2006年06月14日

この前に有効だったチラシについて

生徒募集というのは基本的にチラシを使っています。


ポスティングが有効だと言われますが

どうも人の家に伺うというのはためらわれます。

自分の家にチラシ入れられると嫌な気がしますから。

もっとも有効だと昔言われた校門前チラシ手渡しというのも

もうやっていません。

なぜなら私が親なら子供が持って帰ってきたチラシは信用しません。



個人塾の悩みは生徒募集です。

生徒が十分いてもやっぱり拡大したくなるし

拡大し続けるべきです。

施設や備品も充実しますからね。

自分で塾をされる方は教務力とか魅力とかっていうのは必要な分はあると思うのです。

塾が存続しているというのは認められているということだと考えていいと思います。

それに教務力というのは身につけることができます。

勉強家の先生が多いからこれはやっぱり身につく。



悩みはいつも生徒募集。

「無料体験実施中!」なんて書いても何もならない。

それは当たり前すぎて、私は書かない。

「無料で教えます!」って書いても来ない。

自分がその立場なら気味が悪くて行けませんよね。

きっと裏があるんじゃないかって思う。

絶対に思いますよね。

書かなくなったらお母さんのほうから

「お試しってやっておられないのですか?」って聞かれます。

「ああ、いいですよ。やりましょう。」と言うと

たいてい入会してくださいます。




この前からなんですが、塾の外にチラシを置くようにしたんです。

私はカラーのチラシは手間だから作りません。

いろいろな色の用紙を買って来てそれぞれ2部ずつ置いておきました。

ただ見た目がきれいかなって思っていろいろな色にしたんです。



そうしたら赤い用紙のチラシがはじめになくなりました。

次が黄色でした。

白っぽい色はそのままです。




そっかーって思いましたね。

これから折り込みチラシは赤と黄色にします。



前回折りこんだ時にすごく反応がよかったのですが、

同じ地域に2日おきに3回入れたんです。

途中紙がなくなって印刷屋さんが

「すいません、色変えていいですか?」って聞いたので

「構いませんよ」って答えました。


そしたら「チラシの色が途中で変わりましたね」って何人かに言われました。

問い合わせも多かったです。



そっかーって思いました。

これからは赤と黄色を交互に入れることにします。




これから夏休みにかけては一番生徒が増える時期です。

たとえどんないい塾をしていても

知られてないことが多いと思いませんか?

常に知ってもらう努力は必要だと思います。





では。
ringo_juku at 13:35|この記事のURL

学習パズルマガジン『りんごアンテナ』を発売します。

こんにちは。少し宣伝しますね。



『りんごアンテナ』というCDマガジンを作成しています。

CD-ROMで中に学習パズルを1か月分いれています。

問題をプリントアウトして使っていただけます。


小学生向けで低学年用と高学年用に問題のレベルを2種類用意しました。

7月創刊号では1枚のCDに両方入れます。

発送は6月20日ごろを予定しています。

(毎月20日ごろの発送になります。)




値段は送料込みの2,800円になります。

けれど創刊号は1,000円にさせていただきました。

こちらは代引きでのお支払いのみとさせていただきます。
(送料も手数料も1,000円に含まれます。)



