旧制高校が組織としての姿を消した昭和25年以後、
  殆ど全ての旧制高校の建造物などの遺跡も取り壊された。
  唯一、校舎が残された旧制松本高校には、
  全国の旧制高校同窓会の事務的な中心機能が
  設けられて、旧制高校寮歌祭などが行われてきた。
  しかし、卒業生の年齢も超高齢化して、
  旧制松本高校自身の寮歌祭も、2013年5月18日の
     開催を最後に、幕を閉じることとなった。
  その2013年の春、信州大学の入学式(4月4日)で、
  旧制松本高校の寮歌「春寂寥」が演奏されたのだった。
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   ところで、春寂寥は大正9年の旧制松本高校・思誠寮寮歌で、
     四季を謳って歌詞は4番まであるのだが、1番は、
        春寂寥の洛陽に、 昔を偲ぶ唐人の 
        傷める心今日は我 小さき胸に懐きつつ
        木の花陰にさすらえば あはれ悲し逝く春の
        一片毎に落る涙

   となっている。

私が松本高校に入学し、思誠寮に入寮してこの歌を
   上級生に教えられた時以来、疑問に思っていたのが
   この、「春寂寥の洛陽に、 昔を偲ぶ唐人」とは、
   どのような故事なのか、ということであった。

これに付いては、以前に私が
   ▲ 高校寮歌「春寂寥」(続):[L-75][11/4/24]
に書いたような経緯で、私やY君は60年掛かりで
        回答に辿りついた事情がある。
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   実は、この古いブログ記事を引用紹介するのには、
      些か気持ちに抵抗がある。  あまり褒められること
     でないので、記事には小さな文字で記述されていることだが、
     先輩のU氏のことが書いてある。
     同窓の先輩の悪口を書くのは気の重いことであるが、
     そこが本質である以上は書かなければならない。

    U氏とY君は、在学年次も違ったし、理系同士とはいえ
     専門分野の相違もあったので、面識はなかった。
     しかし、或る時、Y君の仕事が社会的に些か派手に
     取上げられたときに、U氏はY君に接触してきた。
   U氏はその話題のY君の分野に興味を持って、
        かなりしつこく、接触してきた。 が、Y君は
     それまでの仕事の積み上げの時期に関係の有った人々とは
          専門分野での蓄積の深さ、の異なるU氏とは、
          今更仕事の面で関りを持つ気持ちは無かった。
   Y君らの分野への社会的評価が高まって、
     産・官・学界を横断的に組織する機構など、が整備
     されて行った状況の中でも、U氏には特別な誘いはなく、
     U氏は国内外の、その方面の組織の圏外に居たのは
     自然の成り行きであった。

   しかし専門分野での協力はしなくても、旧制高校の先輩・後輩
     の関係が有るので、それなりの交際はあった。
   それで、Y君は上記の「春寂寥の洛陽に、昔を偲ぶ唐人」とは、
     どのような故事なのか、を或るときU氏に尋ねてみたが、
     知らない、と突放されただけであった。
   このことはY君にはかなり意外、且つ心外に思えた、という。 
     U氏は寮の委員をして居ただけでなく、最近の安っぽい
     新制大学でなく、 嘗ては最高学府としての権威を
     皆が認めていた時代の東大教授の肩書を持つ人物であり、
     そのような返答をするとは、信じられなかったからだ。

   そのようにY君も持て余していた、「洛陽に、昔を偲ぶ唐人」
     の問題の解答に、私が僥倖に出会ったのは、全く偶然であった。

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U氏は先月の旧制高校寮歌祭に参加して、若い信州大学生たち
  の前で演台上に立ち、春寂寥を歌っている。
  地元の出版物には、U氏が吉祥寺の街中をこの歌を
  謳って歩く、  などということまで書いている。
上の経緯からすると考え難いことである。 
  しかし所詮、人間の生き様は個人個人の問題であり、
    他人のことはどうでも良い
、のだから眼を瞑ろう。

更に言うならば、この有名な寮歌に付いては
   ▲ 高校寮歌「春寂寥」:[L-64][10/8/10]
および、キャズ君の
   ▲ 信州大学医学部同窓会:[C-229][2010/8/5]
に述べられているようなこともあった。