2005年09月
2005年09月16日
引っ越しました
こんにちは。
いつもありがとうございます。
理由がありまして
新しい投稿はSeesaaブログのほうへ
書かせていただいております。
リンクはこちらになっております。
パズルと迷路で最強の塾をつくる!
なおライブドア様が許す限り
今までのページは残しておくつもりです。
それではこれからもよろしくお願いいたします。
2005年09月07日
ちょっと引っ越しました(未定)
今日の昼にシーサーブログで同名のブログを作ってみた。
何の問題もないのでもしかしたら引っ越します。
新鮮な気分です。
アドレスはこちら。
http://ringojuku.seesaa.net/
『パズルと迷路で最強の塾をつくる!』
よろしくお願いしま〜す。
何の問題もないのでもしかしたら引っ越します。
新鮮な気分です。
アドレスはこちら。
http://ringojuku.seesaa.net/
『パズルと迷路で最強の塾をつくる!』
よろしくお願いしま〜す。
2005年09月06日
引っ越そうかな
台風がやってきましたね。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
こんな中でもやってくる子はやってきます。
追い返すわけにもいかず
先程まで生徒がいました。
休みにするにはちょっと台風が遠すぎるかなって思いまして。
とりあえずあけました。
それはさておき、ライブドアブログのリニューアルで
いつもと勝手が違い
気分が悪いので今日はこのような世間話。
どうして遅くなるんでしょう。
リニューアルって普通よくなるでしょう?
それで「はてなダイアリー」にブログをつくって
いろいろやってみました。
すごい会社ですね、はてなって。
ユニークです。
それで今後どうするかは分かりませんが
どこへいこうとも、よろしくお願いいたします。
引越しするならヤドカリ式で、
ライブドアのこのブログはこのまま置いておき、
別のブログではじめからタイトル変えて
書き始めるかもしれません。
すべては台風が通過したあと考えます。
皆様の安全をお祈りいたします。
それではまた。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
こんな中でもやってくる子はやってきます。
追い返すわけにもいかず
先程まで生徒がいました。
休みにするにはちょっと台風が遠すぎるかなって思いまして。
とりあえずあけました。
それはさておき、ライブドアブログのリニューアルで
いつもと勝手が違い
気分が悪いので今日はこのような世間話。
どうして遅くなるんでしょう。
リニューアルって普通よくなるでしょう?
それで「はてなダイアリー」にブログをつくって
いろいろやってみました。
すごい会社ですね、はてなって。
ユニークです。
それで今後どうするかは分かりませんが
どこへいこうとも、よろしくお願いいたします。
引越しするならヤドカリ式で、
ライブドアのこのブログはこのまま置いておき、
別のブログではじめからタイトル変えて
書き始めるかもしれません。
すべては台風が通過したあと考えます。
皆様の安全をお祈りいたします。
それではまた。
2005年09月05日
琵琶湖の向こうはアメリカ
私の住む地域の話をします。
滋賀ですから琵琶湖があります。
琵琶湖しかないとも言われています。
はなわが滋賀出身でなくてよかったと思ってる人も多いでしょう。
その昔、小学校の低学年の頃
私は毎朝、湖岸沿いの道を歩いて登校していました。
毎朝、琵琶湖を眺めて登校していました。
いつもどんよりとして、かすんでいるので
向こう岸が見えない日が多いのです。
それで頭のなかでは琵琶湖はどこまでも広がっていて
そのまま泳いでいけばアメリカがあるってずっと妄想していました。
私の頭の中では外へ外へと向かっているはずなのに
実際は内へ内へと向かう旅なのです。
岸から泳ぎだすという同じ行為が
片方では異国へとつながり
もう片方では自分自身へと向かっている。
