2005年04月25日
迷路の効用
通常の勉強をする前によく迷路のプリントを渡します。それで気づいたことはなかなか迷路が嫌いな子はいないなあ、ということです。数理パズルなんかだと嫌がる子もたまにいるんですが、迷路は一応やってみようって思うみたいで、ひとつアプローチの数が増えたなって思ってます。迷路を前にすると人は解かねばならないっていう気になるんでしょうか?そして毎回その謎は解かれ、子供たちはすっきりした気分で数理パズルを解き、塾のテキストの問題を解きます。もっとくれ!って言われるんですけど、迷路が一番作るのに手間がかかるんですよね。
子供たちが迷路を解いていて何のプラスになるかというと、紙全体を見るようになり視野が広がります。慣れてくるとまずは目だけで追っていくので、幾何の準備としては最適です。図形の問題をみて「わかりません」とだけ言う生徒が増えたと嘆く前に、さまざまな試みをしないといけないって思っています。
もうひとつはやはり達成感を比較的簡単に体験させてあげることができることです。どこででもだれでも言ってることですが、意欲ややる気というものは達成感の積み重ねで強くなるものでしょう。小さな達成を積み重ねていくことでより難しいものに挑戦する気持ちもわいてきますし、失敗してもチャレンジし続けることができると思います。
何よりも大切なことは、目で解くということには反するのですが、試行錯誤して答えが見つけられるということです。子供たちが1時間に作る消しゴムのカスの量がその子のがんばりをあらわしています。生きていくうえで試行錯誤することほど人を成長させるものはないと考えています。勉強も同じで試行錯誤して自分の勉強のスタイルを作り上げていくものだと思います。その過程でいろいろ頭を使うことで能力が身につきます。
もうひとつ考えられることは、作者の問題作成パターンを見つけるようになることと、解法のパターンを見つけるようになるということです。いつまでもでたらめに進んで行くのではなく、論理的に進んでいくようになることです。 もしかしたら象徴的な意味もあるかもしれません。勉強ができない子は迷路の中に自分自身を見つけるのかもしれません。または問題の渦中にある子は、今の自分の問題を迷路の中に見つけるかもしれません。迷路を解くことによって開放される自分かあるのかもしれません。
塾で勉強ばかり教えていると、シンボルとか象徴とかいう言葉をめっきり使わなくなります。現実的にものごとを見るようになります。合格不合格、得か損かでしか勉強を見ていないことが多くなります。けれど自分自身を振り返ると、学生の頃、もっとも大きな問題は勉強ができるとかできないとかではなく、なぜ自分は生まれてきたのかとか、何をするために生きていくのかということだったと思います。一応そんな問題をクリアしてきて大人になったら、小学生や中学生を自分と同じ視点でしか見ることが出来なくなってしまいます。「勉強はしたほうがいい、その方が得やから」なんていうのは大人の視点ですよね。それで納得できるような子供は狭いかもしれません。
今日この日記を書いていて気づいたことは、子供の頃は世界はシンボルで埋めつくされていたということです。すべての出来事には隠された意味がありました。目の前をとぽとぽ歩く犬が意味を持っていました。見知らぬおばさんが何気なく発した言葉の中に世界の謎を解く暗号が隠されていると思っていました。自分の生きている世界を理解しようと毎日もがいていた気がします。 子供たちに母親や塾の先生が何を言ってもほとんどが伝わらないのは当たり前です。子供とは見ているものが違うのですから。もしかしたら一枚の迷路が心への入り口かも知れません。
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