令和6年6月8日(土) 【旧 五月三日 先勝】・芒種 螳螂生(かまきりしょうず)
あづまぢの 野島が崎の はま風に わが紐ゆひし 妹がかほのみ 面影に見ゆ
~藤原顕輔(1090-1155)『千載和歌集』 巻18-1166 雑歌下
東路の、野島が崎の浜風に吹かれていると、衣の紐を結んでくれた妻の面影がしきり浮かんでくるよ。
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あづまぢの 野島が崎の はま風に わが紐ゆひし 妹がかほのみ 面影に見ゆ
~藤原顕輔(1090-1155)『千載和歌集』 巻18-1166 雑歌下
東路の、野島が崎の浜風に吹かれていると、衣の紐を結んでくれた妻の面影がしきり浮かんでくるよ。
「野島が崎」は千葉県房総半島最南端の岬です。この和歌は旋頭歌《せどうか》といわれる変則的な歌ですが『万葉集』にもある一般的な旋頭歌は五七七五七七の形式なのにここでは五七五七七七になっています。俳句でいうところの句またがりのような歌ですね。


Photo:関東最南端 野島が崎の夕景 ~トラベルjp
藤原顕輔《あきすけ》は平安時代後期の公卿。歌人としては崇徳院から勅撰集撰進を任され、『詞花集』を完成させました。「小倉百人一首」の79番には『新古今和歌集』から顕輔の有名なこの歌が採られています。
秋風にたなびく雲の絶えまより漏れ出づる月の影のさやけさ
~左京大夫顕輔 『新古今和歌集』巻4-0413 秋歌上
秋風にたなびいている雲の切れ目から漏れる月の光のなんと冴え冴えとした景色であろうか。
1155年6月8日(久寿2年5月7日)64歳で没。病床で死期を悟った顕輔が最後に詠んだ歌がこちら。この歌の後に「こののち病おもくなりて、五月七日になむ隠れはべりにける」と注釈されていますので、歌を詠んだ後、病状が急変したのでしょう。
かばかりの花の匂ひをおきながら又も見ざらむことぞ悲しき
~同 『左京大夫顕輔卿集』 0143
このような花の美しさを再び起き上がって見ることが叶わぬのは悲しいことだ。
かばかりの花の匂ひをおきながら又も見ざらむことぞ悲しき
~同 『左京大夫顕輔卿集』 0143
このような花の美しさを再び起き上がって見ることが叶わぬのは悲しいことだ。


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