昔、読書感想文がすごく嫌いで
まともに本を読んだことも
感想文を書いたこともありませんでした。
そんな自分が15歳頃から急に文学に目覚め
小説や詩を読んで、
詩や文を書いた。
昔、音楽がちんぷんかんぷんで
音楽の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。
それが中学へ入った後、
いろいろレコードを聴き
ギターを弾くようになり高校へ入学するとピアノを習い始め
ウイーンにオペラを聴きにいき
サンバを聴くためにブラジルまで行った。
中1のとき英語がわからなくてさんざんな点数だった。
ひどくて人に言えずに1年間ほおっておいた。
中2になったときから一からやり直した。
なぜか英語が好きになった。
留学までして親に迷惑をかけた。
今人に英語なんか教えている。
大学で詩を書いていた頃は
お金儲けなんて絶対に無理だって思っていた。
傷つきやすいこころをもって社会の風に当たれば
リルケのように死んでしまうと思っていた。
相当に恥ずかしい思い出だ。
マジで恥ずかしい。
今は自分で税金の計算をしている。
学ぶということは外へ向けて自分を漕ぎ出しているようにも見える。
けれどどうしてそれを学ぶのかといえば
それは自分自身を見つめるためのような気もする。
自分自身の負い目を克服するために
今まで勉強してきた部分もある。
迷路は琵琶湖に似ています。
それはいつも内面を映す鏡なのです。
迷路に夢中になっている時間は 自分を探している時間なのです。
最近流行の自分探しの旅と同じかどうかは知りません。
自分のできないところとできるところを 自分自身がはっきりと認識でき
それと同時に克服までもしてしまうのが迷路です。
そんな迷路を作りたいと思っています。
迷路には始まりがあり終わりがあります。
入り口があって出口があります。
長いトンネルを鳥瞰しているようです。
子供たちは小さくても自分を探しています。
勉強が自分を見つめることに思えなくなった日に
迷路を差し出すと ちゃんと気付いてくれます。
勉強は自分を探すためのもの。
世界を広げると同時に
自分の内側を探るものでもある。
こんなこと、塾の先生が言うことではない。
けれど、もういい。 書きたいことを書きます。
なんかちょっとおかしいでしょ?
まだ私は迷路の入り口にいるんです。
滋賀ですから琵琶湖があります。
琵琶湖しかないとも言われています。
はなわが滋賀出身でなくてよかったと思ってる人も多いでしょう。
その昔、小学校の低学年の頃
私は毎朝、湖岸沿いの道を歩いて登校していました。
毎朝、琵琶湖を眺めて登校していました。
いつもどんよりとして、かすんでいるので
向こう岸が見えない日が多いのです。
それで頭のなかでは琵琶湖はどこまでも広がっていて
そのまま泳いでいけばアメリカがあるってずっと妄想していました。
私の頭の中では外へ外へと向かっているはずなのに
実際は内へ内へと向かう旅なのです。
岸から泳ぎだすという同じ行為が
片方では異国へとつながり
もう片方では自分自身へと向かっている。
昔、読書感想文がすごく嫌いで
まともに本を読んだことも
感想文を書いたこともありませんでした。
そんな自分が15歳頃から急に文学に目覚め
小説や詩を読んで、
詩や文を書いた。
昔、音楽がちんぷんかんぷんで
音楽の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。
それが中学へ入った後、
いろいろレコードを聴き
ギターを弾くようになり高校へ入学するとピアノを習い始め
ウイーンにオペラを聴きにいき
サンバを聴くためにブラジルまで行った。
中1のとき英語がわからなくてさんざんな点数だった。
ひどくて人に言えずに1年間ほおっておいた。
中2になったときから一からやり直した。
なぜか英語が好きになった。
留学までして親に迷惑をかけた。
今人に英語なんか教えている。
大学で詩を書いていた頃は
お金儲けなんて絶対に無理だって思っていた。
傷つきやすいこころをもって社会の風に当たれば
