2006年01月

2006年01月17日

>早く明日にならないかなぁ


今日はある方のブログを読んで新鮮な気分になりました。



>早く明日にならないかなぁ



っていい言葉ですよね。

この前までうちの息子は

「もう〜い〜くつ寝ると〜お正月〜」

って歌っていました。

それで「あといくつ寝るん?」

教えてあげると

「いっかい寝て、朝になって、また寝て、朝になって・・・」

ってずっと続きます。



私だって子どもの頃は指折り数えました。

早く明日がこないものかって。

自分の塾を作るのに

早く明日にならないかっていうのは素敵じゃないですか!



月曜の憂鬱ではありませんが「ああ、また仕事か〜」

って昔思ったことがありました。

塾の仕事じゃないですよ。

そして明日会社へ行けば休みだ!って思ったりもしました。



おそらく会社員だった彼は

今からだの細胞の7分の1くらい

独立して生きていく人にかわっているんじゃないでしょうか。

そうしてずっとずっと過ごしていくと

からだのすべての細胞が入れ替わる。



趣味としての仕事が始まるんですね。

茶化してるわけでも

ナメきってるわけでもなく

自分の好きなことを仕事にする

誰に言われるでもなくやりたいからやる

そんな仕事を始められたんですね。



私も負けないようにがんばろうと思います。

早く明日にならないかなって新鮮な感覚ですね。

こちらまでうれしくなります。



では。







1月20日の金曜日には

関西私塾連・塾全協様主催の

教材展示会へ行って

多くの方の意見を聞かせていただき

今後の教材作成の参考にしたいと思っています。



場所は

大阪ビジネスパーク 

ツイン21MIDタワー 20階

(10:00〜14:00)



よろしくお願いいたします。


ringo_juku at 20:31|この記事のURL

2006年01月05日

神の子



数は少ないんですが

今小1が帰りました。


1時間ずっとがちゃがちゃしながら

たくさんのプリントをやっていきます。


数の感覚が未発達な子達に教えていると

涙が出そうになりました。


彼のわからないことがわかり

とてもうれしかった。


私はその迷路をこのつぎ、用意してあげる。

彼はそれでくちゃくちゃとやる。


するとまた迷路の領域が広がる。

「ありがとう」と言いたかった。


けれど文脈としておかしかったので

無言で彼を見つめた。


彼はうれしそうな顔。

私は泣きそうな顔。



不謹慎かもしれないが

算数の苦手な子は神の子に見える。


信じられないほどのものを私に与えてくれる。

彼らと過ごす1時間は黄金の1時間だ。



私が今日得たものはなんだと思いますか?

「数字は逆からも数えられたほうがいいよね〜」



「数字はひとつ飛ばしでかぞえたれたほうがいいよね〜」

です。


「10からひとつずつ減らして言って」って言うと

「10、9、7、6、8、9」

またまた〜、神様。

「じゃあ、ひとつ飛ばしで言って」

「1、3、5、6、7、8、19!」

マジですか、神様。


彼が言えないということは

全国で何万人言えないんだろう?

じゃあ、世界では。



「あらやだ、うちのヒロくんは

 お風呂で覚えましたよ。

 日本地図もトイレに貼ってま〜す、ふぁいと〜!」

っていうのは単なる自慢だ。アドバイスじゃない。


生徒と、それじゃお風呂に入ろうか、ってわけにはいかない。

「お風呂で楽しく覚える」みたいな教材を作りたい。

もちろん机上の学習教材として。



毎日勉強して賢くなって

だんだんと忘れていくことを

彼らは教えてくれる。

どんな簡単なことでも

それが難しかったりわからなかったりした時があったはずだ。

勉強を続けると

わからなかった状態を忘れてしまう。

そんな失くした記憶を

笑顔で彼らは教えてくれる。

彼らは私に教えている意識なんかもちろんない。



塾講師に必要な能力のひとつは

生徒がなにがわからないかを感じ取る能力だ。


おっと、ありふれた結論になってしまった。


これはビジネス一般で言うと

顧客が何に不満に感じているかを知ることではないでしょうか。



あらあら、もっとありふれた結論になってしまった。



ということで時間もないのでこの辺で。



では。
ringo_juku at 17:55|この記事のURL

RE: 失敗がほしくてやっている

ヒサオさんの今日のブログを読んで

ぶったまげた。

勝手に引用させてください。

   

