同じ敗戦国でありながら、教育理念に関しては自国の
     意思を曲げなかったドイツと比べて、唯々諾々と
     米国の意思に従ってしまった日本の教育制度の
     最大の過失は、旧制高校の廃止、であった。

▲ 60年前の回想(10):[C-212]、に書かれている経緯で、
   戦後日本の教育破壊が行われてきた半世紀だった。

   旧制高校が組織としての姿を消した昭和25年以後、
      殆ど全ての旧制高校施設が取り壊された中で、
      唯一、校舎が残された旧制松本高校の跡地には、
      全国の旧制高校同窓会の事務的な中心機能が
      置かれて、旧制高校寮歌祭なども行われたりした。
   しかし、現存する卒業生の年齢も超高齢化して、
      旧制松本高校自身の寮歌祭も、2013年5月18日
      の開催を最後に幕を閉じることとなった。
   各旧制高校の同窓会も(そして寮歌祭も)恐らく殆どは
      消滅していると思われる。 旧制松本高校の場合も、
      厳密に言うと、現存する組織会は嘗て存在した
      正式同窓会の後身であり、それすらも今後の
      存続が危うい状態になっている。

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   その現存する同窓会組織から送られてくる会報を毎号有難く
      頂いておりながら、聊かの不満を感じることがある。


最近の同窓会報に執筆している人たちは、当然ながら
   私よりも何年か後輩の人達が殆どである。
       (戦前・戦中派は生存者も少なくなり、
       体力的にも寄稿が難しくなっている。)
   実は、そこが嫌なのである。

      ごく有触れた、都内のある趣味の集いの会合に顔を
      出していた時に、私よりも数年後輩になると思われる、
      数人の旧制高校卒業生たちが、そのことを鼻に掛けて、
           周囲の人々を見下す姿を見て、
      非常に不愉快に感じたことがあった。
      その集いのテーマは年齢、経歴、職業には何も
      関係のないものだった。
      私はその会合では殊更に、自分も旧制高校の
      卒業者であることは、口にしなかった。

   同様な振る舞い、学歴に対する奇妙なプライドは、
      有名な私学、K大学の卒業生にも、よく見られる。
      K大学卒であるという肩書以外に何の取り柄もない
      連中が集まっては周囲の迷惑も顧みずに大騒ぎ
      をしているのを何度も見せられているうちに、
      私の脳内に、明白な偏見が生じてしまった。
      そのために、私はK大学が嫌いになった。
      国立と違って学生数も桁違いに多い私学だから、
      出来の悪い卒業生が居ても不思議はないが、私学の中で
      K大学の学生の中に、確率的にこの手合いが多いのは、
      世間で良く知られたことであり、それにはそれなりの
      理由がある。 だが、此処ではその説明は省略する。
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ところで主題の旧制高校だが、
   戦後の昭和21年度の入学者以後の世代に、
      K大学と同様なタイプが目立つ、 のである。
   そしてそれには矢張り、或る種の必然性というか、
        理由があると、私は考えている。


その年次以前の人達は、学年が違っても、同時期に
     在学した人達と濃厚な人間的な接触を持った。

   単なる顔見知りとしてでなく、寮生活、
     サークル活動  などを通じてである。
しかし、戦後日本を襲った、大インフレとか食糧難とか
   の社会状況の中で戦前、戦中を通じて保たれ
   てきたその伝統が消失した。
   生活を通じての「学問と対処する志向の伝承」
          は、維持出来なかったのだ。
   校舎とか組織とかは以前の儘であっても、
     人間的な血脈を保つことは、不可能だった。

   上述の都内の趣味の会合で顔を合わせる
      戦後入学世代の旧制高校卒業者の体臭は、
      名門K大学の名声に憧れて其処の卒業証書を
      入手した人達の体臭と、全く同一である。
   そして、私の母校である旧制高校の同窓会誌に
      最近寄稿する人物は殆ど全て、その戦後入学
      世代であり、その文面に往々にして、
      私の嫌いな臭いを嗅ぎ取るのである。
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本質的なことは、“入学年次”でもなければ、“K大学”でもない。
   どのような環境にいた人間にも、ある種の体臭が生じる
      のは自然であるが、確率であって、本質ではない。
      戦後派旧制高校生に見る体臭の話をする目的で、
      その前提として、前回記事に、あえてU氏の話題を
      記載したのであった。

 私の嫌うのは“体臭”であって、
       戦後入学を非難しているのではない

      のを明確にしておきたかったからである。
   逆の見方をするならば、「春寂寥」を歌えば、誰でも
      嘗ての旧制高校出身者と同一の体質を保有
      する様になるわけではない。 


文明とか文化というものが、時代との関係で整理され
   語られるのと、個々の人物の出現との関係
   の様なものである。
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旧制高校終末期に在学し、形式的にはそこの卒業者
   になっている人たちで奇妙なプライドを持つ人は
     ▲ 学歴詐称:[L-8]、  である。
     ▲ お祖父さんの17歳の頃の話:[L-7][06/05/30]
に書かれている人も“K大学”である。