令和7年9月13日(土) 【旧 7月22日 仏滅】 白露・鶺鴒鳴(せきれいなく)
風鈴や水面に残る風のあと
~水谷砕壺(1903-1967)
徳島県に生まれた水谷砕壺《みずたにさいこ》は関西学院在学中に日野草城と出会い、現在の大阪市此花区に拠点をおいて活動した俳人です。大阪市此花区というのはユニバーサル・スタジオ・ジャパンのある所。そして大阪・関西万博の開催地でもあり、IRが建設される夢洲《ゆめしま》を擁する一大リゾート地として変貌しつつあります。その大阪・関西万博も10月13日まで。残す所ちょうどあと一ヶ月になりました。

Photo:幻想的な大屋根リングの夜景 (大阪市此花区)~CNET Japan
さて「此花区」はもともと西区と北区の一部でした。1925(大正14)年に元の区から分離して創設された当時には様々な名称が候補に挙げられたましたが、いずれも野田区や四貫島区など、地元の地名をとるものだったために結局決着がつず、そこで持ち出されたのがこの和歌の結句でした。
難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花
~王仁《わに》 『古今和歌集』 仮名序
難波津にこの花が咲いたよ。冬の間はこもっていたが、いよいよ春だというのでこの花が咲いたんだよ。
『万葉集』成立以前に詠まれ、「難波津の歌」とも呼ばれるこの歌は百人一首の競技かるたの序歌にも使われています。ちなみに奈良時代以前に詠まれた歌の「花」とは桜ではなく梅のこと。いずれにしても、素敵な名称を区名にしたものです。もう一つ、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」において大阪市のパビリオンとして建設された日本最大の温室にも「咲くやこの花館」という名称が採られています。
Youtube:咲くやこの花館(大阪市鶴見区)
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風鈴や水面に残る風のあと
~水谷砕壺(1903-1967)
徳島県に生まれた水谷砕壺《みずたにさいこ》は関西学院在学中に日野草城と出会い、現在の大阪市此花区に拠点をおいて活動した俳人です。大阪市此花区というのはユニバーサル・スタジオ・ジャパンのある所。そして大阪・関西万博の開催地でもあり、IRが建設される夢洲《ゆめしま》を擁する一大リゾート地として変貌しつつあります。その大阪・関西万博も10月13日まで。残す所ちょうどあと一ヶ月になりました。

Photo:幻想的な大屋根リングの夜景 (大阪市此花区)~CNET Japan
さて「此花区」はもともと西区と北区の一部でした。1925(大正14)年に元の区から分離して創設された当時には様々な名称が候補に挙げられたましたが、いずれも野田区や四貫島区など、地元の地名をとるものだったために結局決着がつず、そこで持ち出されたのがこの和歌の結句でした。
難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花
~王仁《わに》 『古今和歌集』 仮名序
難波津にこの花が咲いたよ。冬の間はこもっていたが、いよいよ春だというのでこの花が咲いたんだよ。
『万葉集』成立以前に詠まれ、「難波津の歌」とも呼ばれるこの歌は百人一首の競技かるたの序歌にも使われています。ちなみに奈良時代以前に詠まれた歌の「花」とは桜ではなく梅のこと。いずれにしても、素敵な名称を区名にしたものです。もう一つ、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」において大阪市のパビリオンとして建設された日本最大の温室にも「咲くやこの花館」という名称が採られています。
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