万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

#4509 ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を

令和7年2月7日(金) 【旧 1月10日 仏滅】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)

ほのかにもしらせてしがな春霞かすみのうちにおもふ心を
  ~後朱雀天皇(1009-1045)『後拾遺和歌集』 巻11-0604 恋歌一

ほんの少しでもよいから知らせてほしいものだ。春霞の中であなたを思うように心細いのだから。

 第69代後朱雀天皇が亡くなったのは今から980年前。肩の悪性腫瘍の為、1045年2月7日(寛徳2年1月18日)に崩御されています。『光る君へ』の終盤に少年時代の姿が登場していましたね。

250207_ほのかにもしらせてしがな春霞
Photo:敦良親王(後朱雀天皇) ~NHK大河ドラマ『光る君へ』より

 後朱雀天皇(敦良《あつなが》親王)が後一条天皇の下で立太子したのは9歳の時(1017年)。この歌を贈ったのは尚侍《ないしのかみ》であった藤原道長の娘嬉子でした。嬉子はその後即位した後朱雀天皇に入内し、親仁親王(後冷泉天皇)を生んでいます。後朱雀天皇自身も上東門院彰子(道長の娘)の子であることから、甥と叔母、3親等の関係。この当時の皇室は近親婚が多かったので珍しいことではありません。ちなみに後朱雀天皇の皇后は道長の娘藤原妍子《きよこ》の娘禎子《さだこ》であり、こちらとは4親等の従兄妹なので現在でも問題のない関係です。他に中宮として藤原頼通の娘嫄子《よしこ》がいましたが、彼女に先立たれてから1年後の七夕の日に詠んだ天皇の歌が同じ歌集の中にありました。

250207_かすみのうちにおもふ心を
Photo:後朱雀天皇 駒競行幸絵巻

こぞのけふ別れし星も逢ひぬめりなどたぐひなきわが身なるらん
  ~同 『後拾遺和歌集』 巻15-0897 雑歌一

去年の今日別れた七夕の星も今宵は会っているだろうに、それに比べるべくもない悲しい我が身であることよ。

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#4505 あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる

令和7年2月3日(月) 【旧 1月6日 赤口】 立春・東風解凍(はるかぜこおりをとく)

あふさかの関をや春もこえつらむ音羽の山のけさはかすめる
  ~橘俊綱(1028-1094)『後拾遺和歌集』 巻1-0004 春歌上

逢坂の関を春は越えてやってきたようだ。音羽の山にも今朝は春霞がかかっている。

 昨日の節分をもって季節は一区切り。明けて今日は「立春」。二十四節気も一廻りして振り出しに戻りました。「立春」は別名「正月節」とも呼ばれ、『暦便覧』には「春の気立つを以って也」と記されています。暦の上ではこの日から「立夏」の前日までが春です。ただし、南岸低気圧の発生は立春から後に多くなり、寒さや荒れた天気が続くので安心はできません。記録的な大雪災害もここからあとに発生する例が多いので要注意です。もちろん梅がほころび始めるなど明るい春の兆しが見え始めるのもこの時季です。

250203_あふさかの関をや春もこえつらむ
Photo:春霞(早春の琵琶湖) ~新治の風景ギャラリー

 橘俊綱は機内との境である逢坂の関を越えて春がやってきたと言っていますが、長く奈良に住んでいた俳人の右城暮石《うしろぼせき》(出身は高知県)は和歌山県の空と海から春が来たと詠んでいます。

和歌山県天から海から春来るよ
  ~右城暮石(1899-1995)『上下』

Youtube:メンデルスゾーン「春の歌」(無言歌集 第5巻-6)


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#4216 かつてわが戦艦大和の兵見しを夫にも子にも語りしことなし

令和6年4月22日(月) 【旧 三月一四日 仏滅】・穀雨 葭始生(あしはじめてしょうず)

春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思え
  ~前川佐美雄(1993-1990)

240422_かつてわが戦艦大和の兵見しを
Photo:戦艦「大和」の1/10スケールの模型
   (大和ミュージアム・呉海事歴史科学館)2024年4月15日


 「大和《ヤマト》」というのは歌人前川佐美雄の故郷奈良の旧国名であり、日本という国を総称する名前でもあります。かつて旧海軍の戦艦の名前には武蔵、信濃など旧国名が与えられていました。そして国運を賭けた史上最大級の戦艦には当然のように「大和」の名が冠されました。先週、呉の「大和ミュージアム」に訪れました。数年前、パールハーバーに行った際、降伏文書に署名した戦艦ミズーリに乗艦し、対馬丸を沈めた潜水艦ボーフィンを見学しましたが、やはり実物に触れることで戦争というものの正体を改めて感じることができるものです。大和の実物はもちろん残っていませんが、アリゾナと同様、多くの兵士の命もろとも沈められたほうの船の記録も知っておかないといけません。

かつてわが戦艦大和の兵見しを夫にも子にも語りしことなし
  ~桜井幸子(?-2010)

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#4214 家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞に

令和6年4月20日(土) 【旧 三月一二日 友引】・穀雨 葭始生(あしはじめてしょうず)

家思ふと寐《い》を寝ず居れば鶴《たづ》が鳴く葦辺も見えず春の霞に
  ~作者未詳 『万葉集』 巻20-4400

故郷の家を思って寝られずに居ると鶴が鳴いている葦辺もみえない。春の霞のために。

240420_家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く
Photo:葭始生 ~暦生活

 二十四節気「穀雨」の初候6日間(4月19日~24日)は七十二候の第16候「葭始生(あしはじめてしょうず)」。水辺にイネ科の多年草アシ(葦・蘆・芦)が芽吹き始める頃。夏になると群生した葦が水面も見えないように高く生い茂りますが、今はまだ細い筍のような芽が水面から顔を出す程度。葦は俳句では晩春の季語ですが、これから夏にかけての成長は目を見張るばかりに早いようです。

芦のびて鯰とる子をかくすほど
  ~岸風三楼《きし ふうさんろう》(1910-1982)『往来』

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#4160 知るらめや霞の空をながめつつ花もにほはぬ春をなげくと

令和6年2月26日(月) 【旧 一月一七日 大安】・雨水 霞始靆(かすみはじめてたなびく)

如月まで梅の花咲き侍らざりける年詠み侍りける
知るらめや霞の空をながめつつ花もにほはぬ春をなげくと

  ~中務(912?-991?) 『新古今和歌集』 巻1-0039 春歌上

(梅の花は)知っているのでしょうか。私が霞のかかった空を眺めて、もの思いに沈んでは花の咲かない春を嘆いていることを。

240226_知るらめや霞の空をながめつつ
Photo:中務 ~紙本金地著色三十六歌仙絵図(医王寺)

 今年は冬の終わりから暖かい日が続いて早々と各地の梅が見頃になっていますが、この歌の詞書によると「如月まで梅の花が咲かなかった年に詠んだ」とあります。三十六歌仙の一人、中務は宇多天皇の皇子、中務卿敦慶親王の娘。清少納言や紫式部などの父親世代の女流歌人です。当時の暦の「如月」は今の3月頃ですから、京都で梅がまだ咲いていないとすれば随分寒くて長い冬を越した年だったのでしょう。ちなみに今日は旧暦1月17日。冷たい雨が降る京都ですが北野天満宮など、梅の名所では既に花の見頃を迎えています。

京都人春寒き言申しけり
  ~村山古郷(1909-1986)

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