りかこの乳がん体験記

 30代でみつけた左乳房のしこり。 「“良性”だからそのままにしておいていいよ」。 視触診だけで簡単に下された診断。 そして私は医師の言う通り放置した。 4年8ヶ月後、大きくなったしこりを切除。 “良性”だと思っていたのに、病理検査の結果は悪性――乳がんだった・・・。

2016年01月

≪私の記録 23≫ 腹部MRI検査結果

    2006年12月19日(火)

今日は、先日受けたMRIの結果を聞きに行った

結局、肝臓の影は、
MRIでもがんかどうかわからなかった

腫瘍の大きさを聞くと7mmだという

一昔前なら見逃す大きさらしい

「針を刺して細胞を採るまでもない」とのことだった

乳がんからの転移なのか、単刀直入に聞いてみた

主治医は、
「うーん、間違いないね」と断言した


この間のCTの結果も、
やはり胸にしこりが残っているようだった

「前の病院の先生は、
 検査のために一部だけ切除したのでは...」

ということだった

そのほかにもわきの下のリンパ節にも
転移の兆候

が、これは、
しこりを切除したことによるもの...
ということも考えられた


肝臓に転移していれば胸の手術は後回しで、
先に肝臓のがんを小さくするために
抗がん剤治療をする

それが効いて、
もしかしたら胸にも効いて
おっぱいのしこりが小さくなったら、
おっぱいの切除は小さくて済む

「今の状態では、温存はできない」と、
言われた

前の医院で切っているので、
周りが硬くなっていて、
そこをすべて取らなくてはいけない

しこりも先(乳頭)に近い部分にあるため、
なお、温存はできないらしい

主治医はとにかく、
「前の病院で切ってしまっているからわからない」

と、そればかりを繰り返した


“わからない”――

この言葉を、私はどう受け止めればよいのか...

私はこれまで、接客業に携わってきた

その中で、
“いくつかお客さんには言ってはいけない言葉”

というものがある

そのひとつが「わからない」だ

それは、お客さんに不安を与える言葉だから

もちろん、会社の信用にもかかわる

この時の主治医の「わからない」は、
これから私が生きられる時間の不安を増長させ、
また、主治医の歯痒ささえも感じられた


肝臓の影をさらに調べるため、
明日、急遽、エコー検査を受けることになった

「たぶん、エコーでもわからないと思うけど、
 念のため...」

ということだった

主治医は検査の予約を入れるよう、
看護師さんに伝えたが、
エコー検査は本当なら3週間待ちらしい

ここまで来るにも、すでにかなりの日数がかかっている

主治医も、
「早くしたいよね。いつまでも嫌だよね」

そう言って、主治医自らエコー検査へ連絡を取り、
明日に検査を入れてくれた


きっと、転移であることは間違いないだろう

抗がん剤か......

子どもも産めない

髪の毛も抜ける――


今まで自分が生きていくことにいっぱいいっぱいで、
精神的にも子どもをつくる余裕なんてなかった

こんなことで母性が目覚めるなんて、皮肉だ......

彼にも申し訳ない

彼のご両親にも、
私の両親にも、
子どもを抱かせてあげることはできないいんだ......

結婚する資格、ないね......

不幸中の幸いだったのは、
“進行性”ではなかったこと

『まだ、生きていていいよ』

ってことかな......



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≪私の記録 22≫ 彼の両親への告白

    2006年12月13日(水)

腹部のMRIを受ける


母の検査結果もすべて出た

母は転移はなかった

一安心だ

手術の日も決まった

でも、手術をすると、声が出づらくなるらしい

母は落ち込んでいる

励ましてもダメだ......


転移はやっぱりよくないよね......

恐いよ......

どうせ長くない命なら、手術しないでいい

このままでいい


こんなに元気なのに......

あと1年や2年じゃ死なないよね......?



    2006年12月14日(木)

毎日、毎日、病気の夢を見る


手術台に上がる夢...

命が削られてゆく夢...



    2006年12月15日(金)

医者から説明を受ける時、1人は酷だ

聞き漏らしもありそうなので、
誰かに一緒にいてもらいたい

でも、親はイヤだ

親は病気のことを理解できないだろうし、
病気のことを、詳しく知られたくない



    2006年12月16日(土)

昨日、彼は、夕飯が終わる頃を見計らって、
私の乳がんのことをようやく両親に告げたらしい

私が病気になったことで彼自身もまた、
私との結婚を両親に反対されると思っていたようだ

が、お父さんの口から出た言葉は、

「そんなことだったら、
 とりあえず入籍だけでも早く済ませなきゃ駄目だな」

だったという

彼は嬉しさのあまり、
涙を落とさないようにこらえるのが大変だったらしい

食器を片づけるため、彼が台所へ行った時、
お母さんも台所へ来て、

「今は病気では死なないから大丈夫」

そう言って励ましてくれた

『なんて優しい人たちなんだろう...』と思ったら、
また泣けてきた

涙を見られたくないので、
彼はそのまま2階の自分の部屋に上がった――

そんな話をしていた


私はいつまで生きられるのかわからない

子どもも産めない

あんなに跡取りを望んでいたお父さん

それでも「別れなさい」とは言わなかった、
お父さんとお母さん

その気持ちに
素直に応えてもいいのだろうか

私は過去に1度、離婚も経験している

後ろめたさ、いっぱいだ......



