二人のピアニスト(http://blog.goo.ne.jp/gookyaz)様、
私もピアニスト様(及び、お友達)の最近数編の記事を拝読して、お気持も分り、同感するとともに、自身のブログに付いても、同様に形態を変更することを考えるようになっていました。
其処に図らずも、或る出来事が生じて、私も、その方向へと決めました。

只、ピアニスト様と違うのは、私は現在までのブログを廃止してしまうのでなく、残しておく心算です。
ご存知のとおり、私は以前には自分のブログを持たず、他人様の所に押しかけてコメントをするのが専門でした。
昔に戻って、自分のブログを止めてコメント専門にしようかとも思ったりもしました。
然し、このブログは2007/8以後は、他所にトラックバックの形で意見を送るための専用とし、他所からのコメント類は受け付けないものにします。
その様にするメリットは二つあって、一つはよそ様にコメントを入れるときに長文でも入れることが出来るのと、複数の相手に送るときに便利な為、
第二に、今迄にお付き合いのない方にコメントを入れた場合に、私の過去の記事を見て頂いてこちらの考え方を見て頂けるので、単純にコメントだけ入れるのよりも、都合が良い事です。

人様からのご意見を受取るのにどうするか、とお考えだと思いますが、私の場合は、ライブドアー・ブログですから、nowaというシステムがあります。
これですと、登録した相手以外からのアプローチは出来ないので、ピアニスト様のお仲間のY氏の様にすることが出来るのです。
その形で、私は新しくブログを立ち上げる
心算でいます。
これは、ライブドアーも認めている方法ですので、問題はありません。

ピアニスト様のグループの方々のブログで、多くの人からのTBが消去されていた中で、私の物は取り上げて頂けたことを有難く思っていますが、私がnowaの形態に乗り換えた場合、ピアニスト様達も出来たらそちらにご参加下さって、ご意見をお聞かせ下さい。

今迄の御付合いで、私にはピアニスト様の実像が、分るような気がします。
もし私の推理が間違っていなければ、私共は過去にお目にかかったことがありますね。
20年ほど前に英国大使館のレセプションで、G氏にご紹介を受けてお話をした方、ではありませんか。


話が変わりますが、先週、私の旧友が亡くなり、私は精神的にかなり応えました。 もしも上の推理が正しけらば、この私の亡くなった友人というのは、ピアニスト様にも、誰のことかお分りでしょう。

ピアニスト様でなくても、頭文字を出しただけでも、(先週亡くなった人物というだけで)、世間には分かる人が多く居て、不都合を生じますので、仮にW君としておきますが、私の子供の頃からの友人です。

私共も、またピアニスト様のお仲間も大体年齢的には近いし、世間的には結構な年寄り扱いをされていますが、もっと遥かな長老達が結構まだ現存しているとこを思うと、Wの死は早すぎます。

そちら様の海軍グループの先輩の野間口中佐、友永中佐に相当する、私共陸軍の先輩O氏(お分かりでしょう)、などもお元気です。
畑違いでも、我々の年配の人間が聞いたら、「あの人が、未だ生きていたの?」と、驚くような人、いや、もう少し下の世代の人だったら、その名前も業績も知らないような人達も、結構生存していらっしゃる(例えば、音楽ならば大谷さんは、現在も昭和音大校長をなさっている)。
O氏は終戦後に日比谷のGHQに呼び出されて、戦争中の大陸での行動を調べられた程の過去の人です。 それでも、現在でも海外まで出掛けて居てお元気なのだから、W君は早過ぎました


佐久間様からお聞き及びと思いますが、先週佐久間様にお世話になる出来事がありました。
ピアニスト様のグループでの話し合いでも話題になったようですが、ブログ記事の読者の100人のうち99人は、内容を読まないか,読んでも理解できないか、文章の理解は出来ても内容の評価は出来ない。 それは、最初から分かっていることです。

以前の私でしたら、今回の一件のようなことは、いちいち対応する事でない。
放置するところでしたが、偶々ピアニスト様の一連の記事を拝見して、お気持を汲んでいろいろと考えていた場合でしたので、対応を考えました。

