塾長のひとりごと

2005年09月16日

引っ越しました



こんにちは。


いつもありがとうございます。


理由がありまして

新しい投稿はSeesaaブログのほうへ

書かせていただいております。



リンクはこちらになっております。

パズルと迷路で最強の塾をつくる!



なおライブドア様が許す限り

今までのページは残しておくつもりです。



それではこれからもよろしくお願いいたします。

ringo_juku at 19:35|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

2005年09月07日

ちょっと引っ越しました(未定)

今日の昼にシーサーブログで同名のブログを作ってみた。

何の問題もないのでもしかしたら引っ越します。

新鮮な気分です。


アドレスはこちら。

http://ringojuku.seesaa.net/

『パズルと迷路で最強の塾をつくる!』


よろしくお願いしま〜す。

ringo_juku at 13:19|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2005年09月06日

引っ越そうかな

台風がやってきましたね。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


こんな中でもやってくる子はやってきます。

追い返すわけにもいかず

先程まで生徒がいました。



休みにするにはちょっと台風が遠すぎるかなって思いまして。

とりあえずあけました。



それはさておき、ライブドアブログのリニューアルで

いつもと勝手が違い

気分が悪いので今日はこのような世間話。



どうして遅くなるんでしょう。

リニューアルって普通よくなるでしょう?



それで「はてなダイアリー」にブログをつくって

いろいろやってみました。

すごい会社ですね、はてなって。

ユニークです。



それで今後どうするかは分かりませんが

どこへいこうとも、よろしくお願いいたします。

引越しするならヤドカリ式で、

ライブドアのこのブログはこのまま置いておき、

別のブログではじめからタイトル変えて

書き始めるかもしれません。



すべては台風が通過したあと考えます。



皆様の安全をお祈りいたします。


それではまた。



ringo_juku at 21:59|この記事のURLComments(7)TrackBack(0)

2005年09月05日

琵琶湖の向こうはアメリカ

私の住む地域の話をします。
滋賀ですから琵琶湖があります。
琵琶湖しかないとも言われています。
はなわが滋賀出身でなくてよかったと思ってる人も多いでしょう。
 
その昔、小学校の低学年の頃
私は毎朝、湖岸沿いの道を歩いて登校していました。
毎朝、琵琶湖を眺めて登校していました。
いつもどんよりとして、かすんでいるので
向こう岸が見えない日が多いのです。

それで頭のなかでは琵琶湖はどこまでも広がっていて
そのまま泳いでいけばアメリカがあるってずっと妄想していました。
私の頭の中では外へ外へと向かっているはずなのに
実際は内へ内へと向かう旅なのです。
岸から泳ぎだすという同じ行為が
片方では異国へとつながり
もう片方では自分自身へと向かっている。

昔、読書感想文がすごく嫌いで
まともに本を読んだことも
感想文を書いたこともありませんでした。
そんな自分が15歳頃から急に文学に目覚め
小説や詩を読んで、
詩や文を書いた。

昔、音楽がちんぷんかんぷんで
音楽の時間は苦痛以外の何ものでもなかった。
それが中学へ入った後、
いろいろレコードを聴き
ギターを弾くようになり高校へ入学するとピアノを習い始め
ウイーンにオペラを聴きにいき
サンバを聴くためにブラジルまで行った。

中1のとき英語がわからなくてさんざんな点数だった。
ひどくて人に言えずに1年間ほおっておいた。
中2になったときから一からやり直した。
なぜか英語が好きになった。
留学までして親に迷惑をかけた。
今人に英語なんか教えている。

大学で詩を書いていた頃は
お金儲けなんて絶対に無理だって思っていた。
傷つきやすいこころをもって社会の風に当たれば
リルケのように死んでしまうと思っていた。
相当に恥ずかしい思い出だ。
マジで恥ずかしい。
今は自分で税金の計算をしている。

学ぶということは外へ向けて自分を漕ぎ出しているようにも見える。
けれどどうしてそれを学ぶのかといえば
それは自分自身を見つめるためのような気もする。
自分自身の負い目を克服するために
今まで勉強してきた部分もある。

迷路は琵琶湖に似ています。
それはいつも内面を映す鏡なのです。
迷路に夢中になっている時間は 自分を探している時間なのです。
最近流行の自分探しの旅と同じかどうかは知りません。
自分のできないところとできるところを 自分自身がはっきりと認識でき
それと同時に克服までもしてしまうのが迷路です。
そんな迷路を作りたいと思っています。