    2006年12月18日(月)

やっぱり独りでいると、心細い

淋しい......


このまま治療をしないで子どもを産む...

ということも、方法のひとつだ


私の命と引き替えに...

というのは、
恰好つけすぎかもしれないが...

でも、この意見は、彼にあっさり却下される

「りかの命の方が大切だ」と......


正直、自分でも、
治療をしないで子どもを産むなんて勇気は...

ない



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父の思い

母の甲状腺がんが肺に転移して、
もうRI治療もできず、

新薬の抗がん剤の内服も副作用がひどく、
やめざるを得なくなり、

結局、治療法がなくなって、
ただ死を待つだけになった


新薬の副作用は、
脱毛はもちろんのこと、
顔や手足の湿疹がひどく、
歩けなくなるほど足が腫れあがった

結局、服薬は5日間で中止した


転移した肺の腫瘍はみるみる大きくなり、

亡くなる2ヶ月前には小脳にも転移した


“がん”という病を甘く見いていた父

甲状腺がんを、
私のおっぱいの外科的生検の時のように
日帰りで簡単に手術できると思っていた父

乳がんの私に、
「(おっぱい)切ってしまえばいいんだろ」と
言い放った父

そんな父が、
日に日に衰えていく母を目の当たりにして、
何を想っていたのだろう...


母がそんな状態になって、
ようやく“がん”という病の本質を
実感したのだと思う

その後の父は、私に優しくなった

私の身体を案じてくれるようになった

“母ががんで亡くなり、娘もまた、がん....”

そんな淋しさを感じていたのかもしれない

“そのうち、娘も同じことに...”

という想いは、
きっと心のどこかに抱いていたに違いない

それは、4年半振りに父と再会した時の、

「お前は身体、大丈夫なのか」という言葉が
証明していると思う


母もつらかっただろう

私も様々な思いをして、今、ここにいる

そして、父もまた、
がん患者本人とは違うつらさを
存分に味わってきただろう


“がん”は、たくさんの人たちを苦しめる

“がん”は、たくさんの人たちを悲しませる

“がん”は――



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≪私の記録 21≫ 腹部MRI検査までの揺れる想い

    2006年12月6日(水)

昨日は、
「肝臓が先のがんならおっぱいも切らなくていいし、
 乳がんとしては予後も極めて良好」

そう言われて、ちょっと嬉しくなった

でも色々考えると、結局は“転移”なんだよね

“転移”と聞くと、もう長くはないイメージがある


ダメだ...

悲しくなってきた


考えてもどうにもならないのはわかってる

検査をして、
治療方針を決めるということもわかってる

でもコワい......


胃が痛い

胃潰瘍できそう...

考えすぎて、違うところ悪くなりそう...


手術や薬で延命して、
そこまで生きる意味があるのだろうか......



    2006年12月8日(金)

二十歳の頃からずーっと気になっていた数字
今年、その年齢に達した

子宮筋腫のことかとも思ったけれど、
手術をしてもなんだか気持ちがすっきりしない


そして、今回のこと...


気になっていた数字は乳がんだったのか...

私はまもなく、死ぬのだろうか......



    2006年12月9日(土)

今日、母と出かけた

以前の勤務先へも寄ってみた

一緒に仕事をしていた人たちの顔を見ると
泣きそうになった

必死にこらえた

母の前では泣きたくないから


病院へ検査に行く以外は、
がん告知後、今日がはじめての外出

“気晴らしに...”との思いもあったけれど、
逆に気が滅入った

「どうせ、あと何年生きられるか......」

そう思ったら、何も買う気になれなかった

洋服やアクセサリーも、
何も見る気持ちにはなれなかった



    2006年12月11日(月)

昨日、彼に、
「籍だけでも入れようか」と言われた

素直に、とっても嬉しかった


でも少し時間が経って冷静に考えてみると、
そんなに簡単なことじゃない

何より、彼はまだ、
私の病気のことをご両親に話していないらしい


治療がはじまれば、
私はもう、子どもが産めない身体になってしまう

そして私が死んだら、
彼の籍を汚してしまうことにもなる


彼とつきあって14年

色々あってここまで来てしまったけれど、
病気が結婚の引き金になるとしたら、
こんな皮肉なことはない



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≪私の記録 20≫ 骨シンチ・胸部CT検査と、予定外の主治医からのお話

    2006年12月5日(火)

骨RI検査と、胸部CT撮影

今日は検査だけのはずなのに、看護師さんに、
「検査が終わってから先生がお話があるそうです」
と、言われる

『今日は主治医との面談はない。
 なのに突然“話がある”なんて、
 前回の検査で何かよくないことがあったのは
 間違いないだろう。
 いや、がんを5年も放置したんだ。
 何かあって当たり前。これくらい、想定済みだ』


まず...

