2003年の春に私は起業をする前にその人に会いに行った。
その人は饒舌に資産運用会社の在り方を語り、コンプライアンスの重要性をとくとくと述べた。とにかく、金融はコンプライアンスがすべてだ、法的にしっかり防衛網を固めておかないと・・・という話をしてくれた。
その人に会ったのは私はこのときの一回だけである。彼は彼自身のことを「ファンドマネジャー」と呼んでいた。ただ私は非常に違和感があった。彼はファンドマネジャーなのだろうかと。
その後も新聞やTVで彼の活動を見聞きして、その違和感がますます強くなった。「私はファンドマネジャーなので顧客の資産を増やすのは当然です」ときっぱり言い切っていた。もちろんそれはそうだ。その発言そのものを取り出すと、もちろんそうだと同意せざるをえないが、彼をよく知る知人の話を通して聞く限り、また彼の実際の行動を見る限りとても違和感を覚えてならなかった。
その人は饒舌に資産運用会社の在り方を語り、コンプライアンスの重要性をとくとくと述べた。とにかく、金融はコンプライアンスがすべてだ、法的にしっかり防衛網を固めておかないと・・・という話をしてくれた。
その人に会ったのは私はこのときの一回だけである。彼は彼自身のことを「ファンドマネジャー」と呼んでいた。ただ私は非常に違和感があった。彼はファンドマネジャーなのだろうかと。
その後も新聞やTVで彼の活動を見聞きして、その違和感がますます強くなった。「私はファンドマネジャーなので顧客の資産を増やすのは当然です」ときっぱり言い切っていた。もちろんそれはそうだ。その発言そのものを取り出すと、もちろんそうだと同意せざるをえないが、彼をよく知る知人の話を通して聞く限り、また彼の実際の行動を見る限りとても違和感を覚えてならなかった。
私はそれが本当によいことかどうかはわからないが、大学を卒業してすぐにファンドマネジャーとしてトレーニングをされた。逆にファンドマネジャーの仕事以外は経験がない。とにかく右も左もわからないときから、ファンドマネジャーに囲まれて仕事をしてきた。諸先輩達が口をそろえて言うのは、お金を運用するこわさについてである。お金を運用する・・・ということだが、さらに言うと「お金そのもののこわさ」について思いを巡らさなければならない。私は繰り返し繰り返し、お金のこわさ、そのようなこわいお金を運用するこわさを聞いていた。お金はそれそのものがパワーであるし、人によっては「命よりも金が大事」という価値観の人さえ存在する。少なくとも「命の次に大事なのは金」という価値観の人は珍しいというわけではない。
また金をめぐり争いや紛争が起きる。富の分配という観点で見れば経済的事象は戦争の原因になりやすく(引き金は政治であっても)、お金は見方によれば爆弾よりも怖いのである。本当に取り扱い危険物なのだと思うし、お金に関しては私は今でも臆病だ。概してファンドマネジャーは臆病なのであり、私から見て長期的に生き残りかつ尊敬できるファンドマネジャーは慎重な人が多い。決定的な大成功を続けるよりは、二塁打を確実に重ねて決定的な大失敗を絶対にしないというタイプの人は長期的に大きな成功をするファンドマネジャーであると思う。
お金にはパワーがある。資本主義というのはシェアをおさえたものが勝ちというシンプルなゲームなので、圧倒的な資本力で企業の株を買い占めていくというのは迫力があるし面白い。わくわくするゲームかもしれない。しかし、常に自問自答しなければならない。そのお金は顧客のお金であり、自分のお金ではないという基本的な認識がとても重要だ。そうでなければ、「暴走族の論理」に入り込んでしまうのである。それはマシンのパワーが自分のパワーであるかのように勘違いをすることである。自己の拡大だ。200馬力のスポーツカーに乗っていても、実際運転している人は1馬力もない非力な存在なのである。非力な自分をまずよく知っていることが私の知る優秀なファンドマネジャーであり、非力な自分が圧倒的な資金のもつ怖さを理解しつつ、そのエネルギーを市場というマグマに放り込んでいくのである。
私は彼をみていて職業的ファンドマネジャーとしての基礎体力のなさを常に感じていた。私は元官僚の彼が経歴にいつも「元経済産業省の・・・」という枕詞をつけさせているところにも違和感を感じていた。彼は国というスーパーパワーから顧客の膨大な資産をスーパーパワーにして、国家権力から株主という権力に置き換えていっただけである。その過程の中に、企業に対する愛はなく経営者に対する尊敬の念もない。
いやもちろん、株主の権利や株主の地位の向上は非常にけっこうな話だ。彼をマネーゲームと揶揄することはあまりあたらない。モノづくりは大事だが、サービス業や権利の売買だって同時に重要な仕事である。モノづくりはモノを使って裁定をしているだけであり、金融業の裁定ともの作りの裁定に価値の差を作ろうというのは、職業に貴賤をつける行為である。
とはいえ、膨大な資金量を使い、その金の価値をてこに相手を恫喝する手法は法的に許されているとはいえ、いかにもまずい。法の下の支配であり法律の範囲内であれば何をしてもよいかというとそういうことにはならない。法律は人の手によって作られ人の手によって守られる。人というのは大衆の合意であり、原則的には政治家によって作られるのである。政治家は国民による選挙によって選ばれている以上、多くの国民が理解できないことや不快に思うことが通り続けることはない。