リルケのように死んでしまうと思っていた。
相当に恥ずかしい思い出だ。
マジで恥ずかしい。
今は自分で税金の計算をしている。
学ぶということは外へ向けて自分を漕ぎ出しているようにも見える。
けれどどうしてそれを学ぶのかといえば
それは自分自身を見つめるためのような気もする。
自分自身の負い目を克服するために
今まで勉強してきた部分もある。
迷路は琵琶湖に似ています。
それはいつも内面を映す鏡なのです。
迷路に夢中になっている時間は 自分を探している時間なのです。
最近流行の自分探しの旅と同じかどうかは知りません。
自分のできないところとできるところを 自分自身がはっきりと認識でき
それと同時に克服までもしてしまうのが迷路です。
そんな迷路を作りたいと思っています。
迷路には始まりがあり終わりがあります。
入り口があって出口があります。
長いトンネルを鳥瞰しているようです。
子供たちは小さくても自分を探しています。
勉強が自分を見つめることに思えなくなった日に
迷路を差し出すと ちゃんと気付いてくれます。
勉強は自分を探すためのもの。
世界を広げると同時に
自分の内側を探るものでもある。
こんなこと、塾の先生が言うことではない。
けれど、もういい。 書きたいことを書きます。
なんかちょっとおかしいでしょ?
まだ私は迷路の入り口にいるんです。
2005年09月03日
Yahoo!掲示板の思い出
私は塾をはじめるときによく
「Yahoo!掲示板」の学習塾カテゴリーを読んでいました。
その中で毎夜、いろいろな塾のやり方をおそわりました。
一度も書き込んだことはありませんでした。
ROM専門でした。
もう記憶もあやふやで正しくないのかもしれませんが
中国地方の塾の先生ですごい方がおられて
「新しい塾のかたちをもとめて」というトピックがありました。
それを読み、いまの塾のスタイルを作ったと言えます。
授業形式ではなく、個別指導。
その個別指導でもぴったりとくっつかないで
自立学習をうながすために講師がいる。
いばらない。教え込まない。
そのようなイメージで6年ぐらい前に塾をはじめました。
すべての人が私にとって先生でした。
おっしゃること、おっしゃることすべてありがたくって
応用させていただきました。
あの方々がもしもいまブログをやられていたら
ぜひ毎日読みにいきたいです。
東京の塾の先生で、すごく文学的な香りの高い文体で
延々と語られるかたがおられました。
この方はエドガー・アラン・ポーか?って思えるような
ゴシック的なごつごつとした文体で
毎夜、驚かされました。
関東の先生で英語の単科塾をやっておられる先生がおられました。
総合塾しか生き残れない激戦区で
私は生き残っているから
君も信じたようにやれ、
人の意見など気にするな、
と励まされておりました。
mio先生といわれるすごい先生がおられました。
もしかしたらあの方かといつも想像して
ブログを拝見させていただいております。
学習塾掲示板は今でもたまに、のぞきます。
お気に入りは「個別指導を極めよう!」と「個人塾★開塾宣言!★」です。(というか、それ以外は読まない)
私の右側の柱の「参考」のところにリンクが貼ってあります。
よろしければ一度お読みになってください。
ADSLや光やケーブルがない時代から人々は
語るために情熱をそそいでいました。
私も70%くらいの力で更新していこうと思います。
最近ちょっと張り切りすぎてしんどくなりました。
よろしければコメントください。
やっぱりブログはコメントのやりとりが一番おもしろいです。
よい日曜日をお過ごしください。
それでは。
2005年09月02日
3方よし 私は近江商人?
どのようなテーマについて書こうとも
それは古くて誰かがすでに書いてしまっている。
我々が写真や映像で見る美しい風景も
毎日誰かが訪れています。
真新しい場所というものはありません。
新しいのは着眼点だけです。
そのテーマの扱い方、風景の見方だけに新しさがある。
そしてそれで十分だ、とエウドラ・ウェルティは言っている。
それは誰だ?
