令和6年12月8日(日) 【旧 一一月八日 赤口】 大雪・「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」
遠い時間の十二月八日には触れずけふ十二月八日のひぐれ
~志垣澄幸(1934-)『山河 志垣澄幸歌集』
歌人志垣澄幸氏は昭和9年台北市生まれ。敗戦後、母の故郷である宮崎に戻り教職につきます。作歌を始めると斎藤史に師事しました。

Photo:NHKアーカイブス
そんな志垣氏にとっての「12月8日」はもちろんのこと昭和16年12月8日。日本中がラジオから聞こえる真珠湾攻撃「大成功」のニュースと軍艦マーチで沸き立ったぬか喜びの日でした。日本中が、と書きましたが、この戦争を始めたことに疑問や不安を抱いた知識人はおそらく少なくはなかったでしょう。しかしこの日以降、反戦論はすべて封じ込められ、逆に4年後に敗戦を迎えるとかつて威勢の良かった交戦論者が口をつぐみ、ラジオや新聞も臆面もない掌返しを行います。戦争は権力者に簡単に操られる「世論」というものの脆さを端的に教えてくれます。
釈迦が悟りひらきしも十二月八日なれどこの日忘れえぬ時代を生きて
~同 『青の世紀 歌集』
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遠い時間の十二月八日には触れずけふ十二月八日のひぐれ
~志垣澄幸(1934-)『山河 志垣澄幸歌集』
歌人志垣澄幸氏は昭和9年台北市生まれ。敗戦後、母の故郷である宮崎に戻り教職につきます。作歌を始めると斎藤史に師事しました。

Photo:NHKアーカイブス
そんな志垣氏にとっての「12月8日」はもちろんのこと昭和16年12月8日。日本中がラジオから聞こえる真珠湾攻撃「大成功」のニュースと軍艦マーチで沸き立ったぬか喜びの日でした。日本中が、と書きましたが、この戦争を始めたことに疑問や不安を抱いた知識人はおそらく少なくはなかったでしょう。しかしこの日以降、反戦論はすべて封じ込められ、逆に4年後に敗戦を迎えるとかつて威勢の良かった交戦論者が口をつぐみ、ラジオや新聞も臆面もない掌返しを行います。戦争は権力者に簡単に操られる「世論」というものの脆さを端的に教えてくれます。
釈迦が悟りひらきしも十二月八日なれどこの日忘れえぬ時代を生きて
~同 『青の世紀 歌集』


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