万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

植物

#4516 世の中に恋といふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける

令和7年2月14日(金) 【旧 1月17日 大安】 立春・魚上氷(うおこおりをいずる)

バレンタイン・デー暖炉に薔微の木を焚けり
  ~角川春樹(1942-)

250214_世の中に恋といふ色はなけれども
Photo:聖ヴァレンティヌス ~Whats-Your-Sign.com

 そもそも本当の「バレンタインデー」ってなんだろうと思って調べてみました。西暦3年のローマ帝国時代、時の皇帝クラウディウス・ゴティクスは妻を残して出征する兵士の士気が下がる事を理由に、兵士の婚姻を一切禁止しました。そんな兵士たちを憐れんで密かに結婚式を行ったのがヴァレンティヌスというキリスト教の司祭でした。これを知った皇帝は直ちにやめるように命令したのですが、ヴァレンティヌスは毅然として屈しなかったため、とうとう処刑されてしまいます。彼の殉教が西暦269年2月14日。確かにエピソードは恋愛や結婚とは通じるものの、女性からの愛の告白とかチョコレートとかは関係なかったようですね。

世の中に恋といふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける
  ~和泉式部(978?-1030?)『後拾遺和歌集』 巻14-0790 恋歌4

世の中に恋という色はないけれども、深く身に染みるものではあるのよ。

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#4514 春来ればたがためにとか青柳のかた糸に縫ふ梅のはながさ

令和7年2月12日(水) 【旧 1月15日 先負】 立春・黄鶯睍睆(うぐいすなく)

春来ればたがためにとか青柳のかた糸に縫ふ梅のはながさ
  ~藤原隆季(1127-1185)

春が来れば、誰を慰めるためであろうか、青柳の片糸で縫うように梅の花笠を咲かせるのは。

 藤原隆季は平安後期の公卿。妹の経子が平清盛の嫡子重盛の妻になるなど、平氏とは親密な関係を築いていました。養和2年に病のため正二位権大納言・大宰権帥を辞任し出家。3年後の1185年2月12日(元暦2年1月11日)に亡くなっています。今日は没後840年に当たります。

250212_春来ればたがためにとか青柳の
Photo:梅と枝垂れ柳 ~四季折々

 さて隆季の短歌にある「片糸」とはまだ撚り合わせる前の糸のこと。柳と梅を取り合わせたいかにも明るい初春の情景を詠んだ歌ですが、同じ趣向の歌が『古今和歌集』にもありました。

青柳を片糸に撚りて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠
  ~詠み人しらず 『古今和歌集』

 また同時代の歌謡である催馬楽『さいばら』や後白河院の『梁塵秘抄』にも梅の花を花笠に見立て、鶯が青柳の片糸で撚り上げるという表現が使われています。当時おなじみの春の情景だったのでしょうね。

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#4513 葦原の繁こき小家《をや》に菅畳いや清《さ》や敷きて我が二人寝し

令和7年2月11日(火) 【旧 1月14日 友引】 立春・黄鶯睍睆(うぐいすなく)

葦原の繁こき小家《をや》に菅畳いや清《さ》や敷きて我が二人寝し
  ~神武天皇(B.C.711-B.C.585)『古事記』

葦原の茂った小屋に菅の筵を清めて敷き、私は妻と二人で寝たことだ。

 神武天皇の歌にある妻とは大国主命の孫である事代主命《ことしろぬしのみこと》の娘とされる媛蹈鞴五十鈴媛命《ひめたたらいすずひめのみこと》のこと。神武天皇は平和で豊かな国を作ろうと高千穂の宮から東征し、畝傍山の麓の橿原に都を開いて即位されました。この日が神武天皇元年1月1日。天文学を駆使して現在のグレゴリオ暦に換算すると紀元前660年2月11日になるとされたことから「紀元節」が定められました。

250211_葦原の繁こき小家に菅
Photo:橿原神宮

 戦後、GHQの命令により紀元節は廃止されましたが、その後この日を「建国記念日」として復活しようという法案が9度にわたり提出されています。しかし野党が反動的であるとして反対し、成立に至りませんでした。ようやく昭和41年に定められた「建国記念の日」は日本の建国日ではなく、建国を祝う日であるという意味をこめて、その趣旨を「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定しています。

梅正に綻びそむる紀元節
  ~正岡子規(1867-1902)

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#4512 スノー・ドロップの花のみ土に暮れ残り死にたる人はいづこを歩む

令和7年2月10日(月) 【旧 1月13日 先勝】 立春・黄鶯睍睆(うぐいすなく)

スノー・ドロップの花のみ土に暮れ残り死にたる人はいづこを歩む
  ~大西民子(1924-1994)『花溢れゐき』

250210_スノー・ドロップの花のみ土に暮れ残り
Photo:スノードロップ ~PREMIER GARDEN

 スノードロップはヒガンバナ科ガランサス属の球根植物。冬の終わりにこれからやってくる春を告げるように花を咲かせます。学名のガランサス(Galanthus)はギリシャ語で「ミルクの花」。英語の Snowdrop は16世紀から17世紀にかけて人気のあった涙滴型の真珠のイヤリングであるドイツのSchneetropfen(Snow-drop)に由来するそうです。和名は待雪草《まつゆきそう》。エデンを追われたイブを慰めるため、天使が地上に舞い降り、降っていた雪をこの花に変えて慰めたというキリスト教の逸話から「希望」「慰め」という花言葉が生まれました。

春の雪ふる草のいよいよしづか
  ~種田山頭火(1882-1940)

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#4511 はるけくも山がひに来て白樺に触りて居たり冷たきその幹

令和7年2月9日(日) 【旧 1月12日 赤口】 立春・黄鶯睍睆(うぐいすなく)

はるけくも山がひに来て白樺に触りて居たり冷たきその幹
  ~斎藤茂吉(1882-1953)『赤光』

250209_はるけくも山がひに来て白樺に
Photo:白樺の林 ~Hello Interior

 シラカバはカバノキ科の落葉樹。その名の通り樹皮が白い樺の木でシラカンバやシロザクラなどとも呼ばれています。白樺は寒冷地に多く見られますが、鬱蒼とした森ではなく日当たりがよい山地に自生します。白樺の群生地として有名なのは北八ヶ岳の山麓に広がる八千穂高原でしょうか。でも白樺の大木というのはありません。というのも白樺の寿命は短く、よく育っても幹径は50cmくらいまで。あの白い樹皮も20~30年くらいで消えてしまうそうです。ちなみに白樺は春の季語。4月から5月頃に花をつけます。そういえば千昌夫の『北国の春』の出だしも「♫ 白樺 青空 南風……」でしたね。

花ゆらぐ白樺立てり雪解風
  ~水原秋櫻子(1892-1981)『殉教』

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