万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

遣唐使

#4113 海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも舟の早けむ

令和6年1月10日(水) 【旧 一一月二九日 先負】・小寒 芹乃栄(せりすなわちさかう)

海神《わだつみ》のいづれの神を祈らばか行くさも来《く》さも舟の早けむ
  ~作者未詳 『万葉集』 巻9-1784 相聞歌

海神のどの神様にお祈りしたら行きも帰りも船が早いだろうか。

240110_海神のいづれの神を祈らばか

 これは遣唐使として旅立つ夫の無事を祈って海神に祈る万葉歌。能登半島地震でお正月気分を吹っ飛ばされてからもう10日が経って、今日は十日戎です。えびす様が商売繁盛の神とされたのは中世(鎌倉期)以降のことで、もともとは海神(わだつみ)の事代主神《ことしろぬしのかみ》でした。その証拠にちゃんと釣竿と鯛を抱えておられます。商売繁盛よりも、津波や海難事故防止が本業なのかも。それを承知の上で恵比寿様に商売上手を授けてもらうには、まずは高額の福笹を買わないといけないようです。

福笹につけてもらひし何やかや
  ~高濱年尾(1900-1979)

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#3520 ありねよし対馬の渡り海中に……他一首

令和4年5月27日(金) 【旧 四月二七日 赤口】・小満・紅花栄(べにばなさかう)

ありねよし対馬の渡り海中《わたなか》に幣《ぬさ》取り向けて早や帰り来ね
  ~春日蔵首老 『万葉集』 巻1-0062 雑歌

峰々の続く対馬の航路の海中に幣をささげて、どうか早く帰ってきてください。

220527_ありねよし対馬の渡り海中に.jpg
Photo:『坂の上の雲』(NHK)より

 702(大宝2)年、粟田真人等が遣唐使として旅立つ際に見送った春日蔵首老《かすがのくらのおびとおゆ》が航路の無事を祈って詠んだ歌です。時代は下って1905(明治38)年5月27日、日露戦争の勝敗を決した日本海海戦がこの海域で行われています。東郷平八郎の率いる連合艦隊がバルチック艦隊に大勝した要因のひとつには、当時のロシアがインド洋方面に友好国が少なかったことがあります。日本と同盟を結んでいた英国はもちろん、東南アジアに多くの植民地を持つフランスもバルチック艦隊に退去要求をしています。これらの港では入港はおろか、食料や燃料の調達もできなかった為、乗員の士気が著しく低下したのです。如何に大国であろうとも、世界中に嫌われるような行為を繰り返していては必ずしっぺ返しを食らうという歴史の教訓を、今回も生かせなかったのですね。

四方《よも》の海みな同胞《はらから》と思う世になど波風のたちさわぐらん
  ~明治天皇 (明治37年)

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#3192 そらみつ 大和の国は 水の上は ・・・続く反歌

令和3年7月3日(土) 【旧 五月二十四日 仏滅】・夏至・半夏生(はんげしょうず)

そらみつ 大和の国は
水の上《へ》は 地《つち》ゆくごとく
船《ふな》の上は 床《とこ》に居るごと
大神の 鎮《いは》へる国ぞ
四《よつ》の船 船の舳《へ》並べ
平《たひら》けく 早渡り来て
返り言《こと》 奏《まを》さむ日に
相飲まむ酒《き》ぞ この豊御酒《とよみき》は
  ~孝謙天皇 『万葉集』 巻19-4264

この日本の国は
水の上は地上を行く如く、
船の上は床の上に居る如く、
大御神がお護りくださっている国である。
四隻の遣唐使船が舳先を並べて、
つつがなく早く海を渡り、
帰って来て結果を奏上する日に
共に飲む酒であるぞ、この豊御酒は。

210703_四つの船早帰り来としらかつく
Photo:平城宮東院庭園(奈良市法華寺町)

 大極殿が再建されている平城宮跡の東側では、遺跡から見事に復元された東院庭園を見学することができます。この東院地区からまた新たな遺跡が発見されました。8世紀後半のかなり大きな建物跡であり、その規模や工法から孝謙天皇の宮殿ではないかと考えられています。孝謙天皇は女性にして初めて皇太子に定められて天皇となった人物であり、弓削道鏡を寵愛するなど、何かと話題の多い女帝でした。今日の万葉歳時記は天平勝宝2(750)年4月、遣唐大使として難波の港から出航しようとする藤原清河に勅使を遣わし、祝の神酒に添えた孝謙天皇の御製です。この長歌に付された反歌一首とともに。

反歌
四つの船早帰り来《こ》としらかつく我が裳の裾に鎮ひて待たむ
  ~同 『万葉集』 巻19-4265

四隻の船が早く帰って来るようにと、しらかを付けた我が裳の裾に祈って待っていよう。

 「しらか」は麻や楮《こうぞ》を白髪のように裂いて幣帛としたもの。

210701_読売記事_平城宮東院地区に孝謙天皇宮殿か

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#2456 我が宿に雨つつみせよさみだれの ・・・他一首