申し込みフォームを作りました。

    ↓

『りんごアンテナ創刊号』を申し込む



7月からの家庭学習にお使いいただけます。

よろしくお願いいたします。
ringo_juku at 09:51|この記事のURL

2006年02月23日

もうお別れの子達とずっと話してた・・・

     
この時期、中3が最後のテストで

もう高校からは来ないって子がもちろんいるので

いろいろ話をしたりしていて

ブログをなかなかアップできませんでした。


中1から見てたりした子がもう最後ってなると

すごく寂しくて

やっぱり少しでも話しておきたい。


この時期、忙しいうえに

別れがあったり出会いがあったりで

あわただしいですね。



しっかり仕事しようと思います。

では、また書きますのでよろしくお願いいたします。

ringo_juku at 21:59|この記事のURL

解答用紙は「手紙」

今、小6が最後の模試を受けている。


今更だが「もっと丁寧に書け」と注意した。


こんなこといっても「はあ?」と言われたが


解答用紙は採点する人に出す「手紙」だ。


「私を合格させてください」という手紙だ。


合否を決めるということは究極的には


あなたをコミュニティーに入れるかどうかを


決めるということだ。


すいません、あたり前すぎて。


私はいつもアルバイトをさがす若者に対して思う。


時給がいくらだとか、休憩時間がどうとか、


仕事が楽かどうかとか、


そういった末梢的なことなんかどうにでもなることだ。


仕事ぶりを見せてから交渉すればなんとでもなる。


仕事をするということは同じ時間を共有することだ。


同じ目的のために力を尽くすことだ。


コミュニティーの一員として受け入れるかどうかを試験官は見ている。


それがたとえペイパーテストでも面接でも


中学入試でもアルバイトの面接でも


就職試験の最終面接でも


伝えることはただひとつ、


「私はあなたといっしょにいたい」


これだけだ。


言葉を人に送るということは


ほとんどの場合、ラブレターを書くことと大差ない。


面接官をまえに緊張するのは


告白をするときにドキドキするのと同じだ。


たったひとつ、


自分を受け入れてくれるのかどうかという答えしかないからだ。

ringo_juku at 15:22|この記事のURL

2006年02月22日

なんでもかんでもDVD? 「DVDと電子レンジ」

私はどのような仕事も効率化すべきだと考えています。

それが時代の流れだからです。


高度な技術をもった職人というのはそれで完結している。

誰もがそうなれればいいと思うのですが

それはやっぱり難しい。

誰にでも出来るわけではないから職人技だ。

おそらくどんな時代にも職人の割合は同じじゃないだろうか。



時は流れている。

時代は移り変わる。



私がいつも忘れられないのは「電子レンジ」だ。

あの衝撃は忘れられない。

小学校の低学年のときにうちに来た。

おそらく30万くらいしたろう。

20年近くもった。

別にそれでも使えたが

巨大だったし機能が少なかったので

実家では新しい機種と入れ替わった。



私の成長期は電子レンジとともにあた。

なんでも「チン」すればよかった。

肉まんとかってすごく手軽だった。



お腹が減ったら母に作ってもらうしかないという状態から

自分でチンして食べれる状態へ。

「孤食」とかいう言葉があるが

子供は常にお腹をすかしている。



母親がいつもそばにいて料理を作ってくれる。

おやつを作ってくれる、って素晴らしい。

けれど共働きの家ではそういうわけにはいかない。

冷蔵庫にある朝母が作っておいてくれた料理を

学校から帰ってきてチンして食べる。

ついでにご飯もチンして卵をかけて食べる。

それだっておやつだった。



5時とか6時に母は帰ってきて

バタバタと夕飯の支度をして、

7時には父をのぞいたメンバーで夕飯を食べた。



父が帰ってきてまた夜食を食べたり・・・って何回食べるんだい。




すべての食事が電子レンジでチンならどうかと思うが

足りないところを補う役目は十分に果たす。





すべての授業を職人の先生から学べればそれはすごくいい。

その方法はなくならないのは確かだ。

家庭料理がなくならないのと同じだし

板前やシェフのいるレストランがなくならないのと同じだ。

素晴らしい先生の授業は高いお金を払ってもみな受けたい。

そう、行列をつくったり

順番を待ったりしてだ。




先日、月曜日だったと思うのですが

11時過ぎに回転寿司へいきました。 

平日なのに満員でした。

他の店はガラガラだったのにです。

ランチなのにそんなに食べるなよっていうくらい

隣のテーブルでは皿が積まれてました。



私は回転寿司へは安いから行きます。

普通の寿司屋に比べて安いからではありません。

ファミレスやレストランのランチやコンビニ弁当やマックに比べて

安くて満足できるからいくのです。



回転しているお皿が出てくる奥で

板前が寿司を握っているわけはありません。

何周かしても売れなかった皿は

機械が勝手にレーンからはずします。

ストップウォッチをもった人がチェックしてるわけではありません。



私は回転寿司へ行って悲しい気持ちにはなりません。

カウンターで寿司を握って欲しいひとはそういうところへいけばいいと思う。

私はそういう贅沢は嫌いなのでまず行かない。

グルメでもない。

一回の食事に大きな金額を払うというのは

私のライフスタイルじゃない。



そして子供の勉強というものに大金をつぎ込むというのも私の好みではない。

どうして足し算や割算、微分積分サインコサイン程度のことに大騒ぎしないといけないんだろう?

塾屋を長くやっていると

そんなささいなことで大騒ぎするようになる。

試験というのは人生のなかで方向を決める大事なものだ。

そして私はそれに向かってがんばる子が大好きだし

力の限り応援する。

そしてそれが私の仕事なのだが

やっている内容というのは他愛もないことだ。

「ももが日本で一番とれるのは何県?」

すごく他愛もないことだ。



教育というか、知識を身につける、吸収するというのは

食事と同じくらい大切なことだ。

ましてそれが成長期ともなるとなおさらだ。



だけど常に母がそばにいてお腹がすいたら料理を作ってくれるってわけじゃない。

つねに優秀な先生がそばにいて何でも教えてくれるって理想だけど

すごく大きなコストがかかると思う。

そしてやっていることは本当にそのコストに見合ったことかって思う。

塾をやっていて毎日教えていれば

この世で最も大切なことは勉強だと思ってしまうが

別のポジションや環境にいる人にとっては別の意見があるだろう。




母がいないときには電子レンジでチンしたように

優秀な先生がいないときには

DVDプレイヤーで勉強するっていうのは

そんなに非人間的なことではないと思う。



なんでもかんでもDVDがいいっていうつもりはありません。

けれどこの機械はおそらく

30年前の電子レンジじゃないでしょうか?

そう思うんです。


ringo_juku at 11:33|この記事のURL

2006年01月17日

>早く明日にならないかなぁ


今日はある方のブログを読んで新鮮な気分になりました。



>早く明日にならないかなぁ



っていい言葉ですよね。

この前までうちの息子は

「もう〜い〜くつ寝ると〜お正月〜」

って歌っていました。

それで「あといくつ寝るん?」

教えてあげると

「いっかい寝て、朝になって、また寝て、朝になって・・・」

ってずっと続きます。



私だって子どもの頃は指折り数えました。

早く明日がこないものかって。

自分の塾を作るのに

早く明日にならないかっていうのは素敵じゃないですか!



