万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

防人

#4479 松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ

令和7年1月8日(水) 【旧 一二月九日 友引】 小寒・「芹乃栄(せりすなわちさかう)」

松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ
  ~物部真嶋 『万葉集』 巻20-4375

松の木が並んで立っているのを見ると、家の人々が並んで私を見送ってくれた様子にそっくりだ。

 物部真嶋は下野国の防人。天平勝宝7年に旅立つ際に詠んだ歌です。昔も今も常緑の松はおめでたいものの象徴として詩歌に詠まれてきました。


 今日は「正月事納め」といわれ、「松の内」または「注連《しめ》の内」の期間に飾られた門松や注連縄《しめなわ》の飾りを取り外す日とされています。「松の内」「注連の内」はかつては1月1日の「元日」から1月15日までとされてましたが、関東では1月7日までとするところが多いようです。お正月を一段落させる行事としては他にも「鏡開き」や「松納《まつおさめ》」「左義長(どんど焼き)」「小正月」「二十日正月」などがありますが、地域によってそれぞれ慣習や日にちが異なっているのが面白いですね。

われとわがこゝろに松を納めけり
  ~久保田万太郎(1889-1963)

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#4297 スマートフォンあやつる人ら満載し電車は夜の馬喰町過ぐ

令和6年7月11日(木) 【旧 六月六日 大安】・小暑 温風至(あつかぜいたる)

スマートフォンあやつる人ら満載し電車は夜の馬喰町過ぐ
  ~栗木京子(1954-)

240711_スマートフォンあやつる人ら満載し
Photo:アイフォーンを手にしたアップル創業者スティーブ・ジョブス氏~毎日新聞経済プレミア

 初代のiPhoneが最初に発売されたのは2007年でしたが、このときは日本の通信方式に対応していませんでした。翌年2008年の今日7月11日に2代目のiPhone3GがSoftBankから初めて日本で発売されました。一方、無償で提供されているGoogle社のAndroidOSを搭載した携帯電話も同じ頃に発売されはじめ、今では老若男女のほとんどがどちらかの端末を使うようになりました。発売当初は外出中にまで電話に追いかけ回されるのはお断りとばかりに、携帯を拒否する人も少なくなかったのですが、社会は技術の進歩に抗うこと出来ないようです。

吾子三才スマホでつなぐ尖閣の冬
  ~山本徳二(北海道)~第2回「海上保安の日」俳句コンテスト特選句

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#4236 我が母の袖もち撫でて我が故《から》に泣きし心を忘らえぬかも

令和6年5月12日(日) 【旧 四月五日 友引】・立夏 蚯蚓出(みみずいずる)

我が母の袖もち撫でて我が故《から》に泣きし心を忘らえぬかも
  ~物部乎刀良《もののべのおとら》 『万葉集』 巻20-4356

私の母が袖で撫でながら私のために泣いてくれた。その思いを忘れることができないよ。

240512_我が母の袖もち撫でて我が故に
Photo:看護師の戴帽式 ~tenki.jp

 防人として旅立つ息子を見送る時の母の涙を詠んだ万葉歌。我が子に対する母の愛は格別ですね。今日は「母の日」。そして、クリミア戦争で活躍したフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の誕生日にちなんだ「国際看護師の日」でもあります。2001年までは「国際看護婦の日」とされていました。名称は看護婦から看護師にかわったものの、現在でも女性の方が大多数を占める職業です。いろんな事情があるのでしょうが、やはり人間の生老病死に関わる女性の思いやりの深さは男性にはとても叶わないのかもしれません。

看護婦の胸の広野に母が立つ
  ~渡邊白泉 (1913-1969)

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#4074 橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

令和5年12月2日(土) 【旧 一〇月二〇日 大安】・小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)

橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも
  ~占部廣方 『万葉集』 巻20-4371

橘の木の下を吹く風が香しい筑波の山を懐かしく思わずにいられようか。

231202_橘の下吹く風のかぐはしき.jpg
Photo:橘の実 ~tenki.jp

 占部廣方《うらべのひろかた》は常陸国の防人を引率する役目を負った役人。遠く九州に向かう旅の途上、橘の香りに出会ってふるさと筑波山を思い出したのでしょう。今日は七十二候の第60候「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」二十四節気「小雪」の末候にあたります。サラリーマン時代の若い頃、似合いもしないのに柑橘系のオーデコロンに凝っていた時期が私にもありました。今なら加齢臭をごまかすために使ってみるのもいいかもしれません。「花橘」は夏の季語ですが「橘」だけの場合は実を指すので晩秋の季語に分類されています。

橘は黄を深めつつ天の鈴
  ~長谷川秋子(1926-1973)

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#4015 天地の神を祈りて征矢貫き筑紫の島をさして行く我は

令和5年10月4日(水) 【旧 八月二〇日 先負】・秋分・水始涸(みずはじめてかるる)

天地《あめつち》の神を祈りて征矢《さつや》貫き筑紫の島をさして行く我は
  ~火長 大田部荒耳 『万葉集』 巻20-4374

天と地の神に無事を祈って、敵を征伐する矢を靱《ゆぎ》(矢を入れる道具)に入れ、筑紫の島を目指して行くのだ、私は。

231004_天地の神を祈りて征矢貫き.jpg
Photo:「白村江の戦い」中川恵司 画

 「筑紫の島」とは壱岐や対馬だけではなく、大宰府が管轄する九州全体を指す呼称でした。1360年前の今日、663年10月4日(天智天皇2年8月27日)は「白村江の戦い」の戦端が開かれた日。唐・新羅連合軍に滅ぼされた友好国、百済を救援するために「筑紫の島」を経由して半島に軍を派遣しましたが、あえなく惨敗。その後、勢いに乗った唐・新羅の侵攻を怖れ、これを防衛するために設けられたのが防人《さきもり》の常駐ともう一つ、外敵の侵攻があった場合に備えて対馬から20Kmごとに狼煙を上げて都に急報する烽《とぶひ》の制度でした。

烽火台《とぶひだい》とびとびにある枯野かな
  ~長谷川零餘子(1886-1928)《はせがわれいよし》

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