私も知らない。
アメリカ人だ。
けれどいいこと言っている。
今日はどうも調子が悪い。
ですから塾については今のところ書くつもりはありません。
私の本当に興味のあることはなんだ。
こんな抽象的なことなのだろうか?
自分がやりたいことについて書く、
将来の計画を書く、
問題点を書く、
それはどれも実際のことではない。
わかりやすく言います。
小説を例にしましょう。
こんな小説を書きたいんだって人に話す、
アウトラインを作る、
題名を考える、
リサーチをする、
こんなものはすべて小説を書くことにはならない。
書くということは実際に書くことでしかない。
わかりやす。
これも人の言葉だ。
E・L・ドクトロウの言葉だ。
誰だろう?
知らない人だ。
多分アメリカ人だと思います。
いいこと言う人多いですね。
スタッフが思うように集まらなくて
毎日困ったような記事を投稿していました。
夏講が終わって余裕が出たので
1月ぶりに友人のパソコンショップと
パソコンスクールに行きました。
そしたらそこに私が求めているような人が
暇にしていました。
その友人もハッピー。
私もハッピー。
その方もハッピー。
「3方よし」だ。(本来の意味とはズレますが・・・)
詳しくはいえませんが
その方の能力を今の状態では使うことができない。
だからその方は自分のやりたい仕事をすることができなかった。
けれど友人はその方の能力を評価しているので
手放したくはない。
私はその方の能力を評価して
少しお手伝い願いたい。
結果としてみんなハッピーでした。
来週から、やるぞ!ってかんじです。
結果がどうあれとにかくやってみます。
もう計画とかあきました。
具体的にいきたい。
この世の中でもっとも難しいのは
「実際にやってみる」ということだ。
そしてすごい価値がある。
計画だけ、掛け声だけなんて
栄養のない料理をつくってるみたいだ。
スカスカです。
実際にやる。
いや、今までもやってはいるが
もっともっと本気になるということだ。
本気とはお金と時間を使うといういうことだ。
時間は使ったがお金をもっと使う。
人件費がどうした。
家賃がどうした。
やってみないと方向性がはっきりしない。
ゴールは決まっていても
その途中の道筋がはっきりしない。
人の予定はどうだっていい。
世の中の予定はどうだっていい。
今が何月であろうが
新学期が何月であろうが
いったいどんな違いがあるというのか。
遅いスタートは
その次のチャンスへの
早いスタートになる。
誰の言葉だ?
私がいま考えた。
前向きじゃないか!
それは古くて誰かがすでに書いてしまっている。
我々が写真や映像で見る美しい風景も
毎日誰かが訪れています。
真新しい場所というものはありません。
新しいのは着眼点だけです。
そのテーマの扱い方、風景の見方だけに新しさがある。
そしてそれで十分だ、とエウドラ・ウェルティは言っている。
それは誰だ?
私も知らない。
アメリカ人だ。
けれどいいこと言っている。
今日はどうも調子が悪い。
ですから塾については今のところ書くつもりはありません。
私の本当に興味のあることはなんだ。
こんな抽象的なことなのだろうか?
自分がやりたいことについて書く、
将来の計画を書く、
問題点を書く、
それはどれも実際のことではない。
わかりやすく言います。
小説を例にしましょう。
こんな小説を書きたいんだって人に話す、
アウトラインを作る、
題名を考える、
リサーチをする、
こんなものはすべて小説を書くことにはならない。
書くということは実際に書くことでしかない。
わかりやす。
これも人の言葉だ。
E・L・ドクトロウの言葉だ。
誰だろう?
