万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

奈良

#4494 朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪

令和7年1月23日(木) 【旧 一二月二四日 大安】 大寒・款冬華(ふきのはなさく)

朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
  ~坂上是則 (生没年不詳)『古今和歌集』 巻6-0332 冬歌

空がほのかに明るくなりはじめた早朝、有明の月が出ているのかと思うほどに吉野の里には白々と雪が降っているよ。

250123_朝ぼらけ有明の月とみるまでに
Photo:吉野山の雪景色 ~なら旅ネット

 年が明けても春にはまだまだ遠い大寒の真っ只中。北国や山地では雪が降り続きます。「小倉百人一首」の31番に採られたこの歌の出典は『古今和歌集』。詞書には「大和国にまかれりける時に雪の降りけるを見てよめる」とあって、坂上是則は延喜8(908)年に大和国の権少掾《ごんのしょうじょう》として赴任した時の経験を詠んだものと思われます。権少掾は国司の三等官。主に書記業務や雑務に携わる官職で位階は従七位上相当。五位以上を貴族と呼ぶので、それほど身分が高くはない役人でした。

み吉野の山の白雪つもるらし ふるさと寒くなりまさるなり
  ~同 『古今和歌集』 巻6-0325 冬歌

吉野の山では雪が積もっているに違いない。奈良の古京がこんなに寒くなっているのだから。

 こちらも吉野の雪を詠んだ歌ですが、「奈良の京にまかれりける時に、やどれりける所にてよめる」との詞書があります。これは旧都平城京に宿泊した時の寒さから雪に埋もれた吉野を想像しているようです。あまり気が進まない吉野への赴任途上の歌ではないでしょうか。

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#4469 みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に かげ つぶら なる たま の みすまる

令和6年12月29日(日) 【旧 一一月二九日 先負】 冬至・「麋角解(さわしかのつのおつる)」

みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に かげ つぶら なる たま の みすまる
(御仏の光すがしき胸の辺に影つぶらなる珠のみすまる)
  ~會津八一(1881-1956)『山光集』西の京

 會津八一が薬師寺東院堂の聖観世音菩薩像を拝して詠んだ歌。「みすまる」の「み」は接頭語の「御」。「すまる」は集まって一つになること。珠で作った首飾りや腕輪などの輝きを描写しています。

241229_御身拭といふこと知りぬ朝茜
Photo:薬師寺の「お身拭い」行事。写真は金堂の薬師三尊像 ~なら旅ネット

 今日、12月29日は薬師寺の恒例行事である「お身拭い」の日。薬師寺金堂の薬師三尊像、大講堂の弥勒三尊像、そして東院堂の聖観世音菩薩像の御体を順に浄布で拭い清めて新しい年を迎える準備が行われます。

御身拭といふこと知りぬ朝茜
  ~柴田白葉女(1906-1984)『月の笛』

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#4466 このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも

令和6年12月26日(木) 【旧 一一月二六日 赤口】 冬至・「麋角解(さわしかのつのおつる)」

鹿の角先《まづ》一節《ひとふし》のわかれかな
  ~松尾芭蕉(1644-1694)

 鹿の角が一節目に二股に別れていく事をもって、奈良で出会った弟子たちとの別れの言葉とした芭蕉の句です。

241226_鹿の角先一節のわかれかな
Photo:私の角立派でしょ! ~photoAC(りくそらZ5さん)

 昨日までサンタのそりを曳いて大活躍のトナカイさんでした。今日は故郷フィンランドに帰ってゆっくり休んでもらいましょう。また来年お逢いできますように。ということで、今日から12月30日までの5日間は七十二候の第65候「麋角解(おおしかのつのおつる)」。二十四節気「冬至」の次候にあたります。「麋」は見慣れない漢字ですが、大型の鹿の一種であるヘラジカまたはオオジカのことを指すといわれています。万葉集にも鹿の歌はたくさん詠まれていますが、ほとんどは秋の歌。俳句でも鹿は秋の季語になっています。

このころの朝明《あさけ》に聞けばあしひきの山呼び響《とよ》めさを鹿鳴くも
  ~大伴家持(718-785)『万葉集』 巻8-1603 雑歌

この頃は夜明けに耳をすませると山にこだまする男鹿の鳴き声が聞こえるよ。

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#4447 大口の真神原《まがみがはら》に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに

令和6年12月7日(土) 【旧 一一月七日 大安】 大雪・「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」

大口の真神原《まがみがはら》に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに
  ~舎人娘子《とねりのをとめ》 『万葉集』 巻8-1636 雑歌

大口の真神原に降る雪よ、ひどく降らないでおくれ。家もないのだから。

 「真神」はニホンオオカミを神格化したもの。「大口の」はその枕詞です。鹿や猪などの害獣から作物を守り、悪人を懲らしめてくれるものとして信仰されてきました。その名を冠した大和国の真神原は、奈良県高市郡明日香村の飛鳥寺を中心とした一帯を指します。

241207_大口の真神原に降る雪は
Photo:『鉄道員(ぽっぽや)』(1990年東映)から

 さて今日は二十四節気の21番目「大雪」。『暦便覧』には「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」とあります。期間としての「大雪」は次の「冬至」の前日までの半月間です。その初候12月10日までの4日間は七十二候の第61候「閉寒成冬(そらさむくふゆとなる)」。天地の気が塞がれ、本格的な冬に入ったという意味です。映画の中で大雪のシーンが印象的だったのは、『八甲田山』と『鉄道員(ぽっぽや)』かな。雪のイメージが全く異なりますけどね。

駅凍てゝ曠野につゞく深雪かな
  ~前田普羅(1884-1954)『飛騨紬』

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#4446 ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに

令和6年12月6日(金) 【旧 一一月六日 仏滅】 小雪・「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」

ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに
  ~舎人皇子《とねりのみこ》(676-735) 『万葉集』 巻9-1706 雑歌

ぬばたまのような漆黒の夜に霧が立ちこめている。高屋の上にたなびくほどに。

241206_ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の
Photo:舎人親王像模本(部分) ~東京大学史料編纂所

 「高屋」は奈良県桜井市の高家。甘樫丘から見ると多武峰の中腹にある高家地区を指すと思われます。舎人皇子とは天武天皇の皇子で、『日本書紀』の編纂に携わった舎人親王のことです。奈良時代前期には長屋王とともに皇親として政権の中心を担ったものの、「長屋王の変」では糺問使として長屋王を死に追いやる役目を担わせられています。淡路廃帝として知られる淳仁天皇は舎人親王の子でもありました。735年12月6日(天平7年11月14日)薨去。この歌の前には柿本人麻呂が舎人親王に献上した万葉歌が収録されています。

冬ごもり春べを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つわれぞ
  ~柿本人麻呂(660?-724?)『万葉集』 巻9-1705 雑歌

冬が終わって次に来る春を恋しく思って植えた木が、やがて実を結ぶ時を待ち遠しく思っている私ですよ。

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