万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

#4482 カレル橋似顔絵売りし老画家の息白くして客を待ちをり

令和7年1月11日(土) 【旧 一二月一二日 大安】 小寒・水泉動(しみずあたたかをふくむ)

カレル橋似顔絵売りし老画家の息白くして客を待ちをり
  ~林龍三(2025年1月3日)

250103(124024)_カレル橋とモルダウ(ヴルダヴァ)川
Photo:カレル橋名物の似顔絵描き

 昨年生誕200年を迎えたべドルジヒ・スメタナの連作交響詩『我が祖国』の2曲目を日本では「モルダウ」と呼んでいますが、これはドイツ語の名称。チェコではこの川をヴルタヴァ川と呼んでいます。恒例となっている「プラハの春音楽祭」ではオープニング曲として必ず演奏されています。私が今年最初に訪れたプラハ王宮と旧市街をつなぐカレル橋はかつての東欧と西欧を結ぶ唯一のルートだったとか。欄干に並ぶバロック様式の彫刻群と対岸のプラハ旧市街の町並み、そしてこの川の滔々した流れを見ていると日本人があまり意識することのない「祖国」という言葉の重みを感じます。

モルダウの川幅広げ春の水
  ~稲畑廣太郎(1957-)

250103(124418)_カレル橋とモルダウ(ヴルダヴァ)川
Photo:カレル橋とモルダウ川

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#4466 このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも

令和6年12月26日(木) 【旧 一一月二六日 赤口】 冬至・「麋角解(さわしかのつのおつる)」

鹿の角先《まづ》一節《ひとふし》のわかれかな
  ~松尾芭蕉(1644-1694)

 鹿の角が一節目に二股に別れていく事をもって、奈良で出会った弟子たちとの別れの言葉とした芭蕉の句です。

241226_鹿の角先一節のわかれかな
Photo:私の角立派でしょ! ~photoAC(りくそらZ5さん)

 昨日までサンタのそりを曳いて大活躍のトナカイさんでした。今日は故郷フィンランドに帰ってゆっくり休んでもらいましょう。また来年お逢いできますように。ということで、今日から12月30日までの5日間は七十二候の第65候「麋角解(おおしかのつのおつる)」。二十四節気「冬至」の次候にあたります。「麋」は見慣れない漢字ですが、大型の鹿の一種であるヘラジカまたはオオジカのことを指すといわれています。万葉集にも鹿の歌はたくさん詠まれていますが、ほとんどは秋の歌。俳句でも鹿は秋の季語になっています。

このころの朝明《あさけ》に聞けばあしひきの山呼び響《とよ》めさを鹿鳴くも
  ~大伴家持(718-785)『万葉集』 巻8-1603 雑歌

この頃は夜明けに耳をすませると山にこだまする男鹿の鳴き声が聞こえるよ。

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#4450 嵐山夕べ淋しく鳴る鐘にこぼれそめてし木々の紅葉

令和6年12月10日(火) 【旧 一一月一〇日 友引】 大雪・「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」

嵐山夕べ淋しく鳴る鐘にこぼれそめてし木々の紅葉
  ~坂本直柔《なおなり》(1836-1867)

 坂本直柔は坂本龍馬の諱《いみな》です。大政奉還から約一月後の慶応3年11月15日に京都の近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺されています。西暦にすると1867年の今日12月10日のことでした。12月10日といえば、維新前に亡くなった坂本龍馬の業績を世に知らしめたマリアス・ジャンセン(1922-2000)の忌日でもあります。

241210_嵐山夕べ淋しく鳴る鐘に

 オランダ生まれの米国人、マリアス・バーサス・ジャンセンは太平洋戦争中、言語要員として日本語の訓練を受けて戦後日本に進駐しました。それがきっかけで日本の歴史文化に傾倒し、後に日本研究者として多くの書を残すことになります。1961年に出版された『坂本龍馬と明治維新』もそのひとつ。維新の元勲とはならず、人知れず消えていった坂本龍馬を発掘した書物でした。一年後、司馬遼太郎はこの書に触発されて、産経新聞夕刊に『竜馬がゆく』の連載を開始し、今では誰もが知る歴史小説不朽のベストセラーが誕生したのです。

世の人はわれをなにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる
  ~同

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#4444 時雨の雨染めかねてけり山城の常盤の杜の真木の下葉々

令和6年12月4日(水) 【旧 一一月四日 友引】 小雪・「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」

時雨の雨染めかねてけり山城の常盤の杜の真木の下葉々
  ~能因法師(988-1050)『新古今和歌集』 巻6-0577 冬歌

しぐれの雨も木々を染めるのは難しいようだ。山城の常盤の森の葉は。

241204_時雨の雨染めかねてけり山城の
Photo:平安京のジオラマ(京都市歴史資料館

 常盤の森とは松などの常緑樹の森を指すのでしょうね。能因法師は平安時代中期の僧侶です。その平安京があるのが「山城国」。もともと平城京から見て平城山《ならやま》の後ろにあるという意味で「山背国」と書かれていたのですが、桓武天皇が新都を平安京と命名すると同時に「山城国」に改めました。命名の理由は山河が襟帯して自然に城をなすという地形からとされています。それが遷都から約半月後の延暦13年11月8日。西暦にすると1230年前の今日794年12月4日のことでした。

山城の鳥羽田《とばた》の面を見わたせばほのかに今朝ぞ秋風は吹く
  ~曾禰好忠(平安中期)『詞花和歌集』 巻3-0082 秋歌

山城国の鳥羽の田を見渡せば、ほのかに今朝の秋風が稲穂を靡かせている。

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#4443 晩秋の束の間を咲くむらさきの皇帝ダリアは華やぎ見する

令和6年12月3日(火) 【旧 一一月二日 先勝】 小雪・「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」

晩秋の束の間を咲くむらさきの皇帝ダリアは華やぎ見する
  ~林芙美子(1903-1951)

 一般的なダリアと違って皇帝ダリアの茎は太く、草木ですが樹木のように5~6m前後まで成長します。「木立《コダチ》ダリア」と名付けられていますが、別称の「皇帝ダリア」と呼ばれる方が多いようです。開花期は11月から12月。キク科の多年草でメキシコが原産。茎の頂点に薄紫の花をつけます。今では交配種もたくさんできており、白、赤、ピンクや八重咲きのものもあるようです。この季節に仰ぎ見る高さに彩りを添えてくれる貴重な花ですね。

241203_晩秋の束の間を咲くむらさきの
Photo:皇帝ダリア ~HORTI by Green Snap

皇帝ダリア畏るるもののなき高さ
  ~片山由美子(1952-)

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