16-1052 雑一

桜の花びらを誘う嵐の庭はまるで雪のようで
老いて古りゆく我が身そのもののようであるなあ

 西園寺公経は61歳で出家、寛元2(1244)年、73歳で死去。処世術に長けていたため、当時の公卿からは「奸物」の評判があったそうです。現在に至る西園寺の家名はこの公経が鹿苑寺金閣のあたりに西園寺を建立したことによります。

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