令和元年6月28日(金) 【旧 五月廿六日 赤口】夏至・菖蒲華(あやめ、はなさく)

住吉《すみのえ》に斎《いつ》く祝《はふり》が神言《かむこと》と行くとも来《く》とも船は早けむ
  ~多治比真人土作《たじひのまひとはにし》 『万葉集』 巻19-4243

住吉大社にお仕えする神職のお告げにあるように、行きも帰りも船は安全で、速いことでしょう。

 万葉の頃、住吉津《すみのえのつ》はシルクロードから奈良の都に入る玄関口であり、遣唐使船が発着する国際貿易港でした。冒頭の和歌は藤原清河が遣唐使として旅立つにあたって、餞《はなむけ》のために詠まれたものです。住吉大社で航海の無事を祈ってから旅立っていたのですね。

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Photo:住吉大社境内の碑

 そして今日、ここ大阪市住之江区のインテックス大阪においてG20、主要国首脳会議が開かれます。大阪市内では昨日から全国の警察官の応援を得て、最高レベルの厳戒態勢が敷かれました。また沖合には海自の護衛艦「かが」が、そして大阪湾への進入口となる紀伊水道と明石海峡では護衛艦「すずつき」と「あさひ」ががっちりガードしています。他にもミサイル艇や掃海艇、海保の巡視船も警戒にあたっているそうです。あと、心配なのはお天気ですね。今は雨雲に覆われていますが、令和最初の台風が事前に露(梅雨)払いをしてくれそうなので、会議が始まる頃には雨雲は消えているかもしれません。

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Photo:G20会場のインテックス大阪(大阪市住之江区)

我が宿に雨つつみせよさみだれのふりにしことも語りつくさむ
  ~橘千蔭《たちばなのちかげ》 『うけらが花』

私の家で雨宿りをしていきなされよ。五月雨の降るなか、昔のことなど語りつくしましょう。

 ちなみにG20とは19の国とEU。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、ロシア、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ、オーストラリア、韓国、インドネシア、サウジアラビア、トルコ、アルゼンチン、そしてEUです。これで世界のGDPの90%を占めるそうな。「雨降って地固まる」といえるような成果があればいいのですが、「船頭多くして船山に登る」ではいけません。兎にも角にも、これらの国々の首脳に万一のことがあったら日本のメンツ丸つぶれですから、もう一度住吉の神様にお祈りしておきましょう。そうそう、G20の記念写真はここで撮ってもいいのですが、主祭神のうちの一柱が三韓征伐の神功皇后ですから文大統領が嫌がりますかね。

190628_住吉に斎く祝が神言と.jpg
Photo:住吉大社(大阪市住吉区)

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#2349 春日野に斎く三諸の梅の花 ・・・他一首

【旧 二月七日 友引】啓蟄・桃始笑(ももはじめてさく)

春の日も光ことにや照らすらむ玉ぐしの葉にかくるしらゆふ
  ~藤原俊成 『風雅和歌集』 巻19-2139 神祇歌

春の太陽の光も今日はことに明るく照らしているようです。玉串の葉にかける白木綿を。

 藤原俊成が「春日祭」に際して詠んだ和歌です。「祭」とは本来、慰霊のために神仏や祖先に対して感謝し、祈りを行うことでした。

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Photo:春日山原始林(奈良県奈良市春日野町)

 昨日の「お水取り」は仏教行事。明けて今日は神道の行事が行われます。毎年3月13日に行われる「春日祭」は賀茂祭(葵祭)、石清水祭とともに天皇の勅使が派遣される三勅祭の一つです。始まりは平安時代の嘉祥2(849)年とされ、以来現在まで毎年途切れることなく行われています。国家の安泰と国民の繁栄を祈るという本来の祭りの儀式であるため、今日は開門時から午後2時まで回廊内の参拝はできず、参道からの拝観に制限されています。もう一首、万葉集から春日野の和歌を引きますが、こちらは春日大社が創建されて間もない頃。春日祭はまだ行われていない奈良時代に詠まれた歌です。

春日野に斎《いつ》く三諸の梅の花栄えてあり待て帰りくるまで
  ~大使藤原朝臣清河 『万葉集』 巻19-4241

春日野に祀っている社の梅の花よ、咲き栄えて待っていてくれ。私が帰ってくるまで。

 藤原清河は藤原房前の子。遣唐大使として旅立ちの前に、無事に帰朝することを願って詠んだ歌です。しかしこれは叶いませんでした。779(宝亀10)年、唐から帰朝の折に逆風に流され、漂着した地で乗員が土民に殺されたのです。かろうじて清河は助かり、再び唐に留まりました。ただ、その後も日本に帰ることはかなわず、この十数年後に彼の地で亡くなったことが『続日本紀』および『唐倭上東征伝』の記録にあります。

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