万葉歳時記 一日一葉

「万葉集」から1300年の時を超えた現代短歌・俳句まで、
昔と今を結ぶ日本人のこころの歌を歳時記にしました。

#4541 常よりも父はやさしくふるまいて子等らと過ごしぬ空襲前夜

令和7年3月11日(火) 【旧 2月12日 先勝】 啓蟄・「桃始笑(ももはじめてさく)」

三月十日も十一日も鳥帰る
  ~金子兜太 「海程」2011年10月号

 金子兜太の句にある「三月十一日」とは2011年3月11日、三陸沖に発生した地震と津波による東日本大震災のことを指しています。これはまだまだ私達の記憶に新しいのですぐにピンとくる日付ですね。では「三月十日」とは何でしょう。

250311_三月十日も十一日も鳥帰る
Photo:空襲で焼け野原になった東京 ~YAHOO! Japan ニュース

 ちょうど80年前の1945年3月10日、東京下町地区を目標にB29からおよそ1,700トンもの焼夷弾が投下された「東京大空襲」の日。ちなみに東日本大震災による死者15,723人(震災関連死を含めず)に対して東京都心部への無差別爆撃はこの日を含めて計106回行われており、遺体が確認された数だけでも10万5400人。もちろん東京以外の地方都市にも大規模な空襲がありましたが、今はそれを知る人も少なくなってしまいました。これも日本人の記憶としては忘れてはならない悲しみの一つです。

常よりも父はやさしくふるまいて子等らと過ごしぬ空襲前夜
  ~赤音崎爽 『昭和二十年大阪大空襲~我が祖母の6ヶ月間の記憶』より

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Photo:第2次大阪大空襲後の大阪築港 ~常夏通信

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#4531 われ寂し青き李の花に似て弥生の空のもとに悩める

令和7年3月1日(土) 【旧 2月2日 先負】 雨水・草木萌動(そうもくめばえいずる)

われ寂し青き李の花に似て弥生の空のもとに悩める
  ~三ケ島葭子(1886-1927)

 三ケ島葭子《みかじまよしこ》は明治から大正にかけて生きた埼玉県出身の女流歌人。与謝野晶子に師事して生涯に6000首余りの短歌を残しています。

250301_われ寂し青き季の花に似て
Photo:李《すもも》の花と蕾 ~きまぐれプラネタリウム

 もとは旧暦三月の別名でもあった「弥生」の語源は「草木弥生月《くさきいやおいつき》」を略したもの。「弥《いや》」は「いよいよ」という意味なので、草木がいよいよ生い茂る月だという意味です。なんとなく春らしくうきうきした気分にさせられますが、人事異動や退職、卒業の季節でもあります。冒頭の短歌はどちらかと言うとそんな寂しさを詠んだものですね。明るい方の弥生の俳句も一句。

愛は地に満てり弥生の軒すゞめ
  ~石塚友二(1906-1986)

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#4526 ヒマラヤの樹の間岩間の羊腸折うらさびしきに杜鵑啼く

令和7年2月24日(月) 【旧 1月27日 先負】 雨水・霞始靆(かすみはじめてただよう)

ヒマラヤの樹の間岩間の羊腸折《つづらをり》うらさびしきに杜鵑啼く
  ~河口慧海(1866-1945)『チベット旅行記』

250224_菩提樹の梢に月のとゞまりて
Photo:河口慧海と『チベット旅行記(抄)』

 黄檗宗の僧で仏教学者、そして探検家でもある河口慧海《かわぐちえかい》が亡くなったのは1945年2月25日。今日は80年目の命日に当たります。昨日掲載した天皇陛下の御製と同じく詠まれた場所はヒマラヤ。この人物、あまり知られていませんが、1897(明治30)年に仏教修行のため、当時は鎖国状態で日本人が足を踏み入れることのできなかったチベットに間道を縫って潜入し、現地では「シナ人」と偽ってダライ・ラマ13世にも面会した人物です。危うく日本人であるという素性が露見する直前にラサを脱出したという、インディー・ジョーンズのような冒険をしています。


 慧海はわが町大阪府堺市の出身。若い頃は宿院小学校の教員をしていました。生誕地に近い南海電車七道駅前に河口慧海の銅像が建てられており、カトマンズにもネパールと日本との友好を示す「河口慧海訪問の記念碑」が設置されています。

菩提樹の梢に月のとゞまりて明けゆく空の星をしぞ思ふ
  ~同

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#4525 朝もやの晴れ上がりゆく湖にヒマラヤの峰姿耀ふ

令和7年2月23日(日) 【旧 1月26日 友引】 雨水・霞始靆(かすみはじめてただよう)

朝もやの晴れ上がりゆく湖にヒマラヤの峰姿耀ふ
  ~徳仁皇太子殿下(平成2年当時)

 今上天皇陛下65歳のお誕生日です。この御製は昭和62(1987)年3月にネパール・ブータン・インドを親善訪問された時のもので、ヒマラヤの峰を臨む湖畔での印象を詠まれています。昭和天皇の病状悪化と崩御によりこの歌が披露されたのは平成2(1990)年の「昭和天皇を偲ぶ歌会」でした。

250223_朝もやの晴れ上がりゆく湖に
Photo:ヒマラヤ山脈 ~ゆり先生の化石研究室

 さて今日は七十二候の第5候「霞始靆(かすみはじめてただよう)」。二十四節気「雨水」の次候に当たります。この御製に「朝もや」とありますが、霧と靄《もや》、そして霞《かすみ》は少し違うようです。どれも遠くが見えにくい状態をさしますが、原因が空気中の水蒸気に限定すると霧と靄は同じ現象で、水平視程1km未満を霧、1km以上を靄と呼び分けています。霞《かすみ》はそれに加えて、黄砂や花粉、噴煙が原因の場合にも使える言葉なので気象用語には採用されていません。一方、俳句では霞は春、霧は秋の季語とされていますが靄は単独では季語にはならないので要注意です。

行方もつ鳥は過ぎゆく冬の靄
  ~林翔(1914-2009)『和紙』

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#4513 めじろ来て「地球は球」と啼くあしたまだ闇にゐるひとをおもへり

令和7年2月21日(金) 【旧 1月24日 赤口】 雨水・土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

指はみだらや鶯餅のきなこの黄
  ~鳥居真里子(1948-)『船団』

250221_指はみだらや鶯餅のきなこの黄
Photo:うぐいす餅 ~TubeRecipe

 この季節にぴったりのうぐいす餅。あの柔らかい触感とうぐいす色の甘いきなこ。鶯はあんな色をしていないなどと無粋なことを言うなかれ。日本の色名にある「鶯色」とは茶色ではなくまさにうぐいす餅のような黄緑色なのです。来年の大河ドラマ『豊臣兄弟』の主人公、豊臣秀長が兄秀吉を招く茶会を開く際に作らせたのがこのお菓子だそうで、これに舌鼓を打った秀吉が「うぐいす餅」と名付けたのだとか。だとすれば、ウグイスとメジロの羽色を混同したのは豊臣秀吉だったのでしょうか。

250221_めじろ来て「地球は球」と啼くあした
Photo:メジロのつがい ~種子島のブログ

 色はメジロに譲るけど、さえずりはウグイスの勝ちだと思われるかもしれませんが、メジロのさえずりも捨てたものではありません。昔から「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と聞きなしがされていますが、こんな短歌を見つけました。たしかに「地球は球」と聞こえなくはありません。

めじろ来て「地球は球」と啼くあしたまだ闇にゐるひとをおもへり
  ~春野りりん 『ここからが空』

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