万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

#4629 星おほみはれたる空は色こくて吹くとしもなき風ぞ涼しき

令和7年6月8日(日) 【旧 5月13日 大安】 芒種・「蟷螂生(かまきりしょうず)」

爛々と昼の星見え菌《きのこ》生え
  ~高浜虚子(1874-1959)

 1947(昭和22)年10月14日に詠まれたことから、この日に「昼の星」が見えたとすれば、おそらくは土星であろうと考えられています。

250608_星おほみはれたる空は色こくて
Photo:土星探査機カッシーニとジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ ~Wikipedia

 今日は土星の気象の観測を行い、4つの衛生を発見したフランスの天文学者(出身はイタリア)ジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(1625-1712)の生誕400年に当たります。土星のリングが複数の輪で構成されていることもこの人が発見しており、最も広い隙間は「カッシーニの間隙」と呼ばれています。他にもカッシーニは木星と火星の自転周期の算出、木星の4つの衛星の運行表や月面図を作成するなどの功績を残しました。なんと、日本ではまだ徳川家綱・綱吉の時代のことだから驚きです。彼にちなんで、1997年に打ち上げられたアメリカの土星探査機や月面のクレーター、火星のクレーターなどにも「カッシーニ」の名が命名されています。

星おほみはれたる空は色こくて吹くとしもなき風ぞ涼しき
  ~藤原為子(1251?-1316?)『風雅和歌集』 0393 夏歌

星がたくさん出ている晴れた夜空は闇の色が濃くて、吹くと言うほどでもない風が涼しいですね。

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#4628 満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり

令和7年6月7日(土) 【旧 5月12日 仏滅】 芒種・「蟷螂生(かまきりしょうず)」

満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり
  ~寺山修司(1935-1983)『月蝕書簡』

 英国の俳優、クリストファー・リーをご存知でしょうか。身長193cm、1958年の『吸血鬼ドラキュラ』で一躍有名になった俳優で、以後出演した映画は250本以上。その多くは怪奇映画の怪人や悪役でした。007やロード・オブ・ザ・リング、スター・ウォーズなど数々のシリーズ映画にも出演してその怪演ぶりを遺憾なく発揮してきました。

250607_満月に墓石はこぶ男来て
Photo:Sir Christopher Frank Carandini Lee(1922-2015)

 「世界で最も多くの映画に出演した俳優」・「存命するクレジットタイトル最多登場俳優(2007年)」・「死亡したシーンを最も多く持つ俳優」、そんなギネス記録を持つ世界一のバイプレーヤーでもあります。彼が本当に亡くなったのはちょうど10年前の今日、2015年6月7日、93歳でした。呼吸器疾患が原因でしたが、90歳を過ぎても俳優・声優・ナレーターなどの出演オファーが絶えなかったそうです。

吸血鬼目覚めてゐたり流れ星
  ~黒川俊郎(1945-)『吸血鬼』

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Photo:『吸血鬼ドラキュラ』・『ロード・オブ・ザ・リング』・『スターウォーズ』のクリストファー・リー

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#4526 ヒマラヤの樹の間岩間の羊腸折うらさびしきに杜鵑啼く

令和7年2月24日(月) 【旧 1月27日 先負】 雨水・霞始靆(かすみはじめてただよう)

ヒマラヤの樹の間岩間の羊腸折《つづらをり》うらさびしきに杜鵑啼く
  ~河口慧海(1866-1945)『チベット旅行記』

250224_菩提樹の梢に月のとゞまりて
Photo:河口慧海と『チベット旅行記(抄)』

 黄檗宗の僧で仏教学者、そして探検家でもある河口慧海《かわぐちえかい》が亡くなったのは1945年2月25日。今日は80年目の命日に当たります。昨日掲載した天皇陛下の御製と同じく詠まれた場所はヒマラヤ。この人物、あまり知られていませんが、1897(明治30)年に仏教修行のため、当時は鎖国状態で日本人が足を踏み入れることのできなかったチベットに間道を縫って潜入し、現地では「シナ人」と偽ってダライ・ラマ13世にも面会した人物です。危うく日本人であるという素性が露見する直前にラサを脱出したという、インディー・ジョーンズのような冒険をしています。