知らない人だ。
多分アメリカ人だと思います。
いいこと言う人多いですね。
スタッフが思うように集まらなくて
毎日困ったような記事を投稿していました。
夏講が終わって余裕が出たので
1月ぶりに友人のパソコンショップと
パソコンスクールに行きました。
そしたらそこに私が求めているような人が
暇にしていました。
その友人もハッピー。
私もハッピー。
その方もハッピー。
「3方よし」だ。(本来の意味とはズレますが・・・)
詳しくはいえませんが
その方の能力を今の状態では使うことができない。
だからその方は自分のやりたい仕事をすることができなかった。
けれど友人はその方の能力を評価しているので
手放したくはない。
私はその方の能力を評価して
少しお手伝い願いたい。
結果としてみんなハッピーでした。
来週から、やるぞ!ってかんじです。
結果がどうあれとにかくやってみます。
もう計画とかあきました。
具体的にいきたい。
この世の中でもっとも難しいのは
「実際にやってみる」ということだ。
そしてすごい価値がある。
計画だけ、掛け声だけなんて
栄養のない料理をつくってるみたいだ。
スカスカです。
実際にやる。
いや、今までもやってはいるが
もっともっと本気になるということだ。
本気とはお金と時間を使うといういうことだ。
時間は使ったがお金をもっと使う。
人件費がどうした。
家賃がどうした。
やってみないと方向性がはっきりしない。
ゴールは決まっていても
その途中の道筋がはっきりしない。
人の予定はどうだっていい。
世の中の予定はどうだっていい。
今が何月であろうが
新学期が何月であろうが
いったいどんな違いがあるというのか。
遅いスタートは
その次のチャンスへの
早いスタートになる。
誰の言葉だ?
私がいま考えた。
前向きじゃないか!
2005年09月01日
うぐいす嬢は不足しないのか?
街宣カーが走り始めた。
候補者の名前を連呼しながら。
屋根には大きく書かれた候補者の名前。
オレンジやグリーンの鮮やかな色のTシャツ。
白い手袋をした手が開け放された窓から振られる。
潰れたコンビニあとや空き地はいつのまにか選挙事務所になっている。
ノボリをもった支援者達が道ゆくひとに頭をさげる。
塾で授業の準備をしていると声が聞こえてくる。
「ああ、この人はいい声だな」
「この人のしゃべり方は上手だなあ」
っていつも思う。
そしてもうひとつ思うことがある。
「この人たちは普段、何をやっているんだろう?
いったい、どこからやって来るんだろう?」
この声の主は「うぐいす嬢」と呼ばれる。
選挙のハナだ。
彼女たちは選挙になるとあらわれマイクを持ち
美しい声を聞かせてくれる。
そして選挙が終わればまた姿を消してしまう。
P・B・シェリーの『ひばりに寄せて』という詩の中に
ひばり達は空高く舞って歌うから
姿は見えず、その鋭い歌声だけが聞こえる
というような1節があったのを思い出した。
ある種、神聖なものとして語られていた。
ちなみに彼の妻メアリー・シェリーは小説家で
「フランケンシュタイン」の著者として有名だ。
ともにロマン派で、詩人バイロンと同じ時代を生きた。
ひばりの話じゃなくてうぐいすの話だった。
このうぐいす嬢たちは全国でいっせいになき始める。
投票日の前日の夕暮れまで休みなく日本中がうぐいすの声でいっぱいになる。
そうすると私はすぐに心配になる。
「うぐいす嬢の数は足りているんだろうか?」って。
地方の市議選だったりすると
近隣の県から名人とか歌姫と呼ばれるひとが連れてこられる。
どこででもそうかは定かではないがそんなこともあるのは確かだ。
選挙はその地方だけのものだから
うぐいすが不足する心配はない。
けれど衆院選は全国いっせいだ。
なかにはうぐいすではない人も混ざっているだろう。
派遣会社から送られてくるのもいるだろう。
要は、実力とか魅力の世界だ。
別に資格が必要なわけではない。
「声がはっきりしていてわかりやすい」とか
「うまいなあ〜」って思わせればいいのだ。
どんな世界でも名人はいるし歌姫もいる。
その割合はきっと決まっているだろう。
今回のように急に解散になると
面接して「この人いけるな」って思ったら
「じゃあ、やってみてください」って感じだろう。
各政党は候補者をボンボン立てるのはいいが
うぐいすはどこから連れてくるのか?