迷路には始まりがあり終わりがあります。
入り口があって出口があります。
長いトンネルを鳥瞰しているようです。


子供たちは小さくても自分を探しています。
勉強が自分を見つめることに思えなくなった日に
迷路を差し出すと ちゃんと気付いてくれます。
勉強は自分を探すためのもの。
世界を広げると同時に
自分の内側を探るものでもある。
 
こんなこと、塾の先生が言うことではない。
けれど、もういい。 書きたいことを書きます。

なんかちょっとおかしいでしょ?
まだ私は迷路の入り口にいるんです。



ringo_juku at 21:53|この記事のURLComments(16)TrackBack(0)

2005年09月03日

Yahoo!掲示板の思い出


私は塾をはじめるときによく

「Yahoo!掲示板」の学習塾カテゴリーを読んでいました。


その中で毎夜、いろいろな塾のやり方をおそわりました。

一度も書き込んだことはありませんでした。

ROM専門でした。


もう記憶もあやふやで正しくないのかもしれませんが

中国地方の塾の先生ですごい方がおられて

「新しい塾のかたちをもとめて」というトピックがありました。

それを読み、いまの塾のスタイルを作ったと言えます。

授業形式ではなく、個別指導。

その個別指導でもぴったりとくっつかないで

自立学習をうながすために講師がいる。

いばらない。教え込まない。

そのようなイメージで6年ぐらい前に塾をはじめました。




すべての人が私にとって先生でした。

おっしゃること、おっしゃることすべてありがたくって

応用させていただきました。

あの方々がもしもいまブログをやられていたら

ぜひ毎日読みにいきたいです。



東京の塾の先生で、すごく文学的な香りの高い文体で

延々と語られるかたがおられました。

この方はエドガー・アラン・ポーか?って思えるような

ゴシック的なごつごつとした文体で

毎夜、驚かされました。



関東の先生で英語の単科塾をやっておられる先生がおられました。

総合塾しか生き残れない激戦区で

私は生き残っているから

君も信じたようにやれ、

人の意見など気にするな、

と励まされておりました。



mio先生といわれるすごい先生がおられました。

もしかしたらあの方かといつも想像して

ブログを拝見させていただいております。



学習塾掲示板は今でもたまに、のぞきます。

お気に入りは「個別指導を極めよう!」と「個人塾★開塾宣言!★」です。(というか、それ以外は読まない)

私の右側の柱の「参考」のところにリンクが貼ってあります。

よろしければ一度お読みになってください。

ADSLや光やケーブルがない時代から人々は

語るために情熱をそそいでいました。



私も70%くらいの力で更新していこうと思います。

最近ちょっと張り切りすぎてしんどくなりました。

よろしければコメントください。

やっぱりブログはコメントのやりとりが一番おもしろいです。


よい日曜日をお過ごしください。

それでは。





ringo_juku at 21:21|この記事のURLComments(22)TrackBack(0)

2005年09月02日

3方よし 私は近江商人?

どのようなテーマについて書こうとも

それは古くて誰かがすでに書いてしまっている。

我々が写真や映像で見る美しい風景も

毎日誰かが訪れています。

真新しい場所というものはありません。

新しいのは着眼点だけです。

そのテーマの扱い方、風景の見方だけに新しさがある。

そしてそれで十分だ、とエウドラ・ウェルティは言っている。


それは誰だ?

私も知らない。

アメリカ人だ。



けれどいいこと言っている。

今日はどうも調子が悪い。

ですから塾については今のところ書くつもりはありません。



私の本当に興味のあることはなんだ。

こんな抽象的なことなのだろうか?



自分がやりたいことについて書く、

将来の計画を書く、

問題点を書く、

それはどれも実際のことではない。



わかりやすく言います。

小説を例にしましょう。

こんな小説を書きたいんだって人に話す、

アウトラインを作る、

題名を考える、

リサーチをする、

こんなものはすべて小説を書くことにはならない。

書くということは実際に書くことでしかない。



わかりやす。

これも人の言葉だ。

E・L・ドクトロウの言葉だ。

誰だろう?

