三方原合戦 というブログ記事[2006/05/28]を見ていたら、そのコメント欄に、記事の本論の内容とは少し方向は逸れるが,興味深い意見交換があった。

 峪以原合戦から関が原合戦までの時間が、オイルショックから21世紀まで、と同じ長さだった」、とは驚きである、との感想が先ずコメントされた。
⊆,法◆峪匐,了は一日が長かったが、歳を取ると一日が短くなる。同じ年齢の時にも、長く感じられた時も、短く感じられた時も有る」、との指摘がある。
次いで、「改めて思い直すと、私自身は16歳の時の一年間が、わが人生の半分の長さだった」ことに気付いた、とのコメントがある。 
▲私が此処で述べたいことは、戦国末期の歴史の話ではない。この一番最後のコメントから思い出した、 或る出来事に就いてである。

友人A君の孫娘は、ある中高一貫教育の私立女子学園で学ぶ高校生である。
彼女が高1の夏休みに、「お祖父さんが17歳の時」という題の作文が宿題に出された
私は、この出題をした教師は何と素晴らしい人物であろうか、と感心した。

その生徒達のお祖父さんが17歳の頃とは、大体戦争末期の厳しい世相の中で、人生の最も多感な時期を過ごしていた頃である。
義務教育が小学校だけであった時代で、小学校終了後直ちに社会に出た者も、上級学校に進学して行った者も、無邪気な子供時代を終えて、真面目に人生を考える事を覚えた年齢である。
或いは技能もある程度身に附き、或いは読書も幅を持って、以前には全く知らなかったモノの見方を体得していく時期である。
15歳でもなく、19歳でもなく、17歳という指定に大きな意味がある。

「三方原合戦」の最後のコメンターも、「改めて思い直すと、私自身は16歳の時の一年間が、わが人生の半分の長さだった」と述べているが、極めて多くの人達が同様な感想を持っているのではなかろうか。
しかし、私が此処で述べたいことは、そのことでもない。

息子一家はやや離れた地域に別居していて、平素は会話の機会も多くない孫娘に、「お祖父さんの17歳の頃の話」を訊かれたA君は、感動し、孫娘に戦時下の旧制高校に入学し、思想統制の厳しい世相の中で意識の目覚めていく一年間の話を、克明に話して聞かせた。
それだけでなく、後日、その話を纏めた文章を、孫娘の所に送付した。

処で、孫娘の母方の祖父B氏は、私立のK大学の(それも幼稚舎からの)出身で、その事に奇妙なプライドを持つ人物である。
この大学の出身者には良くこの種の人物が居て、先日の国会討論でも「首相も私も同じK大学の卒業で・」と国政の議題に関係のない発言で自身を売り込んでいる代議士が居た。
そしてこれもよくあるパターンで、その大学の卒業生とN女子大の卒業生のカップル、というのが、一つのの図式である。 B家の場合も例外で無く、B夫人はN女子大の出身である。 この図式では、更に其処に、「カトリック」というブランドを附けるケースが多く、B家もそれである。

私は、学歴や宗教をプライドに直結させる感覚が嫌いであるし、本物のクリスチャンであった遠藤周作あたりも同様であったらしいが、これは個人的な趣味・嗜好の問題だから、この際は論じない。
問題は、その次である。


A君が孫娘に与えた「お祖父さんの17歳の頃の話」の文章を見たB夫人は、孫娘に、「この人物はAの方のお祖父さんではなく、Bのお祖父さんであるとして、作文を学校に提出しなさい」と指示した。(恐らく、B家のお飾りブランドとして、その文章が利用価値あり、と感じたのであろう)
「沈黙」を書いた遠藤周作は若し生存していたら、同じカトリックとしてどう思ったであろうか。

文科大臣賞他の授賞作品を多く出している和田義彦の絵画に、多数の盗作があることが判明して、今問題になっている。
数日前には、杉村太蔵議員が他人の自伝の文章を盗んで自分のブログに書き込んだことがバレた。
盗作でも何でもして、いい格好をしたいのは、ある種の人人の共通した感覚かもしれない。

「三方原合戦」の第3のコメントを見て、私が先ず思い出した事が、この一件である。 然し、幾ら何でも、「三方原合戦」に第4のコメントとして入れるには余りに、話題の距離が開きすぎたので、それは止める。