昭和36年開始以来第84作目の連続テレビ小説「おひさま」が
  今月始まったが、久々の好評を得ているようで、
  周囲の誰と話しても好感を持って見ているのが、
  私にとっては二重、三重の意味で嬉しい。
  第一は、久しくメデイアで見なかった戦前の人達の
    人間性豊かな心情が画面に滲んで出てくること、
  第二は、郷里の長野県が舞台になっていること、
  第三は、陽子の長兄春樹が、私の母校である
    旧制松本高校の生徒として画面に現れていること、
 である。


  しかし、また、このドラマを話題にして驚いたのは、
    周辺の人達の殆どが旧制高校を知らないことである。
    私が頻繁に出入りし、利用している区立の老人施設で、
      当然其処に居るのは老人たちなのに、
      「おひさま」の画面に旧制高校が出ると、それを
      旧制中学だと思って見ている人が多い。
    でも、考えてみれば、現在80歳未満の人達は、
      学齢に達して小学校に入学したのが、
      旧制教育システムが無くなってから後なのだから、
                当然なのだろう。
      少し上の世代では義務教育が小学校だけだった
      ことも、この人たちは、余り実感 として知っていない
                のに、こちらがびっくりする。


以前にも仲間たちと語り合ったように、
  人間夫々はその与えられた時代を生きるのだ。
  → →

     ▲ 幸運な医者・松田道雄:[C-241]
     ▲ 歴史認識(1):[A-12]
     ▲ 歴史認識(2):[A-13]:

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ところで、奇しくも今回の「おひさま」の始まったタイミングで、
旧制松本高校に関して、長らく私の持ち越してきていた
  一つの疑問、 が解けた。
     ▲  高校寮歌「春寂寥」:[L-64][10/8/10]
に書いた寮歌、「春寂寥」、のことであるが、
  あの記事を書いた時にも、心中些かのわだかまりが
  あったことで、奇しくも「おひさま」の始まった
  タイミングで、今回謎の解けたことが有るのだ。

旧制松本高校(松高)に入学、入寮して最初の二週間程は
  毎日、歴代先輩の作っていった寮歌を、叩き込まれた。
  全旧制高校の寮歌の内で、最高傑作とも云われる
         「春寂寥」  もその時に覚えたが、
    「春寂寥の洛陽で、昔を偲ぶ唐人」
  とは、どのような故事が有ったのだろうか、との疑問が、
  その時以来、心中に、軽くそのまま残留した。

  歌詞の冒頭にあれだけ明確に、謳っているのだから、
  モノ知らずな私は知らなくても、先輩たちは常識的に
  知っていることだと、私は考えていた。
  その疑問は解決しないままに、60年以上を過ぎてきた。

  1〜2年前に、何かの事情が有ってそれを確かめたくなり、
   松高同窓会活動にも積極的であり、文筆活動も活発な
     東大名誉教授である海野氏に尋ねてみたが、
     知らない、とのことだったので、却ってこちらが
     びっくりした記憶が有る。
   私よりも3年先輩である海野氏は、旧制松高時代に
     寮の委員をしていたのに、知らないのだ。
   そうしてみると、あの寮歌の作られた年代の人達には
     常識であったが、私よりも数年上の人達は、それを
     知らないのが普通だった、ということである。

  常識というものが、年代で相違することは、良く経験
     するが、それにしても、このことは私には驚きであった。
  そうしてみると、私よりも半周りくらい若い人達が
     旧制高校を知らなくても、当然のことなのだろう。


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  ところで、腹式呼吸健康法の心算で、従来全く無縁
    であった、詩吟を始めたところ、その教本に、
    その答えが載っているのを、偶然発見した。


范雲(451〜503)の作で、別詩という漢詩があったのだ。:

洛陽城東西 長作経時別 昔去雪如花 今来花似雪
  (洛陽城の東西 長らく時を経るの別れをなす
  昔去るとき雪花の如く 今来たるとき花雪に似たり)


范雲(451〜503)は、南朝・梁の詩人。 初め、斉に
  仕えて、尚書殿中郎となる。 のち、梁の武帝に
  仕えて、吏部尚書となる。霄城県候に封ぜられた。
  何遜と二人で、「范広州宅聯句」と題して作った
  聯句(五言八句)の前半四句が、この別詩である。
范雲が、誰とどのような経緯で別れたのか、その辺は
  分からないのだが、何遜の作った後半四句も
      独立した詩になっているというので、
  そこに回答が有るのかもしれない。

  差し当っては、これだけの情報が得られたのは
  大きな収穫である。 ここから先は調べ様もあるだろう。


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4/16日ごろだったと思うが、NHKテレビのニュース番組の
    冒頭は、岩手県あたりの被災者居住地区で、
    家庭に電気が通り、照明が有る部屋で、テレビを見て
    喜んでいる人達の姿が写された。
    これを見ながら、その前日までに、このチャンネルで
    ただの一度でも、未だに地震・津波の災害跡地で、
    電気も来ないし、テレビも見られない生活をしている人々の
    その窮状を伝える報道、が無かった、ことに気付いた。

    NHKの取材者というのは、電気の着いているような
      場所にしか行っていない、ことの証明だろう。
    そういえば、津波以後の一か月余りの長期間に亘って、
      福島原発の写真を流すNHKテレビは、
      原発から30勸幣緡イ譴疹貊蠅ら写している、
    との断り書きが付いていて、何故現場から撮影しない
      のだろうかと、毎日不思議に思い続けたものである。
    これもNHKの体質だ、と腹を立てながら見ていた。


昔の報道関係者ならば、一カ月以上も現地の状況を
      伝えないで放置するなんて、考えられない。
    このことに腹を立てて、ブログ記事を書きかけたが
      馬鹿馬鹿しくなり、そのまま放置してしまった。
    前回の記事から、今回の記事を公開するまでに、
    間が空いたのには、その様な経緯もあった。


これも、常識というものが、年代で相違することの
  一例
であるから、あえて此処に付記する。