光市母子殺害事件は
長い司法手続きが終わって、今週漸く結論が出た。
●99年4月14日に事件発生 →●00年3月、無期懲役(山口地裁)
→●02年3月、無期懲役(広島高裁) →●06年6月、差し戻し(最高裁)
→●08年4月、死刑(広島高裁) →●12年2月20日、死刑(最高裁)
の途中経過を辿って、控訴審判決が確定した。
無期懲役を最高裁が破棄・差し戻したケースで、死刑が確定するのは
永山則夫(19歳で連続4人射殺)を含めて戦後3例目、
事件当時18歳30日だった大月孝行(30)の死刑確定は、
最年少である。 (記録が残る66年以降で)
.
この事件の長い司法手続きの途中での私の所感は、
▲”光市母子殺害事件の差戻し審判決: [L-33]:[08/4/23]
▲ 「山口県母子殺害事件=美しい国を(3)」:[L-20]:[07/06/28]
に書いておいた通りである。
最高裁で20日に結論が出た後でも、例によっていろいろな人が
いろいろな発言をしているが、それらに対する現在の私の
感想も全て、これらのブログ記事に以前に書いた通りである。
.
ただ一人だけ、 佐木隆三氏が21日の毎日新聞に寄稿している
『「新供述」弁論は有害無益』の一文は、私がぼんやりと感じて
いたことを明確に表現していて、
流石ノンフィクション作家の力量は違う、と感心した。
不正確になる惧れはあるが、敢えて論旨の概略を紹介すると、
「この事件の弁護団の活動が大月被告を死に追いやった」、
となる。 死刑確定記録上最年少の被告、しかも
少年犯罪事件で死刑判決のあった中で被害者数が最小の
二人だったのに、大月孝行が死刑になったのは、
弁護団の不誠実さの結果であった、ことを述べている。
★ ★ ★ ★ ★
被害者遺族の本村洋氏は最高裁での決定が出た時に、
「反省の情があれば、死刑は下らなかった。 残念だ」、
と述べている。 本村氏は13年間もの司法手続きの間の、
時には感情を表わした言動に対して、「死刑の推進者」
などというイメージで語られることもあったという。
現実は、「恰好良く死刑廃止などを謳う連中が
(佐木氏の言うとおり)大月の死刑を齎したのだし、
本村氏は「残念だ」が第一声であった。
私は13年間の何かの機会にテレビ画面でじっくりと語る
本村氏を見るたびに、その人柄の良さを感じていた。
あの詐欺師とかペテン師とかいう感じの弁護団の連中
とは、本村氏の人間の誠実さの相違が一見して分かる感じだった。
★ ★ ★ ★ ★
佐木氏が新聞紙上で述べていることの一つ一つに、
私は同感であり、ここで死刑が確定した
大月孝行もある意味で被害者であったと思うので、
大月孝行への同情の意味も含めて、
簡単に佐木氏の論旨を紹介する。
父親の暴力、中一のときの母親の自殺などの劣悪な家庭環境
に育ったのに、一審の時に大月の精神鑑定が
なされなかった。 これも前記のブログに書いてある通りの
法律関係者のいい加減さである。
第四審(差戻し控訴審)の時に、著名な死刑廃止論者
安田好弘、を中心とする大弁護団、が編成された。
実質は連中の売名行為だったのだろうが、その活動が
世論を敵に回したのが、大月孝行の不運だった。
大月の新供述と称して、「母体回帰ストーリー」(被害者を
殺害後に姦淫したのは、自分を母の胎内に回帰させる
母子一体化の実現)を出し、大月を窮地に追い込んだ。
大月のその他の発言も含めて、弁護人たるものは、被告の
言い分を垂れ流すのでなく、信用に値するのかどうか
きちんと検討すべきだ。
★ ★ ★ ★ ★
事件の周辺では、裁判の進行以外にもいろいろあった。
09年に大月孝行の実名を記したルポルタージュ本が出版され、
大月側は「事前に原稿を見せて貰って実名の可否を
決めるつもりだった」、と出版差止めを求め、
著者側は損害賠償を求めて、訴訟を起こした。
07年には橋下徹(現大阪市長)がテレビ番組で、
差戻し控訴審で殺意否認に転じた大月孝行の弁護団
を批判し懲戒請求を呼び掛けた。 弁護団は橋本氏を
相手に賠償を求める訴訟を起こしたが、最高裁は
昨年7月に「呼掛けは不法行為には当たらない」、
と判断、賠償を命じた二審判決を破棄し、
橋下側の逆転勝訴が確定した。
本記事の冒頭に書いた通り、私は数年前に書いた
ブログ記事の内容が確かめられた気分である。
長い司法手続きが終わって、今週漸く結論が出た。
●99年4月14日に事件発生 →●00年3月、無期懲役(山口地裁)
→●02年3月、無期懲役(広島高裁) →●06年6月、差し戻し(最高裁)
→●08年4月、死刑(広島高裁) →●12年2月20日、死刑(最高裁)
の途中経過を辿って、控訴審判決が確定した。
無期懲役を最高裁が破棄・差し戻したケースで、死刑が確定するのは
永山則夫(19歳で連続4人射殺)を含めて戦後3例目、
事件当時18歳30日だった大月孝行(30)の死刑確定は、
最年少である。 (記録が残る66年以降で)
.
