万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

長歌

#4905 桃の花紅色ににほひたる面輪のうちに青柳の

令和8年3月10日(火) 【旧 1月22日 仏滅】 啓蟄・桃始笑

 二十四節気「啓蟄」の次候は七十二候の第8候「桃始笑(ももはじめてさく)」。もちろん地方によって前後しますが一般的に桃の花の開花期に当たります。今日は『万葉集』から桃の花を詠んだ大伴家持の長歌です。

260310_桃咲くや隣の娘婚礼す
Photo:桃の花 ~tenki.jp

桃の花 紅《くれなゐ》色に 
にほひたる 面輪《おもわ》のうちに 
青柳の 細き眉根《まよね》を 
咲《ゑ》みまがり 朝影見つつ 
少女《をとめ》らが 手に取り持たる 
真鏡《まそかがみ》 二上山《ふたかみやま》に 
木《こ》の暮れの 繁き谷邊《たにべ》を 
呼び響《とよ》め 朝飛び渡り 
夕月夜《ゆふづくよ》 かそけき野辺に 
はろばろに 鳴く霍公鳥《ほととぎす》 
立ち潜《く》くと 羽ぶりに散らす 
藤波の 花なつかしみ 引き攀《よ》ぢて 
袖に扱入《こき》れつ 染《し》まば染むとも

  ~大伴家持 『万葉集』 巻19-4192

桃の花のような、紅色に
輝いているその顔のなかに、
青柳のような細い眉を崩して
ほほえみ、朝の姿を映して見ながら、
少女たちが手に取っている鏡の箱の
ふたではないが、その二上山に、
木陰が暗くなるほどに茂った谷のあたりを
鳴き響かせては朝に飛び渡ってゆき、
夕月の光のかすかに照らす野辺に
はるかに遠く鳴くほととぎすが、
飛びくぐっては羽を触れて散らす
藤の花がいとおしくて、引き寄せて
袖にねじ入れた。衣に色が染まるなら染まってもよいと思って。


 平安時代には桃の節句が祝われていたことがわかっていますが、家持がこの歌を詠んだ奈良時代においても、既に桃の花と少女のイメージが重なりあっていたことは間違いなさそうです。

桃咲くや隣の娘婚礼す
  ~正岡子規(1867-1902)

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#4760 世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

令和7年10月17日(金) 【旧 8月26日 先負】 寒露・菊花開(きくのはなひらく)

 今日、10月17日は国際連合が定めた「貧困撲滅のための国際デー」。1992年の国連総会で制定されたものです。この世界における戦争や暴力、窃盗や殺人などの犯罪の多くは貧困と貧富や教育の格差が直接・間接的に原因となっていることは間違いなさそうです。これは必ずしも現代の病巣ではなく、古代から延々と解決できずにいる人類の課題かも知れません。『万葉集』には山上憶良が残した「貧窮問答歌」が残されています。

251017_世間を憂しとやさしと思へども
Photo:お宝エイド

貧窮問答の歌一首(巻5-0892)、また短歌(5-0893)

[ 役人の問いかけ ]
風雑じり 雨降る夜の 雨雑じり 雪降る夜は
術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒 うち啜《すず》ろひて 咳《しは》ぶかひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭かきなでて 我除《お》きて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻襖 引きかがふり
布肩衣 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒《こご》ゆらむ
妻子《めこ》どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ
このときは 如何にしつつか 汝が世は渡る


風まじりに雨が降り 雨まじりに、雪も降る夜は
すべもなく寒いから、堅塩を少しずつなめては
糟湯酒をすすり、咳をしては、鼻水をすすり上げる。
たいして生えてもいない髭を撫でて、自分より優れた奴はおるまいと
自惚れていても、寒い時は 麻の夜具をひっかぶり
麻布の半袖をありったけ 重ね着をしてもなお寒いような夜には
私よりもっと貧しい人の 親は飢えてこごえ、
その妻子は力のない声で泣くことになろうが
こういう時にはどうやっておまえは生きていくのか。