月曜の憂鬱ではありませんが「ああ、また仕事か〜」

って昔思ったことがありました。

塾の仕事じゃないですよ。

そして明日会社へ行けば休みだ!って思ったりもしました。



おそらく会社員だった彼は

今からだの細胞の7分の1くらい

独立して生きていく人にかわっているんじゃないでしょうか。

そうしてずっとずっと過ごしていくと

からだのすべての細胞が入れ替わる。



趣味としての仕事が始まるんですね。

茶化してるわけでも

ナメきってるわけでもなく

自分の好きなことを仕事にする

誰に言われるでもなくやりたいからやる

そんな仕事を始められたんですね。



私も負けないようにがんばろうと思います。

早く明日にならないかなって新鮮な感覚ですね。

こちらまでうれしくなります。



では。







1月20日の金曜日には

関西私塾連・塾全協様主催の

教材展示会へ行って

多くの方の意見を聞かせていただき

今後の教材作成の参考にしたいと思っています。



場所は

大阪ビジネスパーク 

ツイン21MIDタワー 20階

(10:00〜14:00)



よろしくお願いいたします。


ringo_juku at 20:31|この記事のURL

2006年01月05日

神の子



数は少ないんですが

今小1が帰りました。


1時間ずっとがちゃがちゃしながら

たくさんのプリントをやっていきます。


数の感覚が未発達な子達に教えていると

涙が出そうになりました。


彼のわからないことがわかり

とてもうれしかった。


私はその迷路をこのつぎ、用意してあげる。

彼はそれでくちゃくちゃとやる。


するとまた迷路の領域が広がる。

「ありがとう」と言いたかった。


けれど文脈としておかしかったので

無言で彼を見つめた。


彼はうれしそうな顔。

私は泣きそうな顔。



不謹慎かもしれないが

算数の苦手な子は神の子に見える。


信じられないほどのものを私に与えてくれる。

彼らと過ごす1時間は黄金の1時間だ。



私が今日得たものはなんだと思いますか?

「数字は逆からも数えられたほうがいいよね〜」



「数字はひとつ飛ばしでかぞえたれたほうがいいよね〜」

です。


「10からひとつずつ減らして言って」って言うと

「10、9、7、6、8、9」

またまた〜、神様。

「じゃあ、ひとつ飛ばしで言って」

「1、3、5、6、7、8、19!」

マジですか、神様。


彼が言えないということは

全国で何万人言えないんだろう?

じゃあ、世界では。



「あらやだ、うちのヒロくんは

 お風呂で覚えましたよ。

 日本地図もトイレに貼ってま〜す、ふぁいと〜!」

っていうのは単なる自慢だ。アドバイスじゃない。


生徒と、それじゃお風呂に入ろうか、ってわけにはいかない。

「お風呂で楽しく覚える」みたいな教材を作りたい。

もちろん机上の学習教材として。



毎日勉強して賢くなって

だんだんと忘れていくことを

彼らは教えてくれる。

どんな簡単なことでも

それが難しかったりわからなかったりした時があったはずだ。

勉強を続けると

わからなかった状態を忘れてしまう。

そんな失くした記憶を

笑顔で彼らは教えてくれる。

彼らは私に教えている意識なんかもちろんない。



塾講師に必要な能力のひとつは

生徒がなにがわからないかを感じ取る能力だ。


おっと、ありふれた結論になってしまった。


これはビジネス一般で言うと

顧客が何に不満に感じているかを知ることではないでしょうか。



あらあら、もっとありふれた結論になってしまった。



ということで時間もないのでこの辺で。



では。
ringo_juku at 17:55|この記事のURL

RE: 失敗がほしくてやっている

ヒサオさんの今日のブログを読んで

ぶったまげた。

勝手に引用させてください。

   

>失敗をおそれないどころではない

>失敗がほしくて

>うごいている。



これが全文です。



もう、感動しまくりです。




私がやろうとしていることを今日は書こうと思ってました。


自分の目標を書いておかないといけないって思っていました。


私がやることは


「迷路とパズルでK式をつくる」ことです。


本当にこれだけです。


書いておかないと、宣言しておかないと


ブレるといけませんから。


そんなこと誰もやったことありません。


誰もやったことないことをしようっていうんですから


失敗してあたり前。


うまくいくわけがない。


10やって1うまくいけば


もう、万々歳です。


はやく9つの失敗をするぞ!


失敗が欲しくて欲しくてたまりません。



その次は20やって18失敗します。


そして30やって27失敗します。


だれもやったことがないのなら


失敗して当然です。


やりたいと思うこと自体で


すでに失敗を欲していると言えます。




「失敗がほしくてやっている」!!!!!



名言です。



ありがとうございます。



みなさん、今年もよろしくお願いいたします。

ringo_juku at 00:42|この記事のURL

2006年01月04日

文学のペイパー・・・「引用としての塾」



大学に一応いたんですが

時々ペイパーを書く課題がでた。

ペイパーとはレポートみたいなものだ。

そんなにたいした枚数ではない。

なにかひとつ文学作品を討論しあった後なんかに出た。


中学高校のテストじゃないから

自分が書きたいことを書けばいい。

私は大好きだった。

多くの生徒は「ハードだ」とか「ヘビーだ」とか言ってた。



あの時、多くの生徒は作品に書かれてあることを必死で読み取ろうとしていた。

わかるだろうか?

