万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

戦争

#4820 自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず

令和7年12月16日(火) 【旧 10月27日 赤口】 大雪・熊蟄穴(くまあなにこもる)

戦車ゆきがりがりと地を掻きすすむ
  ~三橋敏雄(1920-2001)

 1944年12月16日、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線における重要な戦いが始まりました。連合軍がノルマンディ上陸を果たした後、劣勢となったドイツ軍はベルギー南東部のアルデンヌの森から北西へ進撃してアントワープを占領することを企図したのです。戦車と突撃砲970輌を投入したヒトラー最後の大規模反撃「ラインの守り作戦(Unternehmen Wacht am Rhein)」です。

251216_戦車ゆきがりがりと地を掻きすすむ
Photo:バルジの戦いの米軍側記録映像 ~THE TANK MUSEUM

 アメリカ軍はこの動きを全く予期しておらず、さらにアルデンヌには実戦経験のない師団ばかりが配属されていたため、当初のドイツ軍の奇襲は成功を収めました。しかし戦闘は翌年1月25日まで続くことになります。最終的には連合軍の逆転勝利となりましたが、連合軍84万人とドイツ軍50万人を投じ、戦傷死・行方不明をあわせて両軍で20万人を消耗する激戦となったのです。後に「アルデンヌの戦い」または「バルジの戦い」と呼ばれたこの戦いは多くの戦争映画でも描かれています。

自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつ振り返り見ず
  ~宮柊二(1912-1986)


Youtube:ワーナー映画『バルジ大作戦』より(1965年ケン・アナキン監督)

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#4786 戦争をまだ知らざりき凍土といふ語を教はりし童女のころは

令和7年11月12日(水) 【旧 9月23日 先勝】 立冬・地始凍(ちはじめてこおる)

凍土《いてつち》を踏みて淋しき人訪はむ
  ~小坂順子(1918-1993)

 二十四節気「立冬」の次候は七十二候の第56候「地始凍(ちはじめてこおる)」。日ごとに寒さが強まり、大地も凍り始める季節です。凍てついた大地を踏みしめるという経験は都会育ちの私にはあまり経験がありません。数年前に北海道の大雪山に行った時がたしか最後だったような気がします。

251112_凍土を踏みて淋しき人訪はむ
Photo:FREEP!K

 ところで凍土を訓読みで「いてつち」と読めば文学的香りがしますが、音読みで「とうど」と読めばイメージは一変します。特に先の大戦を直接経験された方や、満州での戦いやシベリア抑留の話をさんざん聞かされていた私のような戦後生まれの世代には、また違った響きを感じる言葉に変わってしまいます。岩手県出身の歌人大西民子は終戦の年、釜石高等女学校の教諭でした。

戦争をまだ知らざりき凍土《とうど》といふ語を教はりし童女のころは
  ~大西民子(1924-1994)

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#4736 秋分のおはぎを食へば悲しかりけりわが佛なべて満州の土

令和7年9月23日(火) 【旧 8月2日 先負】 秋分・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)

嶺聳《そばだ》ちて秋分の闇に入る
  ~飯田龍太(1920-2007)

 今日は二十四節気16番目の「秋分」。『暦便覧』では秋分について「陰陽の中分なれば也」と記されており、昼と夜の時間がほぼ当分になることはよく知られています。飯田龍太の俳句も山の峰が高く聳え立っていて、この日を境に少しずつ夜のほうが長くなっていくことを詠んでいます。


 さらにもう一つ、この日の太陽は真東から昇り真西に沈むことから、御仏の住む西方浄土に向かって祈る「彼岸会」の日とされています。古来宮中で「秋季皇霊祭」が行われており、明治時代以来休日とされていましたが、昭和23年には「秋分の日」と名称が改められて国民の祝日とされました。

秋分のおはぎを食へば悲しかりけりわが佛なべて満州の土
  ~山本友一(1905-1994)

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#4713 龍三よ八月だけやないんやで笑つてゐない軍装の父

令和7年8月31日(日) 【旧 7月9日 先負】 処暑・天地始粛(てんちはじめてさむし)

八月盡おいてきぼりの蝉が鳴く
  ~高澤良一(1940-)『素抱』

 8月6日広島・9日長崎・12日御巣鷹・15日終戦、その他にも各地に空襲や災害で亡くなった方の慰霊の日が続いた8月。それぞれは「記念日」ではなく、二度と起こらぬように祈る「祈念日」です。そんな8月も今日でおしまい。もちろん祖先の霊を慰めるお盆もこの月にあります。

250831_龍三よ八月だけやないんやで
Photo:前列中央が私の父です。

 戦争が始まった昭和21年、父は29歳でした。私以外の兄と姉はすでに生まれて、一番下の兄は母の胎内、末っ子の私が生まれたのはずっと遅れて戦後7年経ってから。ようやく戦後の苦しい生活から立ち直りかけた幸運な時代の生まれと言っていいでしょう。戦時中は健康を阻害していた父は徴兵検査で丙種国民兵役と判定され、満州行きを外されたからこそ、今の私がたまたまここにいる。そんなことにも最大限の感謝しないといけません。

龍三よ八月だけやないんやで笑つてゐない軍装の父
  ~林龍三(1952-) 『塔』 2019年11月号

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#4712 いまも持つ銀座の露店にもとめたる進駐軍の漫画本あはれ

令和7年8月30日(土) 【旧 7月8日 友引】 処暑・天地始粛(てんちはじめてさむし)

追撃兵向日葵の影を越え斃れ
  ~鈴木六林男(1919-2004)『荒天』

 大阪出身の俳人、鈴木六林男《すずきむりお》はフィリピンのバターン半島とコレヒドール要塞戦に従軍しており、激戦の中でバタバタと戦友が倒れゆく光景を多くの俳句に残しました。1942年3月11日、この戦いに敗れた敵の司令官は「I shall return」のセリフを残して脱出したダグラス・マッカーサーでした。実際にマッカーサーは1944年10月20日にレイテ島に上陸し、フィリピン奪還に成功。そして今からちょうど80年前の1945年8月30日にはコーンパイプを咥えて厚木飛行場に降り立っています。

250830_追撃兵向日葵の影を越え斃れ
Photo:1945年8月30日 厚木基地に降り立ったマッカーサー元帥

 マッカーサーは、元帥である自分に何の相談もなく行われた広島・長崎への原爆投下を痛烈に批判しています。日本がソ連に和平交渉仲介を打診した時点で、すでに抗戦の意思も余力もなかったことが明らかだったと言うのです。また、こんな言葉も残しています。「日本はただ国家防衛のために戦っただけである」と。私見ですが、占領軍の最高司令長官が彼でなかったならば天皇制も廃止され、北海道もソ連の領土となっていたという恐ろしい可能性は否定できません。

いまも持つ 銀座の露店にもとめたる 進駐軍の漫画本あはれ
  ~岡野弘彦(1924-)「角川短歌2012年9月号」

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