万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

【プチ解説】

#3077 あかざらば千代までかざせ桃の花 ・・・

令和3年3月10日(水) 【旧 一月二十七日 先負】・啓蟄・桃始笑(ももはじめてさく)

●屏風のおはなし●

御屏風に桃の花がありける所をよめる
あかざらば千代までかざせ桃の花花も変わらじ春も絶えねば
  ~清原元輔 『後拾遺和歌集』 巻2-0129 春歌下

飽きぬならばいつまででも挿頭《かざし》にしよう桃の花を。花も変わらないのだよ、春が終わらないのだから。

 梅の季節が終わるとまもなく桜の季節です。が、その間に咲くのが桃の花。今日は七十二候の第8候、「桃始笑(ももはじめてさく)」。二十四節気「啓蟄」の次候にあたります。桃の開花期はおよそ3月上旬から4月上旬くらい。清原元輔が春が終わらないから花も変わらないと言っているのは詞書にあるように、屏風絵の桃の花を見て詠んだからです。平安時代には「屏風歌」と言って、屏風絵に添えて歌が書かれる様になりました。また、逆にいにしえの名歌を題材にして屏風絵が描かれたりもします。こんな屏風が江戸時代に作られました。

210310_あかざらば千代までかざせ桃の花
Photo:狩野永岳画 『三十六歌仙歌意図屏風』(六曲一双 右隻)

 ところで、屏風の数え方をご存知でしょうか。上の屏風は美術館などで展示される時は「六曲一双(右隻)」と説明されています。「曲」は折れ曲がらせて繋いだ絵の数です。そのパーツ1枚の面を「扇《せん》」と呼びます。右から順に第一扇、第二扇と数えて一番左が第六扇。で、この複数の扇がつながった屏風が一隻《せき》です。ところが二隻でワンセットに作られている屏風も多く、その場合は二隻一組を合わせて一双《そう》と呼びます。上の屏風は「六曲一双」なのでペアになる六曲の屏風がもう一隻があります。それが下の絵。それぞれの置かれるべき位置を示してそれぞれ右隻、左隻と呼びます。美術館でホンモノの屏風絵を見たくなってきませんか。

210310_花も変わらじ春も絶えねば
Photo:狩野永岳画 『三十六歌仙歌意図屏風』(六曲一双 左隻)

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#2370 時に初春の令月にして気淑く風和ぎ・・・


【旧 二月廿八日 大安】春分・雷乃発声(かみなりすわわちこえをはっす)

●「令和」 出典のおはなし●

 新元号「令和」が『万葉集』から採られているのは既にご承知の通り。このブログでは多くの万葉歌をご紹介してきましたし、「梅花の宴」で詠まれた歌もいくつか記事にしました。しかし不覚にもその序文を載せたことはありませんでした。私がこの元号を最初に聞いたのは手術台の上。麻酔の前に執刀医の先生から「元号が『れいわ』に決まりましたよ」と耳打ちされました。どんな字かと尋ねると「命令の令に、平和の和」。「命令の令」と聞くとさすがに違和感がありました。まさか万葉集からなどと夢にも思わず、考えている間もなく意識朦朧となった次第です。万葉歌は万葉仮名で書かれているので元号にはなりにくいのですが、なるほどそれぞれの序文や詞書は漢文で書かれています。「令」の意味もかみしめないといけませんが、「為政者に平和な世にするように命令する」というふうに曲解するならそれもよしかも。遅ればせながら今日は「梅花の宴」の序文を、原文、詠み下し文、そして現代語訳を並べてご紹介しておきます。

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Photo:「梅花の宴」(山村延燁作)~大宰府展示館

ー原文ー
梅花謌卅二首并序。
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春月、氣淑風。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、 促膝飛觴。
忘言一室之裏。開衿煙霞之外。
淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。
宜賦園梅聊成短詠。