そんなことは党執行部にとってはささいな問題だろうか?
同じように業績のいい大手塾は毎年毎年
新教室をボンボン立てるのはいいのだが
講師はいったいどこから連れてくるのだろうか?
パンフレットや広告には優秀そうな人が写ってるが
新しくできた教室にも既存の教室にも
優秀な講師が配属されているんだろうか?
そんなことは経営幹部にとってはささいな問題だろうか?
強気の経営でお金があれば教室などいくらでもつくれる。
けれどいくら経営者が強気でも講師はそう簡単に集まらない。
塾は生徒を集める前によい講師を集めないといけない。
最近そう思っている。
誰も優秀な人の集め方なんて教えてくれない。
集めた人を育てるというと聞こえはいいが
実際は難しい。
いつでも優秀な人は求められている。
どんなに高い給料を払うといっても
優秀な人はいつも不足している。
残念ながら仕事が不足しているのではなく
能力が不足しているだけだ。
だから努力をしてください。
必ず自分にあった仕事が見つかるはずです。
私は心の底からそう信じていますし
みながそうなればいいと思っています。
じゃあ、自分は優秀か?
または優秀な人になりたいか?
そんなことはない。
私は優秀な人を雇えるような人間になりたい。
優秀な人が働いてみたいと思えるような職場をつくりたい。
選挙が終わる。
応援した候補者が
「当選だ!やった!よかった!」ってみんな感謝感激する。
支持者達が深夜、「万歳!万歳!」となり
汗まみれの候補者がだるまに黒目を入れている。
支持者の前で深々と頭をさげる。
そんなときうぐいす達も一緒に感激したりする。
ましてはじめての選挙。
10日あまり一所懸命戦った。
ただただ、感激だ。
そして、うぐいすたちは本物のうぐいすになっていく。
そんななか、ひとりのうぐいすはクールにお茶を飲んだりして
「ひと仕事、終わった」と思う。
「さあ、次の内閣は短命か、それとも・・・」
自分なりの予測を立てたりする。
そのうぐいすにとっては誰が当選するかとか
どの政党が勝つかとか
そんなにも大きな問題ではないかもしれない。
あまりそういったことには拘泥しない。
彼女は自分の依頼者が
自分の声で当選することを重視する。
そしてジンクスや伝説が生まれる。
解散がある。
選挙本部長が叫ぶ、
「あのうぐいすを呼べ!」
当塾ではひきつづき、講師を募集いたしております。
ご連絡ください。
候補者の名前を連呼しながら。
屋根には大きく書かれた候補者の名前。
オレンジやグリーンの鮮やかな色のTシャツ。
白い手袋をした手が開け放された窓から振られる。
潰れたコンビニあとや空き地はいつのまにか選挙事務所になっている。
ノボリをもった支援者達が道ゆくひとに頭をさげる。
塾で授業の準備をしていると声が聞こえてくる。
「ああ、この人はいい声だな」
「この人のしゃべり方は上手だなあ」
っていつも思う。
そしてもうひとつ思うことがある。
「この人たちは普段、何をやっているんだろう?
