万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

漢詩

#4081 神無月はるの光か晴るる江の南にめぐる空の日影も

令和5年12月9日(土) 【旧 一〇月二七日 赤口】・大雪 閉寒成冬(そらさむくふゆとなる)

神無月はるの光か晴るる江の南にめぐる空の日影も
  ~武者小路実陰(1661-1738)『芳雲集』

神無月に春の光であろうか。晴れ渡る長江の南に巡る空の光もこうであったろう。

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Photo:長江(揚子江)~みんなのランキング

 週間予報によると、今日から明日にかけては全国的に暖かくて穏やかな小春日和になりそうです。いわゆる「小春日和」というのは「初冬のころ」の暖かく穏やかなお天気のこと。ですが、初冬の頃というのはかなり大雑把な表現で、正確には「旧暦10月」に生じるお天気です。というのも「小春《しょうしゅん》」は神無月の異称でもあるから。そして上記の和歌ですが、これは白居易が小春を詠んだこの漢詩を前提としたものでした。

十月江南天氣好 
可憐冬景似春華
  ~白居易(772-846)『早冬』

十月、江南 天気好《ことむな》し
憐れむべし、冬の景《かげ》の春に似て華《うるは》しきことを

 「江南」は長江、すなわち揚子江の南。平安貴族達はこの漢詩を元に多くの小春日の歌を詠み、「小春日和」という言葉が今に残されました。

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#4039 目的を持たぬ読書のたのしさを老いてまた知る若き日のごと

令和5年10月28日(土) 【旧 九月一四日 仏滅】・霜降・霜始降(しもはじめてふる)

目的を持たぬ読書のたのしさを老いてまた知る若き日のごと
  ~窪田空穂(1877-1967)『木草と共に』

 昨日から11月9日までの2週間は読書週間です。10月27日を「読書の日」と定められたのは終戦から2年後の1947年のこと。「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」というスローガンのもと、出版社・取次会社・書店・公共図書館・マスコミなどが共同で制定しました。「灯火親しむべし」という諺があります。唐の詩人、韓愈が我が子に読書をすすめる内容の漢詩から採られたものです。

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Photo:韓愈

時秋積雨霽  時秋にして積雨霽《は》れ
新涼入郊墟  新涼 郊墟に入る
燈火稍可親  燈火稍《ようや》く親しむべく
簡編可卷舒  簡編 卷舒《けんじょ》すべし
  ~韓愈(768~824)『符読書城南詩』より

降り続く雨が晴れ、
秋の涼しさが野原や丘にやってきた。
燈火を灯して親しむべく、
書物を紐解こうではないか。

「卷舒」は巻いたものを広げること。この時代の書物は巻物だったので「簡編」と呼ばれていました。そう言えば韓愈が残した名言にこんなのもあります。話はぜんぜん変わりますけどね。

世有伯楽    世に伯楽ありて
然後有千里馬  然る後に千里の馬あり
千里馬常有   千里の馬は常に有れども  
而伯楽不常有  伯楽は常には有らず
  ~同  『雑説』より

世に伯楽がいてこそ
千里を走る名馬がいるのである。
千里を走る能力のある馬は常にどこかにいるのだが、
それを見極めて活かせる伯楽は常にいるものではない。

 今日から始まる日本シリーズ。中嶋、岡田両監督はここでも名伯楽ぶりを見せてくれるだろうか、なんて関西の人は野球観戦で忙しそうですけど、本も読みましょうね。

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#3961 春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも

令和5年8月11日(金) 【旧 六月二五日 赤口】・立秋・涼風至(すずかぜいたる)

春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも
  ~作者未詳 『万葉集』 巻10-2177 雑歌

春は萌黄色に、夏は緑色に、そして紅のまだら模様に見える秋の山ですね。

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 「山の日」が国民の祝日に定められたのは2016年。「海の日」があって山の日がないのは片手落ちと考えたのか、あるいはお盆休みと連続させる祝日を追加する目的もあったのかもしれません。制定の趣旨は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」こと。冒頭の万葉歌が四季折々の山の美しさを端的に表現していますが、冬がないのは残念。中国北宋の山水画家、郭熙《かくき》が、その画論「臥遊録」の中で季節の移ろいに応じて、山をどのように描き分けるべきかを述べた言葉があります。

春山淡冶にして笑うが如く
夏山蒼翠にして滴るが如く
秋山明浄にして粧うが如く
冬山惨淡として眠るが如く

 山笑う、山滴る、山粧う、山眠る、は今でも四季折々の季語に使われています。

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#3871 誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中

令和5年5月13日(土) 【旧 三月二四日 友引】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)

誰も見よ満つればやがて欠く月のいざよひの空や人の世の中
  ~武田信玄(1521-1573)『甲陽軍鑑』

誰も皆見てみよ、満ちてはやがて欠けてゆく月の十六夜の空のようなものなのだ、人の世というものは。

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Photo:武田信玄(阿部寛)~2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」より

 戦国時代、最強の軍団を率いたと恐れられた武田信玄(晴信)が、三方原の合戦のあと、喀血して帰らぬ人となったのは1573年5月13日(元亀4年4月12日)。450年前の今日のことです。ちょうど今放送中の大河ドラマ『どうする家康』でこのあたりのことが描かれている最中なので詳しくはそちらを(あくまでドラマですけど)ご覧ください。武田家の軍学書『甲陽軍鑑』には信玄、勝頼の時代の合戦や軍法などが記されていますが、その中には上記のように武田家の儀礼や人生訓のようなものを和歌の形で表した記述も見られます。

大底還他肌骨好 不塗紅粉自風流
  ~同 『甲陽軍鑑』

 こちらは巻14 「信玄公逝去 付御遺言之事」 と注釈された一文なので、信玄の辞世と言えるものです。ただ漢文の形になっていますが通常の漢詩文の読みができないためいろいろな解釈がなされています。私流にチャレンジしてみると、

大方のことは他人に学ぶものだが、己は紅粉で飾らず素のままにいるのが風流というものだ。

 という意味ではないかと考えました。これは家督を任せた勝頼に対して残したもので、ここで言う「他」というのは信玄自身のこと。わしはこうしてきたが猿真似はせずにお前はお前の器量でやっていけというふうに取りましたがいかがでしょうか。

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Photo:武田晴信像(高野山持明院蔵) 部分

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#3858 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

令和5年4月30日(日) 【旧 三月一一日 先勝】・穀雨・牡丹華(ぼたんはなさく)

牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
  ~木下利玄(1886-1925)『一路』

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Photo:ボタン ~おとなの勉強深夜便

 七十二候の第18候「牡丹華(ぼたんはなさく)」。牡丹の花が咲く頃、二十四節気「穀雨」の末候に当たる6日間です。ボタンの原産地は中国西北部。中国では隋の煬帝や唐の則天武后がこの花を愛したという逸話があり、今でも「花の王」として、正式ではないものの国花のような扱いを受けています。日本には遣唐使として長安に渡った空海がこの花をもたらしたと言われます。同時代の詩人白居易(白楽天)が牡丹についてこんな詩を残しました。

花開花落二十日、一城之人皆若狂
(花開き花落つ二十日、一城の人皆狂ふが如し)

 空海はこの詩も一緒に持ち帰ったのかもしれず、「二十日草」というのも牡丹の別名として使われています。日本では他にも「富貴草」「富貴花」「花神」「天香国色」「名取草」「深見草」など多くの別名でよばれています。

山の雨牡丹の庭にしぶきつつ
  ~瀧春一(1901-1996)『菜園』

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