主治医によると、
おっぱいのがん細胞は、
学会に出してもいいくらい珍しいものらしい

明細胞がん...クリアセルは、
たまに腎臓にできることがあるので、
もしかしたら、
腎臓からおっぱいに転移したものかもしれない

もしぞうだとしたら、
腎臓は摘出しなければならない


そして、先日の造影剤を使ったCT検査の結果、
肝臓に影が写っていた

もし、肝臓からの転移で
おっぱいにがんができたのなら、
治療法も薬も全く違ってくるらしい

おっぱいも切らなくていいらしい

その場合、
「予後は極めて良好」だとも言っていた

乳がんの方が、タチが悪いみたいだ


でも、また検査になった

今度はMRIだ

肝臓の影ががんかどうか調べるらしい

もしがんだとしたら、肝臓とおっぱい、
どっちが先にできたのかわかるようだ

でも、どっちにしても
転移していることに変わりはない訳で...

楽観はできない


今の病院も医師も、
昔とは全く対応が違うことに驚いた

主治医もとても親身になってくれて、
話しやすい人だ

何でも話せそうな感じがする

そして私はそんな主治医に
やり場のない憤りをぶつけた

「“そのままでいい。
 大きくなったら切らなきゃいけない”って言われて
 大きくなったから切りに行って、
 切ってみたら悪性だった...と言われても
 腑に落ちない。
 5年前にしこりをみつけてるのに...」

そんなこと、今の主治医に言っても仕方がない

わかってはいる

でも、あまりに理不尽で......

『こんな時、医師なら...、
 この先生なら、なんと答えてくれるだろう...』


一瞬の間のあと、主治医は口を開く

「うーん...。
 (しこりをみつけた時の病院と
  しこりを切った病院は)、同じ病院?」

「はい。同じ病院です」

「でも、前のこと言っても仕方がないから、
 これからのこと、考えましょ」

『これからのこと...』

わかってる

わかってる

でも......


しこり発見から5年も経っている

おそらく主治医は悪い方に考えていると思う

私もそう思ってる

ただ、肺と骨には転移はなかった

もう、全身ボロボロだと思っていた


彼がネットで調べてくれた情報によると、

『医者と患者のコミュニケーションが大切。
 よく話し合って、納得のいく治療を...』

と出ていた

昔は、患者は医者の言いなりになっていた

今は患者が希望を伝えてもいいことに
戸惑っている


おっぱいにまだしこりが残っているようなので、
主治医はエコーで診てくれた

が、前の医院で切ったところが硬くなっているので、
判断がつかなかった


検査をして、
これから治療をしていかなければならないことは
充分わかっている

でも、どんな結果が出るのかを考えると、
検査を受けるのが怖い

緊張する

できることなら、
検査を受けないでこのままでいたい......


今は検査もこんなに進化している

医学が進歩したのは薬だけじゃないんだ

より確実な治療ができることに、感心、感謝...


今日はがん告知を受けてから、
はじめて涙を流さなかった

人って、強くなるんだなぁ...



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乳がん履歴
★2002年3月3日(日)
左乳房にしこりをみつける    

★2002年3月4日(月)
視触診の結果“良性”と診断  

★2006年11月8日(水)
左乳房のしこり再受診        

★2006年11月15日(水)
左乳房のしこり切除      

★2006年11月28日(火)
乳がん告知            

★2007年1月11日(木)
左乳がん手術          

★2008年7月8日(火)
局所再発の疑いで、
細胞診・組織診(結果は良性)  

★2009年2月17日(火)
対側(右)乳がんの疑い
(昨年からしこりあり)経過観察     

★2010年2月16日(火)
右乳房細胞診(結果は良性)   
手術・治療の経緯
★がん細胞の種類(左乳房しこり3つ)
 ・明細胞がん(クリアセル)、
  非浸潤性乳管がん
 ・核グレード 2
 ・ER 90%
 ・PgR 10%
 ・HER2 (-)

★術 式
 ・腋窩リンパ節郭清
 ・扇状部分切除
  (4分の1強切除)

★治 療
 ・放射線23回照射
 ・LH-RHアゴニスト製剤投与
  4週間に1度、2年間(23回)
 ・抗エストロゲン剤
  (クエン酸タモキシフェン)
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