読書感想文にしても多くの人はそこに書かれていることを読み取ろうとする。

もちろん国語のテストだと「作者の気持ちは・・・」とか

「幸助はそのとき・・・」みたいになってしまう。

それで正解とか不正解とかってなる。



(今、非常に自分のなかでは核心的なことを書いてるつもりなんですが

 かまわず書いてみたい。)


自慢ではないが私はほとんどのペイパーはAだった。

それには理由があって

私は文学作品を読んだかもしれないけれど

作者の言いたいことなど考えたこともなかったし

主人公の気持ちなんて考えたこともなかった。

言い過ぎかもしれないが

それらのことはあまり重要ではなかった。


私にとって文学作品について書くとは

自分が言いたいことを書くということだった。

自分か言いたいことを書くためにたまたまその作品を引用しているだけなのです。

生活のなかで発見とか言いたいことがまずあって

それを伝えるために作品の背景や主人公の行動を引用するわけです。



作者の気持ちはどうかとか

ましてや主人公の気持ちなんて

わかるといえばわかるし

わからないといえばわからない。

それは非常にあやふやな部分だ。


そんなことを考えていると文学作品のなかをグルグルまわっているだけだ。

そんな虚構の中をめぐっても疲れるだけだ。

自分は虚構の外に出てその虚構を語らなければならない。

しかも語ることは虚構の中の出来事をではなく

現実の出来事をだ。



私は国語の勉強について言っているのではない。

私は仕事について話しているのだ。


私は塾をやりたいから塾をしているのではなく

自分のやりたいことをするために塾をしている。

誤解されるかもしれないから言うと

お金儲けの手段として塾を選んでいるのではなく

子どもに勉強を教えるために塾を選んでいる。



私は常に「塾」という「物語」の外に出たいと考えている。

チラシを見て塾を知り入会し勉強をする

成績が徐々にあがり受験を迎える。

志望校にめでたく合格する。

他にもいくつもの「物語」がある。

数え切れない「物語」のバリエーションが存在する。

しかしどんなにバリエーションが増えても

それらは「塾」という枠からはみ出ることはない。


私がやりたいことはその「塾」という「物語」のなかで

他よりも上手くやるということではない。

他よりも強くなるということではない。


単純に子どもに勉強を教えるということのために

「塾」というものをたまたま「引用」しているにすぎない。



もちろんそのような発想ですでに様々な形を試されておられる方も多いと思う。

私などは「塾」としてもかなり後発だし

「引用としての塾」としてもかなり後発だ。

けれどかまわない。

「引用」する部分は同じでも

伝えたいことは同じではないからだ。
ringo_juku at 22:05|この記事のURL

2005年12月19日

ラジコンカーの話


こんなこと書くとのんきな塾だって思われるかもしれない。

けれど書こう。

こういうことを書いたっていい。



私は小さいときから競争するのが

そんなに好きではありませんでした。

ナンバーワンにもオンリーワンにも興味がありませんでした。

つまり「人に勝ちたい!」ってあんまり思わなかったし

「人と違っていたい!」とも思いませんでした。



私は自分の興味があるものが好きでした。

私が小学校4年生のときに熱中していたのは

ラジコンでした。

RCカーと呼ばれたあれです。

自分で組み立てるようになっていて

改造もできて奥が深かったです。


はじめに小さな本を買ってもらって

その本をなめるように読みました。

どのページに何が書いてあるのか

すべて暗記していました。

次に製品カタログを買ってもらった。

そこにはラジコンカーのすべての種類があり、

値段や特徴が書かれていた。

最後には全パーツ写真入で載っていて

値段が書かれていた。

私はその本を学校から帰ると読み

夕飯を食べるときは自分の傍らへ置き

トイレにいくときはもちろん持って入って読み

テレビを見るときもコマーシャルになったら読み

寝るときは枕元に置いて寝ました。

5冊も6冊もそういった本がありましたが

全部持ち歩いていました。

値段もパーツの名称もすべて頭の中に入っていました。

そのかわり本はすべてボロボロになり

セロテープで補強していました。



あるとき母の職場に百科辞典のセールスマンが来て

説明を聞いた母はその百科辞典を

私のために買ってあげようと言い出しました。

確か当時の金額で20万くらいしたんだと思います。

両親はけっこう悩んだんじゃないでしょうか。



そんなとき父がセロテープで補強したボロボロの本を見て

「百科辞典にどれだけの値打ちがあるんだ?

 このセロテープでやぶれたところをなおした本のほうが

 何百倍も何千倍も値打ちがある。

 そしてこっちのほうが役に立つ。」

と言いました。

そして百科辞典の話は流れました。

こんなこと今書くまで完全に忘れていました。

 


そして親は本物のラジコンカーを買ってくれました。

それを組み立てるのがすごく楽しかったのを覚えています。

そうして実際に走らせるのですが

私は走らせる事にはそれほど興味がありませんでした。

ましてやレースに出て人と戦う気持ちもありませんでした。



それでも毎日走らせて、

走らせたらかなりの部分を分解し

ボロギレでそうじしてまた組み立てていました。

走らせている時間よりもずっと長い時間

ドライバーを握っていました。



「塾の独自性を打ち出す」とか

個性を出す、オンリーワンになるって

私には全く興味がありません。

自分の知っているどの塾よりも大きくなる

と言うことにもあまり興味がない。

もちろん大きくなりたいし

必ず大きくなります。

けれどそういったことにはあまり興味がない。


私は自分が興味を持ったことにおかまいなしに没頭したい。

まわりのことはどうだっていい。

近所の塾が2つとも上場していようが

私にはほとんど影響がない。



私は人との関係において自分がどうなのか

ということに根本的に興味がないのだと思います。

ぼ〜っとしてると、人の価値観に引きずられることはあります。

けれどやっぱり興味がない。



人と違うことって考えて出来ることとは思えないし、

そういうのってつまらなくって続かないと思うんです。

儲かりさえすれば続くんでしょうか?

