なぜ雪音りえになったのか

どうして「雪音りえ」になったのか? その2


続いて、雪音の由来をお話したいと思います。
どうして「雪音りえになったのか?その1」はこちら


さあ作家活動に向けて名前を変えましょう、となりましたが
勝手に変えてはご迷惑がかかると思い
まずは取引先のギャラリーさんにご相談したところ

「お客さま方が、りえさんって呼んでらっしゃって定着しているので
ファーストネームの方は変えないで欲しい。」
と言われました。

では、名字だけ変えますね、ということで
名字選びが始まりましたが、私は
雪 という一文字を入れることだけは決めていました。


なぜならこの文字には母の希望があったからです。

「本当は、雪って名前にしたかったのよ〜」
と母は折りに触れて言っていました。

雪の降る季節に生まれるから
絶対に雪にしようって思ってたのに
半年先に生まれた従姉が付けてしまったので諦めたそうです。


もう一つには、
私は雪の結晶にとても惹かれて、これをなんとか
そのままジュエリーに出来ないかなあといつも思っていたからです。
初期の作品に雪をモチーフにしたネックレスがあります。
(そのネックレスは、来年にリバイバルで出そうと思っています。)


本名のファーストネームの りえ は漢字で 理恵 と書きます。

父の思いが入った名前です。

私は生まれてすぐに原因不明の呼吸困難に陥り
心臓の緊急手術をしようということになりました。

医師からは
「残念ですが、助かる可能性は手術をしたとしても2%です。」
と言われたそうです。

それを聞いた父は、私のことを諦めたそうです。

「お前はこの世に生きられないけれど
その運命をどうか理解して受け容れて欲しい。」

宇宙の理(ことわり)を理解し、理に恵まれ、
そして死んでも人々に恵みを与えるように。

父にインスピレーションがあったらしく、
そう言って、私の名前を理恵と付けたそうです。


その手術を行うには、4人の医師全ての賛成が必要でしたが
「この子は手術したら助からない。生命力にかけよう。」
と、1人だけ反対した若い医師がいたそうです。

そしてその若い医師の決断のおかげで
私は今こうやって生きています。

おまけに
「あれほど助からないって言われた赤ん坊がまあよくここまで育ったね〜」
と言われる位、でっかくなりました(笑)



そんな由来もあり、アーティストネームは
父と母の想いの両方が入ったものにしたいと思いました。


さて、名前に 雪 を入れると言っても、雪村 とか 雪下 だと
「あれ。結婚したの?」と言われそうです。

困ったなあ〜〜〜〜と1週間ほど悩みました。

まあなんか2,3日以内に出てくる気がする!
ぜんぜん根拠ないけど!
と思って3日経ったある日の朝、何気なく朝刊をめくったら

「レストラン海音(うみね)、オープン!!」

松島に新しくレストランがオープンするというお知らせが
ドドーンと目に入って来ました。
ちなみにここ、とっても美味しいですよ。



あ。これだ。


雪音りえ ってこれいいんじゃない。

思えば今もこんな感じでいろんなことを決めています。
ここからすでに始まっていたのですね。


生きるの死ぬのと状況に翻弄される運命だった割には
ちっともロマンチックでも劇的でもなく
こんなあっけない流れで決定してしまいました。



名前は親が子の顔を観て最初に受け取るインスピレーションで
名付けは、とてもサイキックな行為です。

名付けた瞬間からその名前の運命を歩み始め、
10年使うと完全にその波動になります。
使えば使うほど、波動が合うのも早くなります。

私は5年経ったころにすっかり馴染み、
10年経ったころには完全に自分と一体になっていました。

不思議な事に13年経った頃にまた変化が訪れました。
あれだけ忌み嫌っていた父方の姓を、大事に思うようになりました。

この名前に14年、助けられてきました。
今はすっかりパートナーとなっていて、
これからも大事にしていきたい名前です。

そしてどちらも私であり、どちらも大事になった今を
嬉しく思っています。

名前を付けてくれた両親にとても感謝しています。





どうして「雪音りえ」になったのか その1

雪音さんって本名なんですか〜?
どうして雪音なんですか〜?

