2006年02月

2006年02月23日

もうお別れの子達とずっと話してた・・・

     
この時期、中3が最後のテストで

もう高校からは来ないって子がもちろんいるので

いろいろ話をしたりしていて

ブログをなかなかアップできませんでした。


中1から見てたりした子がもう最後ってなると

すごく寂しくて

やっぱり少しでも話しておきたい。


この時期、忙しいうえに

別れがあったり出会いがあったりで

あわただしいですね。



しっかり仕事しようと思います。

では、また書きますのでよろしくお願いいたします。

ringo_juku at 21:59|この記事のURL

解答用紙は「手紙」

今、小6が最後の模試を受けている。


今更だが「もっと丁寧に書け」と注意した。


こんなこといっても「はあ?」と言われたが


解答用紙は採点する人に出す「手紙」だ。


「私を合格させてください」という手紙だ。


合否を決めるということは究極的には


あなたをコミュニティーに入れるかどうかを


決めるということだ。


すいません、あたり前すぎて。


私はいつもアルバイトをさがす若者に対して思う。


時給がいくらだとか、休憩時間がどうとか、


仕事が楽かどうかとか、


そういった末梢的なことなんかどうにでもなることだ。


仕事ぶりを見せてから交渉すればなんとでもなる。


仕事をするということは同じ時間を共有することだ。


同じ目的のために力を尽くすことだ。


コミュニティーの一員として受け入れるかどうかを試験官は見ている。


それがたとえペイパーテストでも面接でも


中学入試でもアルバイトの面接でも


就職試験の最終面接でも


伝えることはただひとつ、


「私はあなたといっしょにいたい」


これだけだ。


言葉を人に送るということは


ほとんどの場合、ラブレターを書くことと大差ない。


面接官をまえに緊張するのは


告白をするときにドキドキするのと同じだ。


たったひとつ、


自分を受け入れてくれるのかどうかという答えしかないからだ。

ringo_juku at 15:22|この記事のURL

2006年02月22日

なんでもかんでもDVD? 「DVDと電子レンジ」

私はどのような仕事も効率化すべきだと考えています。

それが時代の流れだからです。


高度な技術をもった職人というのはそれで完結している。

誰もがそうなれればいいと思うのですが

それはやっぱり難しい。

誰にでも出来るわけではないから職人技だ。

おそらくどんな時代にも職人の割合は同じじゃないだろうか。



時は流れている。

時代は移り変わる。



私がいつも忘れられないのは「電子レンジ」だ。

あの衝撃は忘れられない。

小学校の低学年のときにうちに来た。

おそらく30万くらいしたろう。

20年近くもった。

別にそれでも使えたが

巨大だったし機能が少なかったので

実家では新しい機種と入れ替わった。



私の成長期は電子レンジとともにあた。

なんでも「チン」すればよかった。

肉まんとかってすごく手軽だった。



お腹が減ったら母に作ってもらうしかないという状態から

自分でチンして食べれる状態へ。

「孤食」とかいう言葉があるが

子供は常にお腹をすかしている。



母親がいつもそばにいて料理を作ってくれる。

おやつを作ってくれる、って素晴らしい。

けれど共働きの家ではそういうわけにはいかない。

冷蔵庫にある朝母が作っておいてくれた料理を

学校から帰ってきてチンして食べる。

ついでにご飯もチンして卵をかけて食べる。

それだっておやつだった。



5時とか6時に母は帰ってきて

バタバタと夕飯の支度をして、

7時には父をのぞいたメンバーで夕飯を食べた。



父が帰ってきてまた夜食を食べたり・・・って何回食べるんだい。




すべての食事が電子レンジでチンならどうかと思うが

足りないところを補う役目は十分に果たす。





すべての授業を職人の先生から学べればそれはすごくいい。

その方法はなくならないのは確かだ。

家庭料理がなくならないのと同じだし

板前やシェフのいるレストランがなくならないのと同じだ。

素晴らしい先生の授業は高いお金を払ってもみな受けたい。

そう、行列をつくったり

順番を待ったりしてだ。




先日、月曜日だったと思うのですが

11時過ぎに回転寿司へいきました。 

平日なのに満員でした。

他の店はガラガラだったのにです。

ランチなのにそんなに食べるなよっていうくらい

隣のテーブルでは皿が積まれてました。



私は回転寿司へは安いから行きます。

普通の寿司屋に比べて安いからではありません。

ファミレスやレストランのランチやコンビニ弁当やマックに比べて

安くて満足できるからいくのです。



回転しているお皿が出てくる奥で

板前が寿司を握っているわけはありません。

何周かしても売れなかった皿は

機械が勝手にレーンからはずします。

ストップウォッチをもった人がチェックしてるわけではありません。



私は回転寿司へ行って悲しい気持ちにはなりません。

カウンターで寿司を握って欲しいひとはそういうところへいけばいいと思う。

私はそういう贅沢は嫌いなのでまず行かない。

グルメでもない。

一回の食事に大きな金額を払うというのは

私のライフスタイルじゃない。



そして子供の勉強というものに大金をつぎ込むというのも私の好みではない。

どうして足し算や割算、微分積分サインコサイン程度のことに大騒ぎしないといけないんだろう?

塾屋を長くやっていると

そんなささいなことで大騒ぎするようになる。

試験というのは人生のなかで方向を決める大事なものだ。

そして私はそれに向かってがんばる子が大好きだし

力の限り応援する。

そしてそれが私の仕事なのだが

やっている内容というのは他愛もないことだ。

「ももが日本で一番とれるのは何県?」

すごく他愛もないことだ。



教育というか、知識を身につける、吸収するというのは

食事と同じくらい大切なことだ。

ましてそれが成長期ともなるとなおさらだ。



だけど常に母がそばにいてお腹がすいたら料理を作ってくれるってわけじゃない。

つねに優秀な先生がそばにいて何でも教えてくれるって理想だけど

すごく大きなコストがかかると思う。

そしてやっていることは本当にそのコストに見合ったことかって思う。

塾をやっていて毎日教えていれば

この世で最も大切なことは勉強だと思ってしまうが

別のポジションや環境にいる人にとっては別の意見があるだろう。




母がいないときには電子レンジでチンしたように

優秀な先生がいないときには

DVDプレイヤーで勉強するっていうのは

そんなに非人間的なことではないと思う。



なんでもかんでもDVDがいいっていうつもりはありません。

けれどこの機械はおそらく

30年前の電子レンジじゃないでしょうか?

そう思うんです。


ringo_juku at 11:33|この記事のURL