[ 貧者の答え ]
天地《あめつち》は 広しといへど 吾が為は 狭《さ》くやなりぬる
日月は 明しといへど 吾が為は 照りや給はむ
人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを
人並に 吾も作るを 綿も無き 布肩衣の
海松《みる》の如 わわけさがれる かかふのみ 肩にうち懸け
伏廬《ふせいお》の 曲廬の内に 直土《ひたつち》に 藁解き敷きて
父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に
囲み居て 憂え吟《さまよ》ひ 竃には 火気《ほけ》ふき立てず
甑《こしき》には 蜘蛛の巣懸きて 飯炊《かし》く 事も忘れて
ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を
端きると 云えるが如く 楚《しもと》取る 里長《さとおさ》が声は
寝屋戸《ねやど》まで 来立ち呼ばひぬ
斯くばかり 術無きものか 世間《よのなか》の道


この世は広いといいますが、私にとっては狭くなったものです。
太陽や月が明るく照り輝いても私には照ってはくれないのでしょうか。
他の人にもか、それとも私だけなのか。たまたま人間として生まれ、
人並みに働いているのに 綿も入っていない麻の袖なしの
しかも海藻のように破れて垂れ下がるぼろを肩にかけて
低くつぶれかけた家、曲がり傾いた家には地べたに藁を解き敷いて
父母は枕の方に、妻子は足の方に、
自分を囲むようにして悲しんだりうめいたり。かまどには火の気もなく、
甑には蜘蛛の巣がはって飯を炊くことも忘れ、
かぼそい力のない声でせがんでいるのに、「短いものの
端を切る」ということわざのように鞭を持った里長の呼ぶ声が、
寝床にまで聞こえてくる。
これほどどうしようも無いものなのでしょうか、世の中を生きてゆくということは。

[ 反歌(短歌) ] 巻5-0893
世間《よのなか》を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

世の中を辛いとか生きているのも恥ずかしいとか思うけれど、ここから飛び出すことはできないよ、鳥じゃあるまいし。

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#4599 さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし

令和7年5月9日(金) 【旧 4月12日 先負】 立夏・「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」

春過ぎて 夏来向へば 
あしひきの 山呼び響《とよ》め 
さ夜中に 鳴く霍公鳥《ほととぎす》 
始音《はつこひ》を 聞けばなつかし 
菖蒲《あやめくさ》 花橘を 
貫《ぬ》き交へ 蘰《かづら》くまでに 
里響《とよ》め 喧《な》き渡れども なほし偲《しの》はゆ

  ~大伴家持 『万葉集』 巻19-4180

春が過ぎて夏に季節が向かうと、
山では友を呼び鳴き声を響かせて
夜中に鳴くほととぎす。
その始声を 聞けば心が惹かれる。
菖蒲の花、花橘を薬玉に貫き交え
蘰にする季節まで 里で鳴き響かせておくれ。
鳴き渡ってしまっても なお心惹かれるよ。


 詩歌に詠まれる代表的な夏の鳥といえばホトトギスですね。その上にこの万葉歌には菖蒲や橘も詠み込まれています。

250509_さ夜更けて暁月に影見えて
Photo:燕子花《かきつばた》にほととぎす(歌川広重)~文化遺産オンライン

 和歌と短歌の違いをよく聞かれます。「短歌」は5・7・5・7・7の定型を基本とした和歌の中の一つの形に過ぎません。平安期以降は殆ど詠まれなくなりましたが、他にも5・7・7・5・7・7の「旋頭歌《せどうか》」や、5・7・5・7・7・7の「仏足石歌」、それにこの歌のような5・7を何度もくりかえして、最後を5・7・7で締めくくる「長歌」があります。ただし「長歌」の場合はその内容を補足するために短歌形式の「反歌」を添えることが多いようです。家持のこの歌には3首の反歌が付け加えられています。そのうちの一首です。