と最近、頻繁に名前のことを聞かれるようになりました。

何か変えるような啓示やインスピレーションがあったのですか、
と言われるのですが、残念ながらそんなにスピリチュアルで
かっこいい感じはありません。わはは〜。

でも大きなきっかけがありました。
それが無ければ、たぶん名前を変えることは無かったでしょう。

ということで今日は名前を変えたきっかけをお話しようと思います。


雪音りえ の りえ は本名ですが
雪音 という名前は本名ではありません。

私は22歳からジュエリーアーティストの活動を始めたのですが、
25歳までの間は、本名で活動していました。

ユニティの小冊子やこのブログを昔から読んでくださっている方は
私の父が自殺したことをご存じの方も多いと思います。

父の死因が理由で、私たちは父方の親戚と大揉めに揉めました。
揉めたというよりも、父が死んだのは私のせいだと
責められたという方が正しいかな。

仕方が無かったかなと思います。
とにかくあまりに突然で、悲し過ぎて辛いことで、
誰もが誰かのせいにしなければ、きっとやりきれなかったのです。


当時、私はジュエリーアーティストとして活動をし始め、
仕事も順調に増えて来ていました。
翌年には初めての個展も控えていました。

けれども勿論まだそれだけで食べて行ける訳ではなかったので
制作費を稼ぐためにモデルやイベントコンパニオンの
アルバイトをしていました。

様々なアルバイトをしましたが、モデルの仕事は一番長く続きました。
それなりの努力や自己管理は必要でしたが報酬も高く
他のアルバイトをするよりもずっと多く制作活動の時間を取れる事が
何よりもありがたかったのです。

また地方に行くと美味しいものも食べられたし
立ち居振る舞いが身に付いて自分が変化していく事が嬉しく
それは後々非常に役に立ちました。

地元だけの活動ですしそれほど華々しい仕事でも
あまりモデルらしい仕事もなかったけれど、
段々と指名も来る様になって来ていました。

けれど、いつになったらアーティスト一本で仕事出来るだろうか、
と不安でもありました。


そんな矢先に父の事がありました。

母は、私を庇う気持ちが強かったのだと思います。
まっさきに、周囲からの目を考えました。
 
「とにかく目立たないで欲しい。
田舎ですぐに噂が立つから名前の出る仕事や目立つ仕事は
一切辞めて、これからは地味な仕事をして欲しい。」
そう私に言いました。

私もショックが大きすぎて、イベント会場や
カメラの前で笑顔を作ることなど到底無理でしたし
随分前から指名をもらっていた仕事を直前でキャンセルして
事務所に迷惑をかけてしまった申し訳なさもあったので
すぐにモデルのアルバイトを辞めることにしました。

その仕事にそこまで意地もやりがいも持てなかった、というのも本音でした。
自分に才能がある様にも思えませんでした。
その仕事をどうしてもしたいと望んでいる人たちにとっては
違う方向を目標にしていながら仕事を貰う私は
邪魔な存在だったかもしれません。
嫌がらせをされることもあり、派手な競争の世界は肌に合いませんでした。


私は物心ついた頃からずっと思っていました。
なぜ周囲に自分を合わせたり
また比べたり競争したりして生きて行く必要があるのか?と。

無理なサイズに自分を合わせずに
それぞれ魅力や違いがあることを解り合えたらみんなが幸せになれるのに。
という想いがありました。

周囲の人々の価値観に合わせて生きる必要なんかない、
という私の意見は両親と衝突することも多くあり
この土地で生きることにいつも違和感と孤独を感じて
周囲と馴染めずにいました。


しかし今回ばかりは
母の気持ちを考えるとそれは言えませんでした。

この時から更に、「人様より目立たないようにすること」が
人生で私が最も気をつけることになりました。

そして私は父が死んだ時から
親戚達と同じ、父と同じ自分の名字を忌み嫌うようになりました。

父を死に追いやった私という人間は汚れているのだから
この名前で物を創っちゃいけないとも思いました。

個展もやめて欲しいと言われましたが、
どうしても物を創造し、生み出す仕事だけは
辞めたくなかったのです。


だから創作活動を続けるには名前を変えるしかないと考えました。

名前を変えたのは、それがきっかけでした。

今思うととてもネガティブなきっかけで名前を変えましたが、
それでも新しく付けた 雪音りえ という名前は
確かに私を救ってくれました。

ジュエリーを創る表の人間を別に持つことで
嫌な事を忘れて創作活動する事が出来ましたし
フリーランスで活動している身にとって
出逢った人にすぐに名前を覚えてもらえるのはとても嬉しいことでした。


親しい人からも、はじめてお会いした方からも
名前を変えた理由を聞かれることはとても多いのですが
いつもなんとなく誤魔化していました。

私にとってこの経緯を話すのは少々骨が折れることでしたし
父方の親戚には生きている人たちもいて、未来もあるので
責めたり悪人扱いせずにありのままを説明出来るようになるまで
話すことが出来なかったのです。

つい最近までは、生まれた土地や
出身中学を聞かれると口籠ってしまっていました。
私の名字は割と珍しく、また小さな街なので
出身地や中学の名前を言えば遅かれ早かれ
自分の出生や父の事が分かってしまうと思ったからです。

現にそれを口実にして近づいて来た人たちもいて、
私は不意打ちで心に入られることに対してとても過敏になっていたので
繰り返し、名前を変えた理由に嘘をつくようになりました。
嘘をつきながらもその頭の中では当時の事が
思い出されてしまうのが一番の難点でした。

本当の理由を言葉にして話せるようになったのは最近で、
10年以上も経ってからのことです。



なぜ、雪音 というアーティストネームを付けたのかは
とても単純というか、特に夢のある話でもないのですが
次の記事で書きたいと思います。





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