 慧海はわが町大阪府堺市の出身。若い頃は宿院小学校の教員をしていました。生誕地に近い南海電車七道駅前に河口慧海の銅像が建てられており、カトマンズにもネパールと日本との友好を示す「河口慧海訪問の記念碑」が設置されています。

菩提樹の梢に月のとゞまりて明けゆく空の星をしぞ思ふ
  ~同

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#4509 ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を

令和7年2月7日(金) 【旧 1月10日 仏滅】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)

ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を
  ~後朱雀天皇(1009-1045)『後拾遺和歌集』 巻11-0604 恋歌一

ほんの少しでもよいから知らせてほしいものだ。春霞の中であなたを思うように心細いのだから。

 第69代後朱雀天皇が亡くなったのは今から980年前。肩の悪性腫瘍の為、1045年2月7日(寛徳2年1月18日)に崩御されています。『光る君へ』の終盤に少年時代の姿が登場していましたね。

250207_ほのかにもしらせてしがな春霞
Photo:敦良親王(後朱雀天皇) ~NHK大河ドラマ『光る君へ』より

 後朱雀天皇(敦良《あつなが》親王)が後一条天皇の下で立太子したのは9歳の時(1017年)。この歌を贈ったのは尚侍《ないしのかみ》であった藤原道長の娘嬉子でした。嬉子はその後即位した後朱雀天皇に入内し、親仁親王(後冷泉天皇)を生んでいます。後朱雀天皇自身も上東門院彰子(道長の娘)の子であることから、甥と叔母、3親等の関係。この当時の皇室は近親婚が多かったので珍しいことではありません。ちなみに後朱雀天皇の皇后は道長の娘藤原妍子《きよこ》の娘禎子《さだこ》であり、こちらとは4親等の従兄妹なので現在でも問題のない関係です。他に中宮として藤原頼通の娘嫄子《よしこ》がいましたが、彼女に先立たれてから1年後の七夕の日に詠んだ天皇の歌が同じ歌集の中にありました。

250207_かすみのうちにおもふ心を
Photo:後朱雀天皇 駒競行幸絵巻

こぞのけふ別れし星も逢ひぬめりなどたぐひなきわが身なるらん
  ~同 『後拾遺和歌集』 巻15-0897 雑歌一

去年の今日別れた七夕の星も今宵は会っているだろうに、それに比べるべくもない悲しい我が身であることよ。

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#4471 隔てゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮れかな

令和6年12月31日(火) 【旧 一二月一日 赤口】 冬至・「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」

年の暮によみ侍りける
隔てゆく世々の面影かきくらし雪とふりぬる年の暮れかな
  ~藤原俊成女『新古今和歌集』 巻6-0693 冬歌

年を隔てて、過ぎていった年々の思い出が降る雪とともに古びてゆく、そんな年の暮れでありますよ。

241231_隔てゆく世々の面影かきくらし
Photo:京都東山の雪景色 ~京都の雪景色案内

 大晦日の今日は七十二候の第66候「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」。積もった雪の下で、秋に蒔かれた麦がひっそりと芽を出す頃。二十四節気「冬至」の末候にあたります。我が家はこれという不幸もなく無事に一年を過ごすことができましたが、例年のごとく国内では不幸な災害や事件があり、海外では政情不安や戦乱が絶えませんでした。俊成女《しゅんぜいのむすめ》が歌にしたように、そんな毎年の出来事もどんどん古い記憶として塗り替えられてしまいます。明るく輝かしい色に変わっていくことを願いたいところですね。

オリオンへ向く大年の滑走路
  ~奧坂まや(1950-)

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