もって3年か5年なのじゃないでしょうか。

94%の会社が5年以内に潰れるって言うし。



儲けることは非常に大切なことです。

私はもっと儲けたほうがいい。

キャッシュで今の50倍は持っていたほうがいい。

いいのはわかっているが

順番を間違わないようにしたい。



「人と違うことをしたほうがいいから違うことをする」

「そうするとより儲かるからそうする」

ってやっぱり私には無理だ。

30年のスパンで見たら

必ずやりたいからやったこと

興味があったからやったことのほうが

何十倍、何百倍もの成果をもたらす

今日の私は、そう信じています。



それでは。



ringo_juku at 22:46|この記事のURL

2005年10月15日

「ブル」

数年前、犬を飼おうってことになった。

犬の本を立ち読みしたり

何軒かペットショップや

大きな店のペットコーナーをまわった。



タウンページを見ているとそう遠くないところに

個人でやっているような所があり

興味を持って妻と出かけた。



看板は出ているが、普通の家で、

玄関の扉を開けると

いっせいに奥の部屋の犬が吠え出し、鳴き出した。

奥の部屋のドアが開くと

犬の大群が襲いかかってくるんじゃないかと一瞬、不安になった。



出てきたのは40歳前後の毛むくじゃらの男性で

商売人というよりは

パパイヤ鈴木みたいだった。



応接間にとおされ

古ぼけた革のソファーに座らされた。

犬の臭いがカーペットから

壁紙、カーテン、壁にかかった「子供の絵」にいたるまで

すべてに染み付いているようだった。

革のソファーで座りなおすたびに

ワンちゃんの臭いがズボンに染み入る気がした。



「パパイヤ」は私たち夫婦が犬が欲しい、

けれど犬に関しては完全な素人であるというのを

すぐさま見抜いた。



パパイヤはいろいろと日本各地で

賞をとっている「ブリーダー」だと言った。

まあ、トップブリーダーのひとりらしい。

壁には賞状みたいなものが飾ってあって

もちろんそれにも愛犬のにおいが染み込んでそうだった。

アホな私は「ブリーダーって何ですか?」と

またアホな質問をして

その講釈が延々と続くのを聞いて

「いかに自分がアホか」納得した。






そのあいだにもどんどんズボンに

ワンちゃんの香りが染み付いていく気がした。



パパイヤは言った、

「やっぱり、ブルでしょ」

「えっ?」とアホな私は聞き返した。

「ブルドッグだよ。」


「ああ、なるほど。

 ブルドッグってあのブルドッグですよね」



確かに「ブルドッグ」を縮めて言うなら

「ブル」でしょうね。

「ドッグ」ならわけわからないですもんね。

そりゃ〜、「ブル」が正しいわ。

「ブル」でOK!

けど、「ブル」って「雄牛」のことでしょ?

まあ、いいっか。



「あのね、お宅ら素人にはわからないだろうが

 極めるとね、ブルにたどりつくんだよ。

 だから、よかったら、はじめからブルにしとけば?」


「いや〜、ブルですか?

 キャバリアとかラブラドールとか・・・」


パパイヤはうっすら笑って言った、

「映画と流行りでねえ、

 素人はすぐ飛びつくけど

 極めればブルだね。

 今、いいのが生まれたんだよ

 この前のチャンピオンの血をひいてるからね」

「はあ〜」

「見てくか?」

と言って立ち上がり

パパイヤは小さいブルちゃんを連れてきた。

「かわいいね」

と言いながら妻を見ると表情が完全に固まっていた。

まあ、じっと見てると

ブルも悪くないような気がしてくるから不思議だ。


相手はプロだし、

それでメシ食べてるし

経験もある人が言うんだから

やっぱりそれらしく見えてくる。

志望校を選ぶときにも

プロがこの学校がいい!ってすすめると

いい気がしてくるし

世間で「あの学校はすごい!」って言われると

そんな気がしてくる。
 


我々はどうもその「ブルちゃん」が



欲しいって思わなかったので帰るタイミングを探していた。

奥様がグラスに麦茶をいれて持ってきてくださった。

私は遠慮なく麦茶をいただいた。

妻はまったく口をつけなかった。

犬の匂いでもするって思ったんだろうか?




立ち上がり帰ることに。

玄関へ行くとまた犬の大群が

思いっきり吠えはじめた。

妻と一緒に

「ありがとうございました」

と礼を言って足早に車に向かった。




自分は「ブル」ばかりすすめていやしないだろうか?

人によっては

ゴールデン・レトリバーや

チャウチャウや

柴がいいって言う意見はしっかりある。



それに子供ならなおさら

外見よりも

捨てられた子犬のほうが

自分を必要としているってことで

どうしても手放さないような気がする。

たとえそれが雑種でも

一晩じっくり名前を考えて

かけがえのないものになるだろう。


そんな子に

「ブルはどう?」ってすすめても

全く無意味だ。


ringo_juku at 18:28|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2005年10月13日

琵琶湖にピラニア!

