令和7年2月17日(月) 【旧 1月20日 友引】 立春・魚上氷(うおこおりをのぼる)
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
~大伴旅人(665-731)『万葉集』 巻5-0822 雑歌
私の庭の梅の花が散っていく。空から雪が流れてくるように。
梅がバラ科サクラ属の植物であることは多くの人が知るところです。原産国は中国で、元来日本には存在しませんでした。約1500年前、飛鳥時代の遣唐使が薬木として日本に持ち帰ったのが最初とされています。当時はすべて白梅であり、『万葉集』の第三期(平城遷都から天平5年)以降に登場し始めた梅もすべて白い花を咲かせるものでした。その後紅梅が入ってきたのがいつなのかははっきりしていませんが、文献上初めて紅梅が記されたのは『続日本後紀』の承和15年正月21日条です。手元の森田悌氏の『全現代語訳・続日本後紀(下)』には次のようにあります。
壬午、仁寿殿、内宴如常、殿前紅梅、便入詩題、宴訖、給禄、有差。
壬午《みずのえうま》 天皇が仁寿殿に出御して、恒例の内宴を催した。咲いていた紅梅を詩題に入れ、宴が終了すると、差をなして禄を賜った。
さらりと書いてあるところを見るとこの時よりかなり以前にはもう輸入されていたのだろうと思われます。ちなみに承和15年とは西暦848年、仁明天皇の治世でした。
白梅のあと紅梅の深空あり
~飯田龍太(1920-2007)
梅がバラ科サクラ属の植物であることは多くの人が知るところです。原産国は中国で、元来日本には存在しませんでした。約1500年前、飛鳥時代の遣唐使が薬木として日本に持ち帰ったのが最初とされています。当時はすべて白梅であり、『万葉集』の第三期(平城遷都から天平5年)以降に登場し始めた梅もすべて白い花を咲かせるものでした。その後紅梅が入ってきたのがいつなのかははっきりしていませんが、文献上初めて紅梅が記されたのは『続日本後紀』の承和15年正月21日条です。手元の森田悌氏の『全現代語訳・続日本後紀(下)』には次のようにあります。
壬午、仁寿殿、内宴如常、殿前紅梅、便入詩題、宴訖、給禄、有差。
壬午《みずのえうま》 天皇が仁寿殿に出御して、恒例の内宴を催した。咲いていた紅梅を詩題に入れ、宴が終了すると、差をなして禄を賜った。
さらりと書いてあるところを見るとこの時よりかなり以前にはもう輸入されていたのだろうと思われます。ちなみに承和15年とは西暦848年、仁明天皇の治世でした。
白梅のあと紅梅の深空あり
~飯田龍太(1920-2007)


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