ー訓み下し文ー
梅花の歌三十二首并せて序
天平二年正月十三日に、師《そち》の老《おきな》の宅《いへ》に萃《あつ》まりて、宴会を申《ひら》く。
時に、初春《しょしゅん》の月《れいげつ》にして、気 淑《よ》く風 《やはら》ぎ、梅は鏡前の粉を披《ひら》き、蘭は珮後《はいご》の香を薫らす。
加之《しかのみにあらず》、曙の嶺に雲移り、松は羅《うすもの》を掛けて蓋《きぬがさ》を傾け、夕の岫《くき》に霧結び、鳥は羅に封《こ》められて林に迷ふ。
庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。ここに天を蓋とし、地を座《しきゐ》とし、膝を促《ちかづ》け觴《さかづき》を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
淡然と自ら放《ひしきまま》にし、快然と自ら足る。若し翰苑《かんゑん》にあらずは、何を以ちてか情《こころ》を述べむ。
詩に落梅の篇を紀《しる》す。古《いにしへ》と今とそれ何そ異ならむ。
宜しく園の梅を賦して聊《いささ》かに短詠を成すべし。

ー現代語訳ー
梅花の歌三十二首併せて序
天平二年正月十三日に、太宰府の長官の大伴旅人の家に集まり、梅花の宴を開く。
季節は、初春のめでたい月で、大気もよく、風も和らぎ、梅の花は鏡の前で美女たちが使う白粉のように開き、蘭は身にまとう香のように薫っている。
それだけでなく、夜がほのぼのと明けようとする頃の山頂に雲がかかり、松は薄絹のような雲をかぶり傘を傾け、夕刻の 山の峰に霧が生じ、鳥は薄絹のような霧に閉じ込められて林の中で迷っている。
庭には生まれたばかりの蝶が舞い、空には故雁が帰って行く。ここに、天を屋根にし地を座席にし、膝を交えて盃をあげる。
言葉は恍惚として忘れ、煙霞の外に胸襟を開く。
淡々と自らを開け放ち、快く満ち足りている。もしこれを書き残すことなくして、何をもってこの思いを述べようか。
『詩経』に落梅の詩篇があるが、昔の漢詩と今の和歌と何が違うというのか。
さぁ、庭の梅を題として、今の思いを、いささか短歌に詠もうではないか。

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#1546 かぞふれば わが身につもる 年月を ・・・ 他俳句

【旧 十二月二日 先勝】冬至・麋角解(さわしかのつのおつる)

●六曜のおはなし●

ともかくもあなたまかせの年の暮れ  ~一茶

 今年のカレンダーも明日でお役目終了。我が家では既にその裏側に2017年のカレンダーがスタンバイしています。ということで、今日は暦のお話です。大安吉日などという「六曜」は、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の順にめぐりますが、突然この順が飛ばされることがあります。例えば、今月28日は仏滅でしたが、翌29日は大安がパスされていきなり赤口でした。さて・・・

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斎院の御屏風に、十二月つごもりの夜
かぞふれば わが身につもる 年月を 
送り迎ふと なにいそぐらむ
  ~平兼盛 『拾遺和歌集』 巻4-0261 冬歌

数えてみれば、ただ我が身に積もる年月なのに、
それを送り迎えると言って、人は何をそんなに急ぐのであろう。

 実は旧暦の各月一日の六曜は始めから定められているのです。1月と7月の1日は先勝、2月と8月は友引、3月と9月は先負、4月と10月は仏滅、5月と11月は大安、6月と12月は赤口からそれぞれ始まって六曜がめぐります。したがって旧暦の月の変わり目でずれることになるというわけ。新暦で過ごしていると気が付きませんよね。逆に旧暦さえ分かればその日の六曜も分かります。そして大安は旧暦の月の数字と日の数字を足した数が必ず6の倍数になっています。例えば旧暦1月5日や12月30日は大安ですね。

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#990 浮世をば 今こそ渡れ 武士の ・・・

【旧 五月八日 赤口】夏至・乃東枯(なつかれくさかるる)