やめて欲しい、全く。

子供が泳ぐのに。

ブラックバスとブルーギルだけで

じゅうぶん滋賀は困っているのに

ピラニアまで来たらややこしい。

越冬できないって新聞にあったけど

生き延びたら大変なことだ。




むかし忍者「サスケ」でピラニアの話があった。

池の底に宝石がたくさん沈んでいて

池にはピラニアがいるから誰も取りに行けない

ある人物がサスケのお父さんに依頼する。

巨大なろうそくと巨大なコップを使って

一時的に池の水を吸い上げる、という話だ。

理科の実験でもあった。

インパクトが大きく、覚えておられる方も多いと思う。



見事、池の水はすっかりなくなる。

人々が我先にと宝石を取りに

池の底へ走っていく。

宝石を手に喜ぶ人の足元で

ピチピチとピラニアが腹を見せている。



その後、依頼者が裏切ったかなんかで

怒ったサスケのお父さんはコップを壊して

水浸しにしてしまう。

欲張りな人がみなピラニアに食べられてしまった。

あの衝撃は今でも残っている。

だからピラニアと聞くと

あの「サスケ」のなかの欲深い人々のように

みんな食べられてしまう気がする。




各地で似たようなことが起こっている。

アライグマやニシキヘビ

ワニとかイグアナ

そしてサソリ

勘弁して欲しい。


アライグマと言えば「ラスカル」じゃないか。


そして来年あたりは近所の山で

コーカサスやヘラクレスと言う名の大きなカブトが見つかるかもしれない。




雨が降るまえはツバメが低く飛ぶってことがよく言われる。

私の家の前では

なぜか野生の「キジ」が走っている。

「低く飛べ!」って思う。

捕まえられそうで手を伸ばし

近づくと走って逃げる。

飛べばいいのに。

あきらめると

しばらく走って

空高く飛んでいく。






塾をはじめた頃、

生徒が興奮して私に言った。

「塾に来る前に、カンガルー見たで!」

「へえ〜、テレビでか?」

「違うって、塾来る途中の田んぼで」

他の生徒がどっと笑う。

「オーストラリアじゃ、ないんやから。

 野生の王国じゃないって」

と取り合わなかった。

あたり前だ。

いくらなんでもカンガルーはいないだろう。

ペットにカンガルー飼ってる人はいないだろう。

妻にも言ったら笑っていた。





ある夜、田んぼの中に不審車がある、とまた生徒が言った。

私は急いで窓から身を乗り出した。

確かに怪しい。

田んぼの夜道のまんなかで

ずっとライトを照らしてじっとしている。

こちら側をうかがっている様子だ。

その頃から近所で空き巣被害がよくあって

私もピリピリしていたので

「ちょっと待っとけ!」

といって教室を飛び出し

不審車を捕まえようと

車をだした。



私の車を見ると慌てた様子で

不審車は走り始めた。

「いったい泥棒ってどんなやつだろう?」

友人の家が空き巣に入られた。

雨の日を選び、土足で上がり

家の中をむちゃくちゃにしていった。

「2人乗ってる感じだから

 まともにやったら負けるな・・・」

相手がひとりでも凶器を持っていたら

簡単に負けそうだ。

「日本人じゃなくて外国人か?

 琵琶湖に沈められるかもしれない・・・」

殺されるかもしれない恐怖心と

空き巣に対する怒りとで

ハンドルを握る手がかなり汗ばんだ。





不審車は急に速度を落としたり上げたりする

私は挑発のためライトをアップにし

ぶつかりそうなくらいまで近づく






車は集落に近づくと

急にスピードを上げた。

車はカーブを曲がった。

私も遅れまいとアクセルを踏んだ。

対向車が来たらアウトだ。








カーブを曲がると

そこはまたのどかな夜の水田。

不審車の影も形もない。



私はあっけにとられた。




エンジンをつけたまま外に出る。





車のライトがボーっと水田を照らす。




小さな羽虫がライトの光の中を飛び交う





そして私は見た

ライトが照らすその先に

短い前足を折りたたんで

真っ黒い目を大きく見開いた

カンガルーが立っているのを。





その白いお腹に

ポケットがあったかどうか

それは定かではない。








ringo_juku at 19:54|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

傘を借りませんか?

今日は朝からシトシトと雨が降っています。

こういう時の犬の散歩は厄介だ。

傘をさしながらになるからだ。

帰ってきてからも体を洗ってやらないといけない。



突然、家の前に白い車が停まり

紺色のスーツを着た男が2人出てきて

傘もささずに小走りにやって来た。



誰かと思えば銀行の担当者と支店長だった。



「すいません、支店長。

 残高不足ですかね?

 担保とりに来ました?」


と挨拶すると、


「いえいえ違いますよ。」


とニコニコしていた。


少しくらい雨にぬれても上機嫌だ。



挨拶がすむと短刀直入に支店長が言った


「運転資金出しますよ。

 借りてくださいよ。」


びっくりしたー!


どうしてもうちょっと資金があったらいいなって

考えてたことがわかったんだろう?


塾の運転資金には全く困っていないが

今回、教材作成のスタッフを雇おうと思って

ただ今検討中で

それで結局その資金が問題だった。

貯金をあてればすむ話なんですが

それもな〜って感じでした。

今回だけは資金が先にいる

普段ならなんともないが

ちょうど自宅前の教室の入口に屋根をつけ

花壇をつぶして送迎用の駐車スペースをつくり

その工事費が厳しかった。



そんなところに

支店長の「お金借りてよ」だ。


「盗聴してるんじゃないですか?」

っていうとニコニコ否定した。

「イヤイヤイアー」

「ニコニコ否定しないでよ」

っていうと今度はニヤニヤ否定した。




外は雨だ。


新しくつくった駐車スペースに雨が落ちている。



雨の粒が窓ガラスをつたっていく。





銀行は雨が降っているときには傘を貸さないんじゃなかったのか?