いったい、どこからやって来るんだろう?」
この声の主は「うぐいす嬢」と呼ばれる。
選挙のハナだ。
彼女たちは選挙になるとあらわれマイクを持ち
美しい声を聞かせてくれる。
そして選挙が終わればまた姿を消してしまう。
P・B・シェリーの『ひばりに寄せて』という詩の中に
ひばり達は空高く舞って歌うから
姿は見えず、その鋭い歌声だけが聞こえる
というような1節があったのを思い出した。
ある種、神聖なものとして語られていた。
ちなみに彼の妻メアリー・シェリーは小説家で
「フランケンシュタイン」の著者として有名だ。
ともにロマン派で、詩人バイロンと同じ時代を生きた。
ひばりの話じゃなくてうぐいすの話だった。
このうぐいす嬢たちは全国でいっせいになき始める。
投票日の前日の夕暮れまで休みなく日本中がうぐいすの声でいっぱいになる。
そうすると私はすぐに心配になる。
「うぐいす嬢の数は足りているんだろうか?」って。
地方の市議選だったりすると
近隣の県から名人とか歌姫と呼ばれるひとが連れてこられる。
どこででもそうかは定かではないがそんなこともあるのは確かだ。
選挙はその地方だけのものだから
うぐいすが不足する心配はない。
けれど衆院選は全国いっせいだ。
なかにはうぐいすではない人も混ざっているだろう。
派遣会社から送られてくるのもいるだろう。
要は、実力とか魅力の世界だ。
別に資格が必要なわけではない。
「声がはっきりしていてわかりやすい」とか
「うまいなあ〜」って思わせればいいのだ。
どんな世界でも名人はいるし歌姫もいる。
その割合はきっと決まっているだろう。
今回のように急に解散になると
面接して「この人いけるな」って思ったら
「じゃあ、やってみてください」って感じだろう。
各政党は候補者をボンボン立てるのはいいが
うぐいすはどこから連れてくるのか?
そんなことは党執行部にとってはささいな問題だろうか?
同じように業績のいい大手塾は毎年毎年
新教室をボンボン立てるのはいいのだが
講師はいったいどこから連れてくるのだろうか?
パンフレットや広告には優秀そうな人が写ってるが
新しくできた教室にも既存の教室にも
優秀な講師が配属されているんだろうか?
そんなことは経営幹部にとってはささいな問題だろうか?
強気の経営でお金があれば教室などいくらでもつくれる。
けれどいくら経営者が強気でも講師はそう簡単に集まらない。
塾は生徒を集める前によい講師を集めないといけない。
最近そう思っている。
誰も優秀な人の集め方なんて教えてくれない。
集めた人を育てるというと聞こえはいいが
実際は難しい。
いつでも優秀な人は求められている。
どんなに高い給料を払うといっても
優秀な人はいつも不足している。
残念ながら仕事が不足しているのではなく
能力が不足しているだけだ。
だから努力をしてください。
必ず自分にあった仕事が見つかるはずです。
私は心の底からそう信じていますし
みながそうなればいいと思っています。
じゃあ、自分は優秀か?
または優秀な人になりたいか?
そんなことはない。
私は優秀な人を雇えるような人間になりたい。
優秀な人が働いてみたいと思えるような職場をつくりたい。
選挙が終わる。
応援した候補者が
「当選だ!やった!よかった!」ってみんな感謝感激する。
支持者達が深夜、「万歳!万歳!」となり
汗まみれの候補者がだるまに黒目を入れている。
支持者の前で深々と頭をさげる。
そんなときうぐいす達も一緒に感激したりする。
ましてはじめての選挙。
10日あまり一所懸命戦った。
ただただ、感激だ。
そして、うぐいすたちは本物のうぐいすになっていく。
そんななか、ひとりのうぐいすはクールにお茶を飲んだりして
「ひと仕事、終わった」と思う。
「さあ、次の内閣は短命か、それとも・・・」
自分なりの予測を立てたりする。
そのうぐいすにとっては誰が当選するかとか
どの政党が勝つかとか
そんなにも大きな問題ではないかもしれない。
あまりそういったことには拘泥しない。
彼女は自分の依頼者が
自分の声で当選することを重視する。
そしてジンクスや伝説が生まれる。
解散がある。
選挙本部長が叫ぶ、
「あのうぐいすを呼べ!」
当塾ではひきつづき、講師を募集いたしております。
ご連絡ください。