●切腹のおはなし●

 今日は"HARA-KIRI"のお話。今から433年前の今日、1582年6月23日(天正10年6月4日)、すなわち「本能寺の変」の2日後のことでした。梅雨の長雨に乗じて備中高松城を水攻めにしていた羽柴秀吉は、「信長死す」の情報を秘匿したまま、城主の清水宗治の首と引き換えに、和議を結ぶことに成功しています。その後の「中国大返し」と「山崎の戦い」は周知の通り。この清水宗治の切腹は、私たちが普通に知っている武士の作法による名誉の切腹の嚆矢となるものでした。切腹という行為自体は源為朝が斬首を嫌って腹を切ったというのが始まりですが、その後の切腹も、恨みを表現するための「無念腹」がほとんどでした。

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Photo:清水宗治(宇梶剛士)の最期 ~『軍師官兵衛』(2014年 NHK)

浮世をば 今こそ渡れ 武士《もののふ》の 
名を高松の 苔に残して
  ~清水宗治

このはかない世の中を、今こそ去り行こう。武士の
名を高めるという高松の苔にその名を残して。

 清水宗治の辞世です。享年46。宗治は、城内と寄せ手の兵たちが見守る中、船を漕ぎ出し、ひとさし舞ったあと腹を切って、介錯人に首を落とさせるという見事な最期を演出しました。秀吉をして、「宗治は武士の鑑であった」と言わしめ、これ以後は、武士に対して名誉の死を与える場合に切腹を命じるという習慣が始まったのです。清水宗治の切腹がなければ豊臣秀次や千利休も、いや、もっと後の赤穂浪士も、打首か、悪くすれば磔になっていたかもしれません。

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#868 言問はぬ 木すら妹と兄ありといふを ・・・ 他全三首

【旧 一月三日 先負】雨水・土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

●「妹《いも》」のおはなし●

 今日は万葉集によく出てくる「妹《いも》」のお話。ご存知の通り、男性が自分の恋人や妻のことをそう呼ぶのですが、さてその彼女が自分より年長だった場合も「妹」と呼ぶのでしょうか。『大辞林』で調べてみました。大辞林では3つの歌を例にとって、解説されていて疑問氷解です。

150221_言問はぬ木すら妹と兄ありといふを.jpg
Photo:平城京天平祭(奈良県奈良市)から

 ①男性から見て、同腹の女の兄弟をいう語。年上にも年下にもいう。
言問はぬ 木すら妹と兄《せ》ありといふを 
ただ独り子に あるが苦しき
  ~市原王《いちはらのおほきみ》 『万葉集』 巻6-1007 雑歌

言葉を口にしない木にだって兄妹の木があるのに
私は一人っ子であるのがつらいのだよ。

 ②男性が自分の恋人や妻をいう語。
旅にあれど 夜は火灯し 居る我を 
闇にや妹が 恋ひつつあるらむ
  ~壬生宇太麿《みぶのうたまろ》 『万葉集』 巻15-3669 贈答歌

旅にあっても、夜は火を灯している私なのに
闇のような思いで妻は私を恋い慕ってくれているのだろう。

 ③一般に、女性を親しんで呼ぶ称。女性からもいう。
風高く 辺には吹けども 妹がため 
袖さへぬれて 刈れる玉藻そ
  ~紀女郎《きのいらつめ》 『万葉集』 巻4-0782 相聞歌

風も空高く海辺に吹いていたけれど、あなたのために
袖まで濡らして刈り取ってきた玉藻なのよ。

 ③の、女同士でも「妹」を使うというのはあまり知られていないかもしれません。もちろんこれも年齢に関係ありません。ちなみに「妹」の反対語は、「兄《せ》」または「背《せ》」。あと「君」も同じ意味で男性に対して使われます。①にあるように「妹」と同じく「兄」の字を使っていても年上とは限りません。また、③の例のように男同士でも親しい友人であれば使われることがあります。

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