反歌
さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし
  ~同 巻19-4181

夜が更けて暁の月に影を映して鳴くほととぎすの声を聞けば心惹かれることだよ。

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#4388 荒たへの 藤井の浦に 鮪釣ると 海人船騒ぎ ……

令和6年10月10日(木) 【旧 九月八日 仏滅】寒露・鴻雁来(こうがんきたる)

鰭強く吻ねゐし鮪の腸を抜く
(ひれつよくはねいししびのわたをぬく)
  ~山口誓子(1901-1994)

 余計なお世話だと存じましたが、五七五でリズムよくお読みいただくために、(かながき)もそえておきました。

241010_鰭強く吻ねゐし鮪の腸を抜く
Photo:マグロの解体 ~お笑いナタリー

 10月10日は1964年の第18回東京オリンピックを記念して、長らく「体育の日」でしたが、今では第2月曜に移行して「スポーツの日」と名称も変更されています。しかし「10月10日」は語呂合わせや文字の形からのほぼこじつけに近い記念日が山程あります。その中で単なるこじつけではない記念日がありました。日本かつお・まぐろ漁業協同組合連合会が制定した「マグロの日」。西暦726年10月10日(神亀3年9月15日)に聖武天皇が明石行幸の際にマグロ漁をご覧になったことを、随伴していた山部赤人が長歌に詠んだことによるとされています。その歌がこちら。

やすみしし 我が大君の
神《かむ》ながら 高知らせる
印南野《いなみの》の 邑美《おふみ》の原の
荒たへの 藤井の浦に
鮪《しび》釣ると  海人船《あまぶね》騒ぎ
塩焼くと 人ぞ多《さ》はにある
浦を吉《よ》み うべも釣りはす
浜を吉み うべも塩焼く
あり通ひ 見さくも著《しる》し 清き白浜 

  ~山部赤人 『万葉集』 巻6-0938 雑歌

我らの大君が
神であるままに宮殿を営まれる、
印南野の邑美の原の藤井の浦に
鮪を釣ろうと海人の船が賑やかに行き交い
塩を焼こうと人々が大勢いる
浦が良いので、なるほど釣りをするのだな。
浜が良いので、なるほど塩を焼くのだな。
何度も大君が通われて御覧になるのも当然だ。清らかな白浜に。

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#4377 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ ……

令和6年9月29日(日) 【旧 八月二七日 仏滅】秋分・蟄虫坯戸(むしかくれてとをふさぐ)

瓜食《うりは》めば 子ども思ほゆ 
栗食めば まして偲《しぬ》はゆ 
何処《いずく》より 来りしものそ 
眼交《まなかひ》に もとな懸《かかり》て 
安眠《やすい》し寝《な》さぬ

   ~山上憶良 『万葉集』 巻5-0802 雑歌

瓜を食べていると子供のことを思う。
栗を食べていると まして偲ばれてならない。
子どもというのは どういう因縁でやって来たものなのか。
そう思うと目の先にちらついて 眠らせてくれないものだ。

240929_したたかと言われて久し栗をむく
Photo:自民党の新総裁に決まった石破茂氏 ~NHK

 自民党の新総裁が石破茂氏に決まり、大方の予想通り株価は暴落。一時的な現象であることを祈りたいところです。幸い私は平和な世の中に生まれ育って、おそらくは生きている間に日本の国土が外国に奪われたり侵略されたりするようなことはないだろうと思いますが、世界の情勢や隣国の動きに目を向けてみると子や孫の代は大丈夫なのかと不安になってきます。総裁選の決選投票で敗れた高市早苗候補が出馬会見において引用された、「今私達がいるのは誰かが命をかけて守ろうとした未来なんだという」という言葉を思い出しました。出典となった映画は私も昨年映画館で観ましたが、新総理に就任される石破茂総裁にも経済・外交・国防・科学技術・人材などの総合力で未来の日本を強靭でしたたかな国に育てていただくよう期待してやみません。

したたかと言われて久し栗をむく
  ~中曽根康弘(1918-2019)

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