この銀行はいつも雨が降りそうになると


傘を貸しにくる。



ある人が言っていた。


「銀行が借りてくださいって言ってきて

 金利が3%以下なら全部借りる。

 たとえば100万のお金を

 一年たって103万以上にできないんなら

 商売なんかやっていても無意味ですよ。

 一年で3%の利益が出せないなら

 経営者なんかやめようよって感じです。」



この言葉を聞いてから

借りてくれって来てるのに借りないと

遅かれ早かれ、先が見えてるなって思うようになりました。



「金利が3%以下なら

 お金を借りない経営者の

 心境が私にはわからない。」

ともおっしゃってました。





支店長には私の考えを

わかりやすく説明した。

これから私が進んでいく方向を。

塾だけではないということを。




「こんなこと言っててもいいんですかね?」

ってきくと

「そんなこと言えないような人は

 商売やっててもダメでしょう。」

って支店長は言った。





昨日のカナダの留学生がやっていたパズルを

支店長もやりたいっていうのでやらせてあげた。

「難しいですな〜」

と笑っていた。

「うち、これ小学校2年生から

 一応やってるんですけどね。」

と言っても笑っていた。




彼は担当者に言った。

「じゃあ、お金用意してあげてよ」

「ハイ、わかりました。」

「ちょっと、待ってよ〜」

と言ったけれど

彼らは傘もささずに

雨の中、小走りに車へ向かった。






傘を貸してあげればよかった。


ringo_juku at 09:53|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2005年10月01日

10月

ただいまシーサーブログで続きを書いております。


こちらからどうぞ!


パズルと迷路で最強の塾をつくる!



ありがとうございました。

ringo_juku at 20:43|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2005年09月16日

引っ越しました



こんにちは。


いつもありがとうございます。


理由がありまして

新しい投稿はSeesaaブログのほうへ

書かせていただいております。



リンクはこちらになっております。

パズルと迷路で最強の塾をつくる!



なおライブドア様が許す限り

今までのページは残しておくつもりです。



それではこれからもよろしくお願いいたします。

2005年09月07日

ちょっと引っ越しました(未定)

今日の昼にシーサーブログで同名のブログを作ってみた。

何の問題もないのでもしかしたら引っ越します。

新鮮な気分です。


アドレスはこちら。

http://ringojuku.seesaa.net/

『パズルと迷路で最強の塾をつくる!』


よろしくお願いしま〜す。

2005年09月06日

引っ越そうかな

台風がやってきましたね。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


こんな中でもやってくる子はやってきます。

追い返すわけにもいかず

先程まで生徒がいました。



休みにするにはちょっと台風が遠すぎるかなって思いまして。

とりあえずあけました。



それはさておき、ライブドアブログのリニューアルで

いつもと勝手が違い

気分が悪いので今日はこのような世間話。



どうして遅くなるんでしょう。

リニューアルって普通よくなるでしょう?



それで「はてなダイアリー」にブログをつくって

いろいろやってみました。

すごい会社ですね、はてなって。

ユニークです。



それで今後どうするかは分かりませんが

どこへいこうとも、よろしくお願いいたします。

引越しするならヤドカリ式で、

ライブドアのこのブログはこのまま置いておき、

別のブログではじめからタイトル変えて

書き始めるかもしれません。



すべては台風が通過したあと考えます。



皆様の安全をお祈りいたします。


それではまた。



2005年09月05日

琵琶湖の向こうはアメリカ

私の住む地域の話をします。
滋賀ですから琵琶湖があります。
琵琶湖しかないとも言われています。
はなわが滋賀出身でなくてよかったと思ってる人も多いでしょう。
 
その昔、小学校の低学年の頃
私は毎朝、湖岸沿いの道を歩いて登校していました。
毎朝、琵琶湖を眺めて登校していました。
いつもどんよりとして、かすんでいるので
向こう岸が見えない日が多いのです。

それで頭のなかでは琵琶湖はどこまでも広がっていて
そのまま泳いでいけばアメリカがあるってずっと妄想していました。
私の頭の中では外へ外へと向かっているはずなのに
実際は内へ内へと向かう旅なのです。
岸から泳ぎだすという同じ行為が
片方では異国へとつながり
もう片方では自分自身へと向かっている。

昔、読書感想文がすごく嫌いで
まともに本を読んだことも
感想文を書いたこともありませんでした。
そんな自分が15歳頃から急に文学に目覚め
小説や詩を読んで、
詩や文を書いた。

昔、音楽がちんぷんかんぷんで
音楽の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。
それが中学へ入った後、
いろいろレコードを聴き
ギターを弾くようになり高校へ入学するとピアノを習い始め
ウイーンにオペラを聴きにいき
サンバを聴くためにブラジルまで行った。

中1のとき英語がわからなくてさんざんな点数だった。
ひどくて人に言えずに1年間ほおっておいた。
中2になったときから一からやり直した。
なぜか英語が好きになった。
留学までして親に迷惑をかけた。
今人に英語なんか教えている。

大学で詩を書いていた頃は
お金儲けなんて絶対に無理だって思っていた。
傷つきやすいこころをもって社会の風に当たれば
リルケのように死んでしまうと思っていた。
相当に恥ずかしい思い出だ。
マジで恥ずかしい。
今は自分で税金の計算をしている。

学ぶということは外へ向けて自分を漕ぎ出しているようにも見える。
けれどどうしてそれを学ぶのかといえば
それは自分自身を見つめるためのような気もする。
自分自身の負い目を克服するために
今まで勉強してきた部分もある。

迷路は琵琶湖に似ています。
それはいつも内面を映す鏡なのです。
迷路に夢中になっている時間は 自分を探している時間なのです。
最近流行の自分探しの旅と同じかどうかは知りません。
自分のできないところとできるところを 自分自身がはっきりと認識でき
それと同時に克服までもしてしまうのが迷路です。
そんな迷路を作りたいと思っています。

