万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

戦争

#4453 太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり

令和6年12月13日(金) 【旧 一一月一三日 大安】 大雪・「熊蟄穴(くまあなにこもる)」

太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり
  ~正田篠枝 『さんげ』

241213_太き骨は先生ならむそのそばに
Photo:12月10日 ノーベル平和賞授賞式でスピーチする日本被団協の田中熙巳さん ~HUFFPOST

 正田篠枝さんの歌集『さんげ』は原爆投下からわずか2年後の1947年、原爆に関する出版が禁止されていた中、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲を逃れる秘密出版で150部発行されました。厳罰を恐れて反対する声も多く、協力者もない中、広島刑務所の中で印刷したと言います。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は戦後11年目の1956年に原爆被害者の全国組織として結成されました。そして今年、ノーベル平和賞を受賞。平和賞の受賞者に関しては、時としてなんでこの人が受賞するの、と賛否がある場合もありましたが被団協の受賞に疑問を呈する人はおそらくいないのではないでしょうか。

供華絶えぬ原爆慰霊碑に舞ふ小雪
  ~清水和子 『酸漿』

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#4448 遠い時間の十二月八日には触れずけふ十二月八日のひぐれ

令和6年12月8日(日) 【旧 一一月八日 赤口】 大雪・「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」

遠い時間の十二月八日には触れずけふ十二月八日のひぐれ
  ~志垣澄幸(1934-)『山河 志垣澄幸歌集』

 歌人志垣澄幸氏は昭和9年台北市生まれ。敗戦後、母の故郷である宮崎に戻り教職につきます。作歌を始めると斎藤史に師事しました。

241208_遠い時間の十二月八日には触れずけ
Photo:NHKアーカイブス

 そんな志垣氏にとっての「12月8日」はもちろんのこと昭和16年12月8日。日本中がラジオから聞こえる真珠湾攻撃「大成功」のニュースと軍艦マーチで沸き立ったぬか喜びの日でした。日本中が、と書きましたが、この戦争を始めたことに疑問や不安を抱いた知識人はおそらく少なくはなかったでしょう。しかしこの日以降、反戦論はすべて封じ込められ、逆に4年後に敗戦を迎えるとかつて威勢の良かった交戦論者が口をつぐみ、ラジオや新聞も臆面もない掌返しを行います。戦争は権力者に簡単に操られる「世論」というものの脆さを端的に教えてくれます。

釈迦が悟りひらきしも十二月八日なれどこの日忘れえぬ時代を生きて
  ~同 『青の世紀 歌集』

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#4421 日本の終戦がすなはち韓国の解放記念日と聞きてたじろぐ

令和6年11月11日(月) 【旧 一〇月一一日 友引】立冬・山茶始開(つばきはじめてひらく)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
  ~俵万智(1962-)『サラダ記念日』

241111_日本の終戦がすなはち韓国の
Photo:独立記念日を祝うポーランドの人々

 今日は「なんとか記念日」のお話。11月11日は登録されている「記念日」が一年で最も多い日です。1111の並びを何かに見立てて「ポッキーの日」、あるいはや十一十一で「電池の日」だとかイレブン同士で戦うから「サッカーの日」だとか。だから何をすればいいのかわからないけど、結局は日本が平和な証拠かもしれません。ちなみにWikipedia によると「日本記念日協会」が認定した記念日は59件あるそうです。一方、欧米では1918年11月11日に第一次世界大戦が終結したことに由来した「戦没者追悼記念日」(英・加)や「退役軍人の日」(米)、あるいは終戦後に独立を勝ち取ったポーランドでは「独立記念日」にもなっています。一口に「記念日」と言っても様々な背景があるものです。

日本の終戦がすなはち韓国の解放記念日と聞きてたじろぐ
  ~秋山佐和子(1947-)

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#4402 レイテ沖戦にて果てし友偲び深まる秋にひとり香を焚く

令和6年10月24日(木) 【旧 九月二二日 赤口】霜降・霜始降(しもはじめてふる)

レイテ沖戦にて果てし友偲び深まる秋にひとり香を焚く
  ~光嶋瀬市郎

241024_レイテ沖戦にて果てし友偲び
Photo:フィリピン沖海戦で米軍機の攻撃を受て沈没した空母「瑞鳳」

 太平洋戦争における「フィリピン沖海戦」(米側呼称では「レイテ沖海戦」)と呼ばれる一連の戦いが行われたのは1944年10月20日から25日にかけて。この戦いで日本は空母・戦艦・巡洋艦・駆逐艦など26艦と投入した600の航空機のほとんどを失い、戦死者は7,475~10,000名。数艦が脱出したものの帝国海軍はこの海戦において事実上消滅しました。また、終戦まで続いた「レイテ島の戦い」では79,261名の戦死者を出しています。冒頭に掲げた短歌の作者光嶋瀬市郎さんはレイテ奪還のために投入された軽巡洋艦「矢矧」の機銃要員でした。またこの戦いで特筆すべきは初めて神風特攻隊が組織的に運用されたこと。太平洋戦争はこの戦いをもって日本の敗戦が事実上決定していたのです。

歌詠みて頭髪・爪を残しゆき「特攻」の友は二十歳なりき
  ~同

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#4326 盛大に花火を上げむポスターのまたうつくしく原爆忌来る

令和6年8月9日(金) 【旧 七月六日 赤口】・立秋 「涼風至」(すずかぜいたる)

盛大に花火を上げむポスターのまたうつくしく原爆忌来る
  ~竹山広(1920-2010)

 竹山広は長崎に生まれ、多くの原爆の歌を残した歌人です。原爆忌といえば真っ先にヒロシマを思い浮かべ、海外の多くの要人が訪れるのは広島ですが、その3日後の8月9日には長崎でも7万4千人が犠牲になっていることをもっと知ってもらわなくてはなりません。記念式典にイスラエルを招待しなかったことがニュースになっていますが、本当はロシアなどの核兵器を保有する戦争当事国にこそ参加してもらいたい式典ではないでしょうか。

240809_姉ちやんたちは燃えてしもうた長崎忌
Photo:少女の手記が刻まれた平和の泉 ~travel nagasaki

 広島に投下したリトルボーイが高濃縮ウランを用いたガンバレル型であったのに対して、長崎に投下したファットマンはプルトニウムを用いたインプロージョン方式の原子爆弾でした。終戦後、アメリカでは広島型の開発を中止して、プルトニウム型の原爆による核武装を選択しました。米国はこの時の日本がポツダム宣言を受け入れざるを得ない状況になっていたことを読んでいました。したがって、せっかく開発した原子爆弾の威力を比較する実験を終戦前に行ってしまいたかったのだと思わざるを得ません。戦中の日系人への迫害を謝罪した合衆国ですが、原爆投下に対しては「戦争を終えるのに必要であった」という立場を変えていません。

姉ちやんたちは燃えてしもうた長崎忌
  ~松崎鉄之介(1918-2014)

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