令和7年2月7日(金) 【旧 1月10日 仏滅】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)
ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を
~後朱雀天皇(1009-1045)『後拾遺和歌集』 巻11-0604 恋歌一
ほんの少しでもよいから知らせてほしいものだ。春霞の中であなたを思うように心細いのだから。
第69代後朱雀天皇が亡くなったのは今から980年前。肩の悪性腫瘍の為、1045年2月7日(寛徳2年1月18日)に崩御されています。『光る君へ』の終盤に少年時代の姿が登場していましたね。

Photo:敦良親王(後朱雀天皇) ~NHK大河ドラマ『光る君へ』より
後朱雀天皇(敦良《あつなが》親王)が後一条天皇の下で立太子したのは9歳の時(1017年)。この歌を贈ったのは尚侍《ないしのかみ》であった藤原道長の娘嬉子でした。嬉子はその後即位した後朱雀天皇に入内し、親仁親王(後冷泉天皇)を生んでいます。後朱雀天皇自身も上東門院彰子(道長の娘)の子であることから、甥と叔母、3親等の関係。この当時の皇室は近親婚が多かったので珍しいことではありません。ちなみに後朱雀天皇の皇后は道長の娘藤原妍子《きよこ》の娘禎子《さだこ》であり、こちらとは4親等の従兄妹なので現在でも問題のない関係です。他に中宮として藤原頼通の娘嫄子《よしこ》がいましたが、彼女に先立たれてから1年後の七夕の日に詠んだ天皇の歌が同じ歌集の中にありました。

Photo:後朱雀天皇 『駒競行幸絵巻』
こぞのけふ別れし星も逢ひぬめりなどたぐひなきわが身なるらん
~同 『後拾遺和歌集』 巻15-0897 雑歌一
去年の今日別れた七夕の星も今宵は会っているだろうに、それに比べるべくもない悲しい我が身であることよ。
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ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を
~後朱雀天皇(1009-1045)『後拾遺和歌集』 巻11-0604 恋歌一
ほんの少しでもよいから知らせてほしいものだ。春霞の中であなたを思うように心細いのだから。
第69代後朱雀天皇が亡くなったのは今から980年前。肩の悪性腫瘍の為、1045年2月7日(寛徳2年1月18日)に崩御されています。『光る君へ』の終盤に少年時代の姿が登場していましたね。

Photo:敦良親王(後朱雀天皇) ~NHK大河ドラマ『光る君へ』より
後朱雀天皇(敦良《あつなが》親王)が後一条天皇の下で立太子したのは9歳の時(1017年)。この歌を贈ったのは尚侍《ないしのかみ》であった藤原道長の娘嬉子でした。嬉子はその後即位した後朱雀天皇に入内し、親仁親王(後冷泉天皇)を生んでいます。後朱雀天皇自身も上東門院彰子(道長の娘)の子であることから、甥と叔母、3親等の関係。この当時の皇室は近親婚が多かったので珍しいことではありません。ちなみに後朱雀天皇の皇后は道長の娘藤原妍子《きよこ》の娘禎子《さだこ》であり、こちらとは4親等の従兄妹なので現在でも問題のない関係です。他に中宮として藤原頼通の娘嫄子《よしこ》がいましたが、彼女に先立たれてから1年後の七夕の日に詠んだ天皇の歌が同じ歌集の中にありました。

Photo:後朱雀天皇 『駒競行幸絵巻』
こぞのけふ別れし星も逢ひぬめりなどたぐひなきわが身なるらん
~同 『後拾遺和歌集』 巻15-0897 雑歌一
去年の今日別れた七夕の星も今宵は会っているだろうに、それに比べるべくもない悲しい我が身であることよ。


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