令和2年8月9日(日) 【旧 六月二十日 先勝】立秋・涼風至(すずかぜいたる)

この山を吾あゆむとき長崎の真昼の砲を聞きつつあはれ
  ~斎藤茂吉 『つゆじも』(大正9年8月5日)

200809_長崎に心しづめて居るときに.jpeg
Photo:香焼島から撮影された長崎原爆のキノコ雲(松田弘道撮影)

 斎藤茂吉の第3歌集『つゆじも』は終戦の翌年、昭和21年8月に発行されています。しかし掲載歌は大正6年から11年に詠まれたものでした。精神科医でもある斎藤茂吉は大正6年に官立長崎医学専門学校の教授に就任しています。同9年には突然喀血して県立長崎病院に入院したこともありました。冒頭の歌は今からちょうど100年前の1920(大正9)年8月の作。アメリカの原子爆弾ファットマンが投下されたのはそれから25年後、茂吉が郷里山形に疎開していた時のことです。その日、彼が知っている長崎の町は跡形もなく破壊されてしまいました。歌集の「後記」に少しだけ触れていますが、茂吉が長崎時代の短歌を戦後間もない時期に発表したのもこの惨状と無縁ではないでしょう。

長崎に心しづめて居るときに永遠の悲しみ聞かむと思ひきや
  ~斎藤茂吉 『つゆじも』(大正9年11月5日)

 ちなみに、歌集名となった『つゆじも』について、茂吉は万葉集のこの歌を掲げています。

露霜の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
  ~作者未詳 『万葉集』 巻12-3043 寄物陳思

露霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ老いてもまた若返り、あなたを待とうと思う。

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