令和7年2月12日(水) 【旧 1月15日 先負】 立春・黄鶯睍睆(うぐいすなく)

春来ればたがためにとか青柳のかた糸に縫ふ梅のはながさ
  ~藤原隆季(1127-1185)

春が来れば、誰を慰めるためであろうか、青柳の片糸で縫うように梅の花笠を咲かせるのは。

 藤原隆季は平安後期の公卿。妹の経子が平清盛の嫡子重盛の妻になるなど、平氏とは親密な関係を築いていました。養和2年に病のため正二位権大納言・大宰権帥を辞任し出家。3年後の1185年2月12日(元暦2年1月11日)に亡くなっています。今日は没後840年に当たります。

250212_春来ればたがためにとか青柳の
Photo:梅と枝垂れ柳 ~四季折々

 さて隆季の短歌にある「片糸」とはまだ撚り合わせる前の糸のこと。柳と梅を取り合わせたいかにも明るい初春の情景を詠んだ歌ですが、同じ趣向の歌が『古今和歌集』にもありました。

青柳を片糸に撚りて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠
  ~詠み人しらず 『古今和歌集』

 また同時代の歌謡である催馬楽『さいばら』や後白河院の『梁塵秘抄』にも梅の花を花笠に見立て、鶯が青柳の片糸で撚り上げるという表現が使われています。当時おなじみの春の情景だったのでしょうね。

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