少なくとも顧客の資金の集合体としてのファンドに対し、畏怖の念が必要で、かつそのスーパーパワーの行使も抑制的であらねばならないと考えている。もちろんモノ言う株主としてアクティビスト的に行動をすることは大いに賛成だが、弱くて無能な経営者に発揮されるべきではなく、おそらく強くて無能な経営者に対して発揮すべきである。さらに実務上おそろしいのは弱くて無能な経営者に対する戦いである。弱くて無能な人は集まるのである。弱くて無能なものの集合体は強くて有能な小さい組織をはねとばしてしまう。TVで、巨大なスズメバチに弱いミツバチが束になって囲み、押しくらまんじゅう状態にしてスズメバチの体温を上げて死にいたらせる映像を見た。弱いものは群れるのである。
もし彼の集めた資金が彼の信念に共感し、彼が逮捕されようが何しようが、信頼して預け続ける資金であれば村上ファンドは安泰である。だがそうなのだろうか。日本の年金資金も村上ファンドに一部預けているとも聞いている。村上ファンドに資金を預けた年金運用の担当者の職は安泰なのだろうか。海外の資金も裏に厳しい監査法人があり、かつそれらの資金の出し手が厳しくモニターしている。解約売りが殺到するならば保有資産の価値が下がるので、海外の投資家はむしろクールに売却をするのだろう。
100億円を3年で稼ぐよりは、毎年5億円ずつ20年で稼ぐほうが結果的に幸せになりそうな気がする。彼は時間軸をもっと長くとることができなかったのだろうか。
また金をめぐり争いや紛争が起きる。富の分配という観点で見れば経済的事象は戦争の原因になりやすく(引き金は政治であっても)、お金は見方によれば爆弾よりも怖いのである。本当に取り扱い危険物なのだと思うし、お金に関しては私は今でも臆病だ。概してファンドマネジャーは臆病なのであり、私から見て長期的に生き残りかつ尊敬できるファンドマネジャーは慎重な人が多い。決定的な大成功を続けるよりは、二塁打を確実に重ねて決定的な大失敗を絶対にしないというタイプの人は長期的に大きな成功をするファンドマネジャーであると思う。
お金にはパワーがある。資本主義というのはシェアをおさえたものが勝ちというシンプルなゲームなので、圧倒的な資本力で企業の株を買い占めていくというのは迫力があるし面白い。わくわくするゲームかもしれない。しかし、常に自問自答しなければならない。そのお金は顧客のお金であり、自分のお金ではないという基本的な認識がとても重要だ。そうでなければ、「暴走族の論理」に入り込んでしまうのである。それはマシンのパワーが自分のパワーであるかのように勘違いをすることである。自己の拡大だ。200馬力のスポーツカーに乗っていても、実際運転している人は1馬力もない非力な存在なのである。非力な自分をまずよく知っていることが私の知る優秀なファンドマネジャーであり、非力な自分が圧倒的な資金のもつ怖さを理解しつつ、そのエネルギーを市場というマグマに放り込んでいくのである。
私は彼をみていて職業的ファンドマネジャーとしての基礎体力のなさを常に感じていた。私は元官僚の彼が経歴にいつも「元経済産業省の・・・」という枕詞をつけさせているところにも違和感を感じていた。彼は国というスーパーパワーから顧客の膨大な資産をスーパーパワーにして、国家権力から株主という権力に置き換えていっただけである。その過程の中に、企業に対する愛はなく経営者に対する尊敬の念もない。
いやもちろん、株主の権利や株主の地位の向上は非常にけっこうな話だ。彼をマネーゲームと揶揄することはあまりあたらない。モノづくりは大事だが、サービス業や権利の売買だって同時に重要な仕事である。モノづくりはモノを使って裁定をしているだけであり、金融業の裁定ともの作りの裁定に価値の差を作ろうというのは、職業に貴賤をつける行為である。
とはいえ、膨大な資金量を使い、その金の価値をてこに相手を恫喝する手法は法的に許されているとはいえ、いかにもまずい。法の下の支配であり法律の範囲内であれば何をしてもよいかというとそういうことにはならない。法律は人の手によって作られ人の手によって守られる。人というのは大衆の合意であり、原則的には政治家によって作られるのである。政治家は国民による選挙によって選ばれている以上、多くの国民が理解できないことや不快に思うことが通り続けることはない。
少なくとも顧客の資金の集合体としてのファンドに対し、畏怖の念が必要で、かつそのスーパーパワーの行使も抑制的であらねばならないと考えている。もちろんモノ言う株主としてアクティビスト的に行動をすることは大いに賛成だが、弱くて無能な経営者に発揮されるべきではなく、おそらく強くて無能な経営者に対して発揮すべきである。さらに実務上おそろしいのは弱くて無能な経営者に対する戦いである。弱くて無能な人は集まるのである。弱くて無能なものの集合体は強くて有能な小さい組織をはねとばしてしまう。TVで、巨大なスズメバチに弱いミツバチが束になって囲み、押しくらまんじゅう状態にしてスズメバチの体温を上げて死にいたらせる映像を見た。弱いものは群れるのである。
もし彼の集めた資金が彼の信念に共感し、彼が逮捕されようが何しようが、信頼して預け続ける資金であれば村上ファンドは安泰である。だがそうなのだろうか。日本の年金資金も村上ファンドに一部預けているとも聞いている。村上ファンドに資金を預けた年金運用の担当者の職は安泰なのだろうか。海外の資金も裏に厳しい監査法人があり、かつそれらの資金の出し手が厳しくモニターしている。解約売りが殺到するならば保有資産の価値が下がるので、海外の投資家はむしろクールに売却をするのだろう。
100億円を3年で稼ぐよりは、毎年5億円ずつ20年で稼ぐほうが結果的に幸せになりそうな気がする。彼は時間軸をもっと長くとることができなかったのだろうか。
そのような努力が欠けていたんでしょう。ホリエモンも村上さんも。せっかく一定の限局的な才能がある人なのに「根性」が足りないんでしょうね、自分の才能を全面展開するために必要な根性が。