この事件の長い司法手続きの途中での私の所感は、
▲”光市母子殺害事件の差戻し審判決: [L-33]:[08/4/23]
▲ 「山口県母子殺害事件=美しい国を(3)」:[L-20]:[07/06/28]
に書いておいた通りである。
最高裁で20日に結論が出た後でも、例によっていろいろな人が
いろいろな発言をしているが、それらに対する現在の私の
感想も全て、これらのブログ記事に以前に書いた通りである。
.
ただ一人だけ、 佐木隆三氏が21日の毎日新聞に寄稿している
『「新供述」弁論は有害無益』の一文は、私がぼんやりと感じて
いたことを明確に表現していて、
流石ノンフィクション作家の力量は違う、と感心した。
不正確になる惧れはあるが、敢えて論旨の概略を紹介すると、
「この事件の弁護団の活動が大月被告を死に追いやった」、
となる。 死刑確定記録上最年少の被告、しかも
少年犯罪事件で死刑判決のあった中で被害者数が最小の
二人だったのに、大月孝行が死刑になったのは、
弁護団の不誠実さの結果であった、ことを述べている。
★ ★ ★ ★ ★
被害者遺族の本村洋氏は最高裁での決定が出た時に、
「反省の情があれば、死刑は下らなかった。 残念だ」、
と述べている。 本村氏は13年間もの司法手続きの間の、
時には感情を表わした言動に対して、「死刑の推進者」
などというイメージで語られることもあったという。
現実は、「恰好良く死刑廃止などを謳う連中が
(佐木氏の言うとおり)大月の死刑を齎したのだし、
本村氏は「残念だ」が第一声であった。
私は13年間の何かの機会にテレビ画面でじっくりと語る
本村氏を見るたびに、その人柄の良さを感じていた。
あの詐欺師とかペテン師とかいう感じの弁護団の連中
とは、本村氏の人間の誠実さの相違が一見して分かる感じだった。
★ ★ ★ ★ ★
佐木氏が新聞紙上で述べていることの一つ一つに、
私は同感であり、ここで死刑が確定した
大月孝行もある意味で被害者であったと思うので、
大月孝行への同情の意味も含めて、
簡単に佐木氏の論旨を紹介する。
父親の暴力、中一のときの母親の自殺などの劣悪な家庭環境
に育ったのに、一審の時に大月の精神鑑定が
なされなかった。 これも前記のブログに書いてある通りの
法律関係者のいい加減さである。
第四審(差戻し控訴審)の時に、著名な死刑廃止論者
安田好弘、を中心とする大弁護団、が編成された。
実質は連中の売名行為だったのだろうが、その活動が
世論を敵に回したのが、大月孝行の不運だった。
大月の新供述と称して、「母体回帰ストーリー」(被害者を
殺害後に姦淫したのは、自分を母の胎内に回帰させる
母子一体化の実現)を出し、大月を窮地に追い込んだ。
大月のその他の発言も含めて、弁護人たるものは、被告の
言い分を垂れ流すのでなく、信用に値するのかどうか
きちんと検討すべきだ。
★ ★ ★ ★ ★
事件の周辺では、裁判の進行以外にもいろいろあった。
09年に大月孝行の実名を記したルポルタージュ本が出版され、
大月側は「事前に原稿を見せて貰って実名の可否を
決めるつもりだった」、と出版差止めを求め、
著者側は損害賠償を求めて、訴訟を起こした。
07年には橋下徹(現大阪市長)がテレビ番組で、
差戻し控訴審で殺意否認に転じた大月孝行の弁護団
を批判し懲戒請求を呼び掛けた。 弁護団は橋本氏を
相手に賠償を求める訴訟を起こしたが、最高裁は
昨年7月に「呼掛けは不法行為には当たらない」、
と判断、賠償を命じた二審判決を破棄し、
橋下側の逆転勝訴が確定した。
本記事の冒頭に書いた通り、私は数年前に書いた
ブログ記事の内容が確かめられた気分である。