対応の選択肢として、いろいろな手段が有り得ました。
“刃世竜事を作る、¬技襪垢襦↓7措暗に謝った形のコメントを先方に入れる、は佑咯の形の記事を作る、
等のことをいろいろと考えました。
時間の経過とともに、、□→ぁ△伐困笋な方向へと心が動きました。
〜い鮃佑┐討い榛◆∈患彜嵳佑箸艦⇒蹐靴燭里任靴拭
痩せ蛙氏、東郷氏、そして佐久間様と、皆様の善意を受け止め、それを活かして穏やかに済ませる心算で、佐久間様には、後からご連絡を差上げる、と申上げたのでした。

先週末のW君の葬儀の後も、時間をとられて、佐久間様へのご連絡が遅れて申し訳有りませんでした。

然し、W君との一生を通じての出来事を反芻している内に、私の気持が変わりました
 
O氏にしても、W君にしても、ピアニスト様たちには誰の事かお分かりでしょうが、それだけに尚の事、世間一般には名を伏せて話す必要があるでしょう。

 W君は私の幼少時からの友人です。
W君はあれだけの超大会社のトップであり、私も単に旧友としてでなく、仕事上の手助けに利用された事もありました。


それに絡んで、脱線しますが、一つ思い出したことを書いて置きます。
あの会社の子会社の幹部を採用する為に、依頼されて、私が候補者とその家族への面接を行った時のことです。
その候補者の父親が、有る県庁所在地の警察署の署長でしたが、面接室の中で突然土下座して、私に「何とか息子を採用してください」と懇願され、吃驚したことがありました。

先方は、何処まで知っていたか分りませんが、実はその前年に、私の実家が或る被害を受けたときに、その候補者の親父さんの警察署が、非常に不親切な対応をして,私が腹を立てていた一件がありました。

キャズ様が「 因縁?、仏縁?、分らぬ事・・後日談」、に書いていらっしゃるように、人知を超えた所での何かを、その時に私は、驚きながら感じたのでした。

なお、私がその子会社の顧問手当てとして、提供されて使用していた車は、当時日本でも珍しくて、同種同色の車に都内でも遭うことが無く、乗り始めてから一年余り経ったある日、赤坂で同種同色の車と擦れ違った時に、相手も驚いて、こちらを見ていました。
あんな思いが出来たのも、W君のお陰でした。

以上は脱線した余談ですが、W君が亡くなってみると、その様な諸々の出来事が今更ながら思い出され、私自身も矢張り、行く先の短い事を前提に行動しなければならない、と先週末にしみじみと考えました。


今回の事で佐久間様に連絡した時には、簡単に、
{腹の中では「バカ野郎」と思いながら、表面的に[済みませんでした]と言って処理を済ませるやり方}
を、考えていたのでした。 それが、今迄の私の処世術です。

しかし、まだ十代の頃に一度、W君とそのことで遣り合った事を思い出したのです。(このことに付いては、何れ是非ともブログ記事として残す心算です。)
そして、丁度先週に、W君の亡くなった日に痩せ蛙氏からの連絡を受けたことが、私には、非常に意味があるように思われました。それで、折角、佐久間様、東郷様にはお骨折りを頂いていて申訳ないのですが、私はこの際いい加減な妥協的な処置を止めることにしました。


佐久間様にお話した通り、また、佐久間様は良くお分かりで、
あの日にさりげなくご自身の記事

伝統文化と常識の変遷(3)

に盛り込んで頂いたように、私自身は全然悪い事をしたと思っていない。

寧ろそれを理解出来ないバカ共と面倒を起こさない為に、いい加減な頭の下げ方をする方が、余程、神様の前に出たときに叱られる事だ、と今は思います。


私もピアニスト様(及び、お友達)の最近数編の記事を拝読して、お気持も分り、同感するとともに自身のブログに付いても同様に形態を変更することを考えるようになっていました。
其処に図らずも、W君の急死と、(多分佐久間様からお聞きになっていると思う出来事)が生じて、私も嫌気が差し、その方向へと決めました。


嫌気と言いましたが、どんな経験でも無駄はない
:「矢張り、野に置け、蓮華草」
という句が、分かるようになったのが収穫でした。


今迄を振返って見ますと、ピアニスト様にも、佐久間様、東郷様にも、同意見の時には黙っていて、考えの違う所だけをコメントし、随分と失礼な事を申上げてきました。
でも、年代と感覚が共通であることは、お認め頂いていたと思います。

佐久間様、東郷様には、このブログの最後に、この様な形でお世話になるとは、思っても見ませんでした。

佐久間様、東郷様にも、新しいブログが出来ましたらご連絡しますから、そちらで今後とも宜しくご交際下さい。