万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

【科学・教育】

#5037 ともしびの明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず

令和8年7月13日(月) 【旧 5月29日 先負】 小暑・蓮始開

ともしびの明石大門《あかしおほと》に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
  ~柿本人麻呂 『万葉集』 巻3-0254 雑歌

灯火のように明るい明石海峡にさしかかった日には、はや漕ぎ別れてゆくのだろうか、すでに家のあたりを見ることもなく。

 日本標準時を明石市の位置する東経135度子午線を基準とすることを公布されたのは今から140年前の1886(明治19)年7月13日。今日は「日本標準時制定記念日」です。さてどうして東京ではなく明石市が基準となったのでしょうか。

260713_ともしびの明石大門に入らむ日や
Photo:山陽電鉄人丸前駅プラットホームの子午線(兵庫県明石市)~ぶらり加古川と播磨の寺社めぐり

 そもそも国際標準時を英国のグリニッジ天文台を通る子午線を経度0に決定したのが1884年の「国際子午線会議」でした。これを受けて日本では子午線を15で割り切れる東経135度が候補に上がったのです。ちなみに東経120度の沖縄と150度の北海道も15で割り切れますが、やはり国土の中心に近い135度が選ばれたのです。東経135度には京丹後市や淡路市、和歌山市など12の市が存在していたのですが、明石市はいち早く標識を建て、天文台を作り、数々のイベントを打ったために「子午線のまち」として全国に知られるようになりました。標準時はあくまで東経135度を定めただけで、実は明石市ありきではななかったのですね。

いかなごの釘煮と子午線を跨ぐ
  ~塩見恵介(1971-)

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑

#5013 縄文も弥生も寒しざらざらの火焔土器とふ壺をかこみて

令和8年6月19日(金) 【旧 5月5日 先負】 芒種・梅子黄

縄文も弥生も寒しざらざらの火焔土器とふ壺をかこみて
  ~大西民子(1924-1994)『光たばねて』

 1877(明治10)年のこと、エドワード・モース(1838-1925)が横浜から東京へ向かう汽車の窓から、大森駅を過ぎてすぐの崖の地層に貝塚らしきものが露出していることに気づきました。日本初の考古学発掘調査はこの大森貝塚で開始され、モースは出土した土器を「Cord-marked pottery(縄目文様のある土器)」と呼んだことが「縄文時代」の語源となったのです。

260619_縄文も弥生も寒しざらざらの
Photo:大森貝塚遺跡庭園に建つエドワード・モースの胸像 ~しながわ観光協会

 エドワード・モースが大森貝塚を発見した日にちなんで、今日6月19日は「縄文の日」。そもそも「縄文時代」は1万年以上に及び、当然ながら日本史の時代区分ではもっとも長い時代になります。この時代を研究する歴史学者、考古学者はたくさんいらっしゃいますが、遺跡や遺物はあっても文字で残された資料はありません。これからも新しい発見があるかもしれませんが、この時代よりはるか後に登場する「邪馬台国」でさえ解明されていないのですから日本人のルーツにも関わるミステリーには興味津々ですね。

星月夜縄文土器にある指紋
  ~矢野玲奈(1975-)

260619_星月夜縄文土器にある指紋
Photo:大森貝塚出土品 ~東京大学総合研究博物館蔵

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑

#4907 君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな

令和8年5月14日(木) 【旧 3月28日 赤口】 立夏・蚯蚓出

君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな
  ~藤原義孝(954-974)『後拾遺和歌集』 巻12-0669 恋歌二

あなたのためなら惜しくはないこの命でしたが、逢瀬を遂げた今となってはもっと長く生きていたいと思うようになりました。

 「小倉百人一首」の50番にも採られている名歌です。この世に二度と現れないであろうと言われた美男であった右少将藤原義孝は21歳の若さで亡くなっています。その死因は疱瘡(天然痘)でした。

260514_いとけなき腕に種痘の華四つ
Photo:ジェンナーの天然痘予防接種 (Gaston Melingue画

 今日5月14日は「種痘記念日」です。1796年のこの日イギリスの外科医エドワード・ジェンナーが種痘の接種に成功しました。地球上から天然痘が根絶されたのは1980年のこと。日本では1792(寛政4)年に最初の種痘成功の記録がありますが、種痘苗が手に入らず、本格的に普及するのは1850(嘉永2)年でした。その後種痘の実施は世界中に広まり、先進国の中には20世紀中盤に根絶した国が現れ、日本においても1955年に根絶されています。種痘の接種はその後も続けられましたが1976(昭和51)年に廃止。今年はそれから50年目にあたります。

いとけなき腕《かいな》に種痘の華四つ
  ~福田蓼汀(1905-1988)

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑

#4975 まだ父の温かいとこあるはずと看護師は探し吾に触れさす

令和8年5月12日(火) 【旧 3月26日 仏滅】 立夏・蚯蚓出

まだ父の温かいとこあるはずと看護師《ナース》は探し吾に触れさす
  ~間由美(さいたま市) 「NHK短歌」2024年10月6日放送

 折しもNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)では「明治のナイチンゲール」と呼ばれた大関和(1858-1932)と鈴木雅(1858-1940)をモデルにした『風、薫る』が放送されていますが、今日5月12日はフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の誕生日にちなんで「国際看護師の日」。制定された1965年には国際看護婦の日とされていましたが、2002年に看護師の日に改称されています。

260512_ナースらの爪先走り聖五月
Photo:Florence Nightingale

 クリミア戦争当時、ナイチンゲールが赴任したのはイスタンブールの英国陸軍病院でした。しかし、赴任当初の病院は汚物や害虫・悪臭にまみれた不潔な寝具に兵士が放置されているのが当たり前の状態だったのです。彼女はそれが問題の核心であるとし、看護師たちを組織して病棟・寝具・衣類の清掃を病院業務として確立しました。これによって病院の死亡率が42%から22%に半減したのですが、そもそも当時は病院の死亡率という概念さえありません。これも彼女が統計学を学んで取り入れた成果であり、彼女が「病院管理学」の開祖と呼ばれる所以でもあったのです。

ナースらの爪先走り聖五月
  ~村越化石(1922-2014)

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑

#4934 身長の半分ほどのランドセル揺らして進む桜の絨毯

令和8年4月1日(水) 【旧 2月14日 先負】 春分・雷乃発声

身長の半分ほどのランドセル揺らして進む桜の絨毯
  ~松田和生 「風」No219 2024年9月号

260401_身長の半分ほどのランドセル
Photo:Gakken

 新社会人として羽ばたく人もいれば、新たなクラスで新しい友達と出会う学生たちもいる。4月はそんな新年度の始まりです。そしてこの時期最もほほえましい風景は、身長にそぐわない大きなランドセルを背負って歩く新小学一年生。昔の話ばかりで恐縮ですが、私が子供の頃は男の子は黒、女の子は赤のランドセルしかありませんでした。6年生の頃にはもうボロボロ。今はピンクや紫、金銀の刺繍などいろんなデザインがあってお値段も7万円前後の値札が付いております。どこまで大事に使ってくれるものやらですね。

ランドセル負ひ反りかへり入学す
  ~上野泰(1918-1973)

  にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ にほんブログ村
d ^_^;  よろしければ 1Day 1Click を↑
記事検索
🎼 I love music ♪

読んでくれたひと(感謝)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

過去記事すべて見られます▼
📖私の著作です


  • ライブドアブログ