令和8年4月7日(火) 【旧 2月20日 先負】 清明・玄鳥至
春の山のうしろから烟が出だした
~尾崎放哉(1885-1926)(辞世)

Photo:尾崎放哉
帝大法科を卒業し、一校時代の俳句仲間だった荻原井泉水《せいせんすい》が提唱する自由律俳句に刺激されて作風が一挙に変わっています。自由律俳句とは五・七・五の定型や季語、切れ字に縛られず、感じたままの心の動きを独自の律動で表現する俳句です。放哉のエピソードを見ると酒で保険会社を免職、妻に心中を迫って逃げられるなど、なるほどと思わせる生活態度だったようです。死因は肺結核、海の見えるところで死にたいと言って亡くなった小豆島の南郷庵に放哉の墓と尾崎放哉記念館があります。
生きざまも自由律動放哉の深き孤独に酒を供えむ
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春の山のうしろから烟が出だした
~尾崎放哉(1885-1926)(辞世)
種田山頭火と並ぶ自由律俳句の著名な俳人、尾崎放哉《ほうさい》はちょうど100年前の今日、1926(大正15)年4月7日に香川県小豆島の南郷庵で亡くなりました。出身は鳥取県。放哉の句作は中学時代にはじまっており、その後一高から帝大に在学中までの作品は定型句でした。
郷を去る一里朝霧はれにけり
~同(大学時代の定型句)

Photo:尾崎放哉
帝大法科を卒業し、一校時代の俳句仲間だった荻原井泉水《せいせんすい》が提唱する自由律俳句に刺激されて作風が一挙に変わっています。自由律俳句とは五・七・五の定型や季語、切れ字に縛られず、感じたままの心の動きを独自の律動で表現する俳句です。放哉のエピソードを見ると酒で保険会社を免職、妻に心中を迫って逃げられるなど、なるほどと思わせる生活態度だったようです。死因は肺結核、海の見えるところで死にたいと言って亡くなった小豆島の南郷庵に放哉の墓と尾崎放哉記念館があります。
生きざまも自由律動放哉の深き孤独に酒を供えむ
~林龍三(1952-)
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