>失敗をおそれないどころではない

>失敗がほしくて

>うごいている。



これが全文です。



もう、感動しまくりです。




私がやろうとしていることを今日は書こうと思ってました。


自分の目標を書いておかないといけないって思っていました。


私がやることは


「迷路とパズルでK式をつくる」ことです。


本当にこれだけです。


書いておかないと、宣言しておかないと


ブレるといけませんから。


そんなこと誰もやったことありません。


誰もやったことないことをしようっていうんですから


失敗してあたり前。


うまくいくわけがない。


10やって1うまくいけば


もう、万々歳です。


はやく9つの失敗をするぞ!


失敗が欲しくて欲しくてたまりません。



その次は20やって18失敗します。


そして30やって27失敗します。


だれもやったことがないのなら


失敗して当然です。


やりたいと思うこと自体で


すでに失敗を欲していると言えます。




「失敗がほしくてやっている」!!!!!



名言です。



ありがとうございます。



みなさん、今年もよろしくお願いいたします。

ringo_juku at 00:42|この記事のURL

2006年01月04日

文学のペイパー・・・「引用としての塾」



大学に一応いたんですが

時々ペイパーを書く課題がでた。

ペイパーとはレポートみたいなものだ。

そんなにたいした枚数ではない。

なにかひとつ文学作品を討論しあった後なんかに出た。


中学高校のテストじゃないから

自分が書きたいことを書けばいい。

私は大好きだった。

多くの生徒は「ハードだ」とか「ヘビーだ」とか言ってた。



あの時、多くの生徒は作品に書かれてあることを必死で読み取ろうとしていた。

わかるだろうか?

読書感想文にしても多くの人はそこに書かれていることを読み取ろうとする。

もちろん国語のテストだと「作者の気持ちは・・・」とか

「幸助はそのとき・・・」みたいになってしまう。

それで正解とか不正解とかってなる。



(今、非常に自分のなかでは核心的なことを書いてるつもりなんですが

 かまわず書いてみたい。)


自慢ではないが私はほとんどのペイパーはAだった。

それには理由があって

私は文学作品を読んだかもしれないけれど

作者の言いたいことなど考えたこともなかったし

主人公の気持ちなんて考えたこともなかった。

言い過ぎかもしれないが

それらのことはあまり重要ではなかった。


私にとって文学作品について書くとは

自分が言いたいことを書くということだった。

自分か言いたいことを書くためにたまたまその作品を引用しているだけなのです。

生活のなかで発見とか言いたいことがまずあって

それを伝えるために作品の背景や主人公の行動を引用するわけです。



作者の気持ちはどうかとか

ましてや主人公の気持ちなんて

わかるといえばわかるし

わからないといえばわからない。

それは非常にあやふやな部分だ。


そんなことを考えていると文学作品のなかをグルグルまわっているだけだ。

そんな虚構の中をめぐっても疲れるだけだ。

自分は虚構の外に出てその虚構を語らなければならない。

しかも語ることは虚構の中の出来事をではなく

現実の出来事をだ。



私は国語の勉強について言っているのではない。

私は仕事について話しているのだ。


私は塾をやりたいから塾をしているのではなく

自分のやりたいことをするために塾をしている。

誤解されるかもしれないから言うと

お金儲けの手段として塾を選んでいるのではなく

子どもに勉強を教えるために塾を選んでいる。



私は常に「塾」という「物語」の外に出たいと考えている。

チラシを見て塾を知り入会し勉強をする

成績が徐々にあがり受験を迎える。

志望校にめでたく合格する。

他にもいくつもの「物語」がある。

数え切れない「物語」のバリエーションが存在する。

しかしどんなにバリエーションが増えても

それらは「塾」という枠からはみ出ることはない。


私がやりたいことはその「塾」という「物語」のなかで

他よりも上手くやるということではない。

他よりも強くなるということではない。


単純に子どもに勉強を教えるということのために

「塾」というものをたまたま「引用」しているにすぎない。



もちろんそのような発想ですでに様々な形を試されておられる方も多いと思う。

私などは「塾」としてもかなり後発だし

「引用としての塾」としてもかなり後発だ。

けれどかまわない。

「引用」する部分は同じでも

伝えたいことは同じではないからだ。
ringo_juku at 22:05|この記事のURL