令和7年7月30日(水) 【旧 閏6月6日 大安】 大暑・土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)
沖縄のさんごの海青く澄み車の窓に光みなぎる
~常陸宮正仁親王(1935-)(昭和63年歌会始)
太平洋戦争敗戦後沖縄県が米軍の統治下に置かれていたことは周知の事実ですが、その間自動車の通行が米国と同じく右側通行にされていたことはご存じない方もいらっしゃるでしょう。沖縄県が我が国に復帰したのは1972(昭和48)年ですが、これが本土と同じ左側通行に変更されたのは更に6年後、1978年7月30日午前6時のことでした。この日付をもって通称「730(ナナサンマル)」と呼ばれる、たった一夜のうちに交通規則を大変換するプロジェクトが実施されたのです。

Photo:Youtube【ゆっくり解説】より
あらかじめ左側通行用の信号や標識を設置したうえでカバーで覆い、道路上の車線や右左折表示も同様に、あらかじめ描いた上で黒いテープで隠すという準備を行い、前日22時にすべての交通を遮断したうえで、予定時刻までにこれらを除去するという世界初の「カバーアンドテープ方式」が採用されたのです。私はこの年、変更のすぐあとに沖縄を訪れましたが、バスの乗降口やタクシーの運転席から開閉できる後席乗降ドアのアームが反対側にあったことを覚えています。変更直後は全国の交通警官約3000人が参加して交通指導に当たりましたが、それでも路線バスや一般の運転手が不慣れなこともあり、やはり事故や渋滞が多発。しかし幸い落命を伴う大事故は起きなかったようです。
浮巣見る水路も左通行に
~田中驕星
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沖縄のさんごの海青く澄み車の窓に光みなぎる
~常陸宮正仁親王(1935-)(昭和63年歌会始)
太平洋戦争敗戦後沖縄県が米軍の統治下に置かれていたことは周知の事実ですが、その間自動車の通行が米国と同じく右側通行にされていたことはご存じない方もいらっしゃるでしょう。沖縄県が我が国に復帰したのは1972(昭和48)年ですが、これが本土と同じ左側通行に変更されたのは更に6年後、1978年7月30日午前6時のことでした。この日付をもって通称「730(ナナサンマル)」と呼ばれる、たった一夜のうちに交通規則を大変換するプロジェクトが実施されたのです。

Photo:Youtube【ゆっくり解説】より
あらかじめ左側通行用の信号や標識を設置したうえでカバーで覆い、道路上の車線や右左折表示も同様に、あらかじめ描いた上で黒いテープで隠すという準備を行い、前日22時にすべての交通を遮断したうえで、予定時刻までにこれらを除去するという世界初の「カバーアンドテープ方式」が採用されたのです。私はこの年、変更のすぐあとに沖縄を訪れましたが、バスの乗降口やタクシーの運転席から開閉できる後席乗降ドアのアームが反対側にあったことを覚えています。変更直後は全国の交通警官約3000人が参加して交通指導に当たりましたが、それでも路線バスや一般の運転手が不慣れなこともあり、やはり事故や渋滞が多発。しかし幸い落命を伴う大事故は起きなかったようです。
浮巣見る水路も左通行に
~田中驕星
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