令和6年7月31日(水) 【旧 六月二六日 先勝】・大暑 「土潤溽暑」(つちうるおうてむしあつし)
我妹子《わぎもこ》に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
~作者未詳 『万葉集』 巻11-2695 寄物陳思
あの娘に逢う機会がなかなかないから、私の心は富士山のように燃え続けるのだろうか。

「富士のように燃えている」とあるように、この時の富士山は煙を吐いていました。『続日本紀』巻36「光仁天皇」編にこんな記述があります。1243年前の今日の記事です。
天応元年7月6日(西暦781年7月31日)駿河国が「富士山の麓に灰が降って、灰のかかったところは木の葉が萎えしおれました」と言上した。
~宇治谷孟 全現代語訳『続日本紀』(下)より
これが富士山の噴火についての最古の記録とされています。以降平安時代の西暦800年から1083年までの間に12回の噴火記録が残されました。直近では1707年の宝永の大噴火があり、それから317年間沈黙したまま今に至ります。私が習った時は「休火山」とされていましたが、今は「死火山」とともにこの言葉は使われなくなっていて、富士山は「活火山」に区分されています。
はれて候又曇り候ふじ日記
~宝井其角(1661-1707)
宝井其角は宝永4年4月に亡くなっています。宝永の大噴火は同年11月でした。噴火を見ていたらどんな俳句を詠んだことでしょうか。
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我妹子《わぎもこ》に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
~作者未詳 『万葉集』 巻11-2695 寄物陳思
あの娘に逢う機会がなかなかないから、私の心は富士山のように燃え続けるのだろうか。

Photo:本栖湖と富士山 ~山梨県HPより
「富士のように燃えている」とあるように、この時の富士山は煙を吐いていました。『続日本紀』巻36「光仁天皇」編にこんな記述があります。1243年前の今日の記事です。
天応元年7月6日(西暦781年7月31日)駿河国が「富士山の麓に灰が降って、灰のかかったところは木の葉が萎えしおれました」と言上した。
~宇治谷孟 全現代語訳『続日本紀』(下)より
これが富士山の噴火についての最古の記録とされています。以降平安時代の西暦800年から1083年までの間に12回の噴火記録が残されました。直近では1707年の宝永の大噴火があり、それから317年間沈黙したまま今に至ります。私が習った時は「休火山」とされていましたが、今は「死火山」とともにこの言葉は使われなくなっていて、富士山は「活火山」に区分されています。
はれて候又曇り候ふじ日記
~宝井其角(1661-1707)
宝井其角は宝永4年4月に亡くなっています。宝永の大噴火は同年11月でした。噴火を見ていたらどんな俳句を詠んだことでしょうか。


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