迷路には始まりがあり終わりがあります。
入り口があって出口があります。
長いトンネルを鳥瞰しているようです。


子供たちは小さくても自分を探しています。
勉強が自分を見つめることに思えなくなった日に
迷路を差し出すと ちゃんと気付いてくれます。
勉強は自分を探すためのもの。
世界を広げると同時に
自分の内側を探るものでもある。
 
こんなこと、塾の先生が言うことではない。
けれど、もういい。 書きたいことを書きます。

なんかちょっとおかしいでしょ?
まだ私は迷路の入り口にいるんです。



2005年09月03日

Yahoo!掲示板の思い出


私は塾をはじめるときによく

「Yahoo!掲示板」の学習塾カテゴリーを読んでいました。


その中で毎夜、いろいろな塾のやり方をおそわりました。

一度も書き込んだことはありませんでした。

ROM専門でした。


もう記憶もあやふやで正しくないのかもしれませんが

中国地方の塾の先生ですごい方がおられて

「新しい塾のかたちをもとめて」というトピックがありました。

それを読み、いまの塾のスタイルを作ったと言えます。

授業形式ではなく、個別指導。

その個別指導でもぴったりとくっつかないで

自立学習をうながすために講師がいる。

いばらない。教え込まない。

そのようなイメージで6年ぐらい前に塾をはじめました。




すべての人が私にとって先生でした。

おっしゃること、おっしゃることすべてありがたくって

応用させていただきました。

あの方々がもしもいまブログをやられていたら

ぜひ毎日読みにいきたいです。



東京の塾の先生で、すごく文学的な香りの高い文体で

延々と語られるかたがおられました。

この方はエドガー・アラン・ポーか?って思えるような

ゴシック的なごつごつとした文体で

毎夜、驚かされました。



関東の先生で英語の単科塾をやっておられる先生がおられました。

総合塾しか生き残れない激戦区で

私は生き残っているから

君も信じたようにやれ、

人の意見など気にするな、

と励まされておりました。



mio先生といわれるすごい先生がおられました。

もしかしたらあの方かといつも想像して

ブログを拝見させていただいております。



学習塾掲示板は今でもたまに、のぞきます。

お気に入りは「個別指導を極めよう!」と「個人塾★開塾宣言!★」です。(というか、それ以外は読まない)

私の右側の柱の「参考」のところにリンクが貼ってあります。

よろしければ一度お読みになってください。

ADSLや光やケーブルがない時代から人々は

語るために情熱をそそいでいました。



私も70%くらいの力で更新していこうと思います。

最近ちょっと張り切りすぎてしんどくなりました。

よろしければコメントください。

やっぱりブログはコメントのやりとりが一番おもしろいです。


よい日曜日をお過ごしください。

それでは。





2005年09月02日

3方よし 私は近江商人?

どのようなテーマについて書こうとも

それは古くて誰かがすでに書いてしまっている。

我々が写真や映像で見る美しい風景も

毎日誰かが訪れています。

真新しい場所というものはありません。

新しいのは着眼点だけです。

そのテーマの扱い方、風景の見方だけに新しさがある。

そしてそれで十分だ、とエウドラ・ウェルティは言っている。


それは誰だ?

私も知らない。

アメリカ人だ。



けれどいいこと言っている。

今日はどうも調子が悪い。

ですから塾については今のところ書くつもりはありません。



私の本当に興味のあることはなんだ。

こんな抽象的なことなのだろうか?



自分がやりたいことについて書く、

将来の計画を書く、

問題点を書く、

それはどれも実際のことではない。



わかりやすく言います。

小説を例にしましょう。

こんな小説を書きたいんだって人に話す、

アウトラインを作る、

題名を考える、

リサーチをする、

こんなものはすべて小説を書くことにはならない。

書くということは実際に書くことでしかない。



わかりやす。

これも人の言葉だ。

E・L・ドクトロウの言葉だ。

誰だろう?

知らない人だ。

多分アメリカ人だと思います。

いいこと言う人多いですね。





スタッフが思うように集まらなくて

毎日困ったような記事を投稿していました。

夏講が終わって余裕が出たので

1月ぶりに友人のパソコンショップと

パソコンスクールに行きました。



そしたらそこに私が求めているような人が

暇にしていました。

その友人もハッピー。

私もハッピー。

その方もハッピー。

「3方よし」だ。(本来の意味とはズレますが・・・)



詳しくはいえませんが

その方の能力を今の状態では使うことができない。

だからその方は自分のやりたい仕事をすることができなかった。

けれど友人はその方の能力を評価しているので

手放したくはない。

私はその方の能力を評価して

少しお手伝い願いたい。

結果としてみんなハッピーでした。



来週から、やるぞ!ってかんじです。

結果がどうあれとにかくやってみます。

もう計画とかあきました。




具体的にいきたい。

この世の中でもっとも難しいのは

「実際にやってみる」ということだ。

そしてすごい価値がある。

計画だけ、掛け声だけなんて

栄養のない料理をつくってるみたいだ。

スカスカです。



実際にやる。

いや、今までもやってはいるが

もっともっと本気になるということだ。

本気とはお金と時間を使うといういうことだ。

時間は使ったがお金をもっと使う。

人件費がどうした。

家賃がどうした。

やってみないと方向性がはっきりしない。

ゴールは決まっていても

その途中の道筋がはっきりしない。



人の予定はどうだっていい。

世の中の予定はどうだっていい。

今が何月であろうが

新学期が何月であろうが

いったいどんな違いがあるというのか。



遅いスタートは

その次のチャンスへの

早いスタートになる。



誰の言葉だ?

私がいま考えた。

前向きじゃないか!