万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

東京

#4784 三基あるエレベーターがばかだからみんなして迎えに来てしまう

令和7年11月10日(月) 【旧 9月21日 大安】 立冬・山茶始開(つばきはじめてひらく)

三基あるエレベーターがばかだからみんなして迎えに来てしまう
  ~山階基 『風にあたる』

 あるあるの光景ですね。せっかく3基もあるのに、3基とも同じ階にあって同じ方向に動いてる。機械にチームワークを求めてはだめかと思うのですが、超最新のコントロールシステムだとこれを解決しているとか。

251110_秋晴れて凌雲閣の人小さし
Photo:東京百景(浅草凌雲閣)~ToMuCo

 そんなエレベーターの歴史を紐解けば、日本で初めて電動式のエレベーターが登場したのは今から135年前、1890(明治23)年11月10日のことでした。場所は東京の浅草。地上12階建ての高層ビル「凌雲閣」の落成とともに披露されました。今日はこれに由来して「エレベーターの日」とされています。当時は「浅草十二階」とも呼ばれ、大阪の通天閣、神戸の神戸タワーとともに「日本三大望楼」と称されたそうですが、1923(大正12)年の関東大震災で8階部分から折れるように崩壊し、以後再建されることはありませんでした。

秋晴れて凌雲閣の人小さし
  ~正岡子規(1867-1902)

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#4779 神無月伊藤哈爾濱に狙撃さるこの電報の聞きのよろしき

令和7年11月5日(水) 【旧 9月16日 赤口】 霜降・楓蔦黄(もみじつだきばむ)

神無月伊藤哈爾濱《ハルピン》に狙撃さるこの電報の聞きのよろしき
  ~与謝野鉄幹(1873-1935)『相聞《あいきこへ》』

 伊藤博文がハルピンの駅頭で韓国人過激派活動家安重根《アン・ジュングン》に暗殺されたのは明治42年10月26日のこと。この凶報は電報によって瞬く間に日本に伝わりました。「聞きのよろしき」とあるのはこれを聞いて喜んでいるわけではなく鉄幹は政治家としてまことに見事な最期であると考えたかったようです。

251105_神無月伊藤哈爾濱に狙撃さる
Photo:電報配達 ~文化遺産オンライン

 ということで今日11月5日は「電報の日」。電報を申込む電話番号115によるものですが、最近は「電報」という通信手段を使うことなどほとんどなくなりました。文字による通信としてはファクシミリ、電子メール、さらにはLINEなどのメッセンジャーアプリに進化し、今では結婚式や葬儀の際にしか電報に接することはありません。しかしそんなものがなかった明治時代の文人たちが俳句をそのまま電文にしてやり取りしていました。さて次の電文は誰に送られたものかわかりますか。

センセイノネコガシ二タルヨサムカナ
  ~松根東洋城(1878-1964)

 これは明治41年、夏目漱石に送られた弔慰電文です。松根東洋城は漱石の門下生でした。もちろん『吾輩は猫である』で有名な名前のない猫の死を悼んだもの。もう一人、正岡子規の門下生であった高浜虚子からの電報もありました。

ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
  ~高浜虚子(1874-1959)

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#4778 そこにのみ明るさのこる如くにて浜菊咲けり夕暮れし園

令和7年11月4日(火) 【旧 9月15日 大安】 霜降・楓蔦黄(もみじつだきばむ)

集ふとはたのし鴎も浜菊も
  ~岡本眸(1928-2018)

251104_集ふとはたのし鴎も浜菊も
Photo:ハマギク(茨城県) ~HiroKen花さんぽ

 キク科の多年草ハマギクの花期は9月から11月頃。原産地は日本で学名も "Nipponanthemum nipponicum"とされています。この俳句でもわかるように、関東以北の太平洋岸に群生しており、海辺の強風にも負けない硬い枝と肉厚の葉が特徴です。耐寒性も良。白い花が特徴でマーガレットを和風にアレンジしたような趣きがあります。花言葉は「単純な美」「逆境に立ち向かう」「友愛」。まさに日本の花ですね。

そこにのみ明るさのこる如くにて浜菊咲けり夕暮れし園
  ~上皇后美智子(1934-)『ゆふすげ』

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#4775 山手線全駅の匂いを調査したサギサワ君の卒業論文

令和7年11月1日(土) 【旧 9月12日 友引】 霜降・霎時施(こさめときどきふる)

裸木と紅葉半々山手線
  ~高澤良一(1940-)『宿好』

 東京の山手線の原型は1885(明治18)年に開通した品川~赤羽間を結ぶ品川線でしたが、このときはまだ都心の西側部分だけ。後に現在のような環状路線となったのは1925(大正14)年11月1日、上野~東京間の高架線工事が完了した時でした。今日は山手線の「環状運転100周年」にあたるおめでたい日なのです。

251101_裸木と紅葉半々山手線
Photo:art.JAPAN

 この工事が完成した要因の一つは、大正12年の関東大震災で下町一帯が焼け野原になり、このために用地買収が一気に進んだという、素直に喜べない経緯がありました。今では山手線の多くの駅から郊外に伸びる各線に接続し、首都圏には欠かせない主要路線になっています。ところで円形の路線ではありますが、ちゃんと起点と終点があります。起点は品川駅の線路上、終点は田端駅の線路上だそうです。乗降客にはあまり関係ないですけどね。

山手線全駅の匂いを調査したサギサワ君の卒業論文
  ~穂村弘(1962-)『短歌ください』

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#4774 部屋いでて朝な夕なに目守るものかぼちや畑のその黄のみのり

令和7年10月31日(金) 【旧 9月11日 先勝】 霜降・霎時施(こさめときどきふる)

両断す南瓜の臍を二度撫でて
  ~加藤秋邨(1905-1993)

251031_両断す南瓜の臍を二度撫でて
Photo:かごしまぐるり

 「両断」なんて簡単に言いますが、かぼちゃの皮は硬いので包丁で切るにはかなり力がいります。かぼちゃのお化け(ジャック・オー・ランタン)を見て思うのですが、あれを作るのは結構大変ではないかしら。目や口をくり抜いて中身を取り出し、ろうそくを入れるって本当に手間がかかるし、指を切らないように注意しないと。そんなハロウィンのお化けを見ていて思うのですが、切るときにあんなに硬いかぼちゃなのに、これを短時間煮るだけで驚くほど柔らかくなる不思議な野菜ですね。

部屋いでて朝な夕なに目守るものかぼちや畑のその黄のみのり
  ~斎藤茂吉(1882-1953)『短歌拾遺』

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