令和7年2月15日(土) 【旧 1月18日 赤口】 立春・魚上氷(うおこおりをいずる)
うす雪は小雨にとけてうぐひすのささなきさむき藪かげの道
~木下利玄(1886-1925)『銀』

Photo:左から武者小路実篤、正親町公和、木下利玄、志賀直哉(明治40年)~春陽堂書店
今日2月15日は木下利玄《きのしたりげん》の没後ちょうど100年に当たります。本名は利玄《としはる》と訓み、明治19年に岡山足守藩最後の藩主・木下利恭の弟・利永の二男として生まれました。後に利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぎました。もっと家系を遡れば、豊臣秀吉の妻高台院ねねに繋がる血筋にあたります。短歌は東京帝大在学中に佐佐木信綱に師事。同級の武者小路実篤や志賀直哉らと文芸雑誌『白樺』を創刊し、白樺派の代表的歌人の一人となっています。
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うす雪は小雨にとけてうぐひすのささなきさむき藪かげの道
~木下利玄(1886-1925)『銀』

Photo:左から武者小路実篤、正親町公和、木下利玄、志賀直哉(明治40年)~春陽堂書店
今日2月15日は木下利玄《きのしたりげん》の没後ちょうど100年に当たります。本名は利玄《としはる》と訓み、明治19年に岡山足守藩最後の藩主・木下利恭の弟・利永の二男として生まれました。後に利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぎました。もっと家系を遡れば、豊臣秀吉の妻高台院ねねに繋がる血筋にあたります。短歌は東京帝大在学中に佐佐木信綱に師事。同級の武者小路実篤や志賀直哉らと文芸雑誌『白樺』を創刊し、白樺派の代表的歌人の一人となっています。
脇差のすこしぬきたる刃の上に蓮華ぞうつる凶事ありし室
~同
~同
いかにも武家に生まれた利玄らしき歌一首。何があったどこの部屋なのか興味をそそられます。


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