令和2年11月28日(土) 【旧 十月十四日 大安】・小雪・朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)

この花の一枝《ひとよ》のうちに百種《ももくさ》の言《こと》そ隠《こも》れるおほろかにすな
  ~藤原広嗣  『万葉集』  巻8-1456 相聞歌

この花の一枝の中には数えきれないくらいの言葉がこもっているからおろそかに思ってはいけないよ。

 この和歌は藤原広嗣が桜のひと枝とともに女性に贈った求愛の歌です。贈られた相手の女性からの返歌も収録されています。

この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
  ~娘子  『万葉集』  巻8-1457 相聞歌

この花の一枝の中にある、貴男のたくさんの言葉の重さに耐えかねて、枝が折れてしまったのではありませんか。

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Photo:広嗣の怨霊を慰める鏡神社の二ノ宮(佐賀県唐津市)

 こんな優雅な相聞歌を交わしていた奈良時代の貴族、藤原広嗣が非業の死を遂げたのは今から1280年前の今日、西暦740年11月28日(天平12年11月1日)のことでした。広嗣の父は藤原四兄弟の三男宇合。それまで権力を牛耳っていた四兄弟が相次いで病死すると、反藤原勢力により広嗣は大宰少弐に左遷されました。その後政敵であった吉備真備や玄昉を追放すべきという上奏文を朝廷に送ったことにより、彼らを支援していた橘諸兄はこれを不穏の動きとみて聖武天皇から広嗣召喚の詔勅を出すように願います。しかし広嗣は詔勅に従わず大宰府や九州の隼人を招集して挙兵したのでした。いわゆる「藤原広嗣の乱」の勃発です。結果は前述の通り大野東人の率いる朝廷軍に鎮圧され、捕らえられて肥前松浦郡にて処刑されました。優雅に見える古代貴族の政争は今と違って命がけなんですね。

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