令和6年7月18日(木) 【旧 六月一三日 先勝】・小暑 「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)
日並《ひなみしの》皇子《みこ》の命《みこと》の馬並《な》めて御猟《みかり》立たしし時は来向かふ
~柿本人麻呂(662-710)『万葉集』 巻1-0049
皇太子の一行が馬を連ねて今しも猟に出ようとされている。あの夜明けの刻がやってきた。

Photo:文武天皇陵(奈良間高市郡飛鳥村)~倭は国のまほろば・・・残された憧憬をたずねて・・・。
皇太子とは珂瑠皇子《かるのみこ》。このすぐ後、持統天皇の意向により、過去に例のない15歳という若年で即位させられた文武天皇です。手前味噌ですが私の小説『烽』の下巻「皇城騒乱」はこのシーンから筆を起こしました。不幸にも707年7月18日(慶雲4年6月15日)、その重圧に耐えられなかったのか天皇は25歳の若さで崩御しています。今日はその忌日にあたります。日本最古の漢詩集『懐風藻《かいふうそう》』には文武天皇の心中を物語る「述懐」という御製が残されています。
年雖足戴冕 年は冕《べん》を戴くに足ると雖も、
智不敢垂裳 智は敢えて裳を垂れず。
朕常夙夜念 朕《われ》常に夙夜《しゅくや》に念ず、
何以拙心匡 何を以て拙心を匡《ただ》さむと。
猶不師往古 猶《なお》往古を師とせざれば、
何救元首望 何ぞ元首の望みを救はむ。
然毋三絶務 然るに三絶の務《つとめ》毋《な》く、
且欲臨短章 且《しばら》く短章に臨むと欲す。
~文武天皇(683-707)『懐風藻』16「述懐」
(意訳)
年齢が冕(天皇の冠)を戴くに足ると謂れても、
能力はその衣を纏うに値しない。
朕はいつも夜遅くまで考え込んでしまう。
如何にすれば拙い心を正せるのであろうかと。
昔の人を師としなければ、
どうして君主としての務めを果たせようか。
それなのに三絶(詩・書・画の技芸)に励む事もしていない。
ともあれ、五言詩にこの心情を書き残そうと思う。
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日並《ひなみしの》皇子《みこ》の命《みこと》の馬並《な》めて御猟《みかり》立たしし時は来向かふ
~柿本人麻呂(662-710)『万葉集』 巻1-0049
皇太子の一行が馬を連ねて今しも猟に出ようとされている。あの夜明けの刻がやってきた。

Photo:文武天皇陵(奈良間高市郡飛鳥村)~倭は国のまほろば・・・残された憧憬をたずねて・・・。
皇太子とは珂瑠皇子《かるのみこ》。このすぐ後、持統天皇の意向により、過去に例のない15歳という若年で即位させられた文武天皇です。手前味噌ですが私の小説『烽』の下巻「皇城騒乱」はこのシーンから筆を起こしました。不幸にも707年7月18日(慶雲4年6月15日)、その重圧に耐えられなかったのか天皇は25歳の若さで崩御しています。今日はその忌日にあたります。日本最古の漢詩集『懐風藻《かいふうそう》』には文武天皇の心中を物語る「述懐」という御製が残されています。
年雖足戴冕 年は冕《べん》を戴くに足ると雖も、
智不敢垂裳 智は敢えて裳を垂れず。
朕常夙夜念 朕《われ》常に夙夜《しゅくや》に念ず、
何以拙心匡 何を以て拙心を匡《ただ》さむと。
猶不師往古 猶《なお》往古を師とせざれば、
何救元首望 何ぞ元首の望みを救はむ。
然毋三絶務 然るに三絶の務《つとめ》毋《な》く、
且欲臨短章 且《しばら》く短章に臨むと欲す。
~文武天皇(683-707)『懐風藻』16「述懐」
(意訳)
年齢が冕(天皇の冠)を戴くに足ると謂れても、
能力はその衣を纏うに値しない。
朕はいつも夜遅くまで考え込んでしまう。
如何にすれば拙い心を正せるのであろうかと。
昔の人を師としなければ、
どうして君主としての務めを果たせようか。
それなのに三絶(詩・書・画の技芸)に励む事もしていない。
ともあれ、五言詩にこの心情を書き残そうと思う。


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