知らない人だ。

多分アメリカ人だと思います。

いいこと言う人多いですね。





スタッフが思うように集まらなくて

毎日困ったような記事を投稿していました。

夏講が終わって余裕が出たので

1月ぶりに友人のパソコンショップと

パソコンスクールに行きました。



そしたらそこに私が求めているような人が

暇にしていました。

その友人もハッピー。

私もハッピー。

その方もハッピー。

「3方よし」だ。(本来の意味とはズレますが・・・)



詳しくはいえませんが

その方の能力を今の状態では使うことができない。

だからその方は自分のやりたい仕事をすることができなかった。

けれど友人はその方の能力を評価しているので

手放したくはない。

私はその方の能力を評価して

少しお手伝い願いたい。

結果としてみんなハッピーでした。



来週から、やるぞ!ってかんじです。

結果がどうあれとにかくやってみます。

もう計画とかあきました。




具体的にいきたい。

この世の中でもっとも難しいのは

「実際にやってみる」ということだ。

そしてすごい価値がある。

計画だけ、掛け声だけなんて

栄養のない料理をつくってるみたいだ。

スカスカです。



実際にやる。

いや、今までもやってはいるが

もっともっと本気になるということだ。

本気とはお金と時間を使うといういうことだ。

時間は使ったがお金をもっと使う。

人件費がどうした。

家賃がどうした。

やってみないと方向性がはっきりしない。

ゴールは決まっていても

その途中の道筋がはっきりしない。



人の予定はどうだっていい。

世の中の予定はどうだっていい。

今が何月であろうが

新学期が何月であろうが

いったいどんな違いがあるというのか。



遅いスタートは

その次のチャンスへの

早いスタートになる。



誰の言葉だ?

私がいま考えた。

前向きじゃないか!









ringo_juku at 19:52|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

2005年09月01日

うぐいす嬢は不足しないのか?

街宣カーが走り始めた。

候補者の名前を連呼しながら。

屋根には大きく書かれた候補者の名前。

オレンジやグリーンの鮮やかな色のTシャツ。

白い手袋をした手が開け放された窓から振られる。

潰れたコンビニあとや空き地はいつのまにか選挙事務所になっている。

ノボリをもった支援者達が道ゆくひとに頭をさげる。



塾で授業の準備をしていると声が聞こえてくる。

「ああ、この人はいい声だな」

「この人のしゃべり方は上手だなあ」

っていつも思う。

そしてもうひとつ思うことがある。

「この人たちは普段、何をやっているんだろう?

 いったい、どこからやって来るんだろう?」




この声の主は「うぐいす嬢」と呼ばれる。

選挙のハナだ。

彼女たちは選挙になるとあらわれマイクを持ち

美しい声を聞かせてくれる。

そして選挙が終わればまた姿を消してしまう。



P・B・シェリーの『ひばりに寄せて』という詩の中に

ひばり達は空高く舞って歌うから

姿は見えず、その鋭い歌声だけが聞こえる

というような1節があったのを思い出した。

ある種、神聖なものとして語られていた。



ちなみに彼の妻メアリー・シェリーは小説家で

「フランケンシュタイン」の著者として有名だ。

ともにロマン派で、詩人バイロンと同じ時代を生きた。




ひばりの話じゃなくてうぐいすの話だった。

このうぐいす嬢たちは全国でいっせいになき始める。

投票日の前日の夕暮れまで休みなく日本中がうぐいすの声でいっぱいになる。

そうすると私はすぐに心配になる。

「うぐいす嬢の数は足りているんだろうか?」って。



地方の市議選だったりすると

近隣の県から名人とか歌姫と呼ばれるひとが連れてこられる。

どこででもそうかは定かではないがそんなこともあるのは確かだ。

選挙はその地方だけのものだから

うぐいすが不足する心配はない。



けれど衆院選は全国いっせいだ。

なかにはうぐいすではない人も混ざっているだろう。

派遣会社から送られてくるのもいるだろう。

要は、実力とか魅力の世界だ。

別に資格が必要なわけではない。

「声がはっきりしていてわかりやすい」とか

「うまいなあ〜」って思わせればいいのだ。



どんな世界でも名人はいるし歌姫もいる。

その割合はきっと決まっているだろう。

今回のように急に解散になると

面接して「この人いけるな」って思ったら

「じゃあ、やってみてください」って感じだろう。




各政党は候補者をボンボン立てるのはいいが

うぐいすはどこから連れてくるのか?

そんなことは党執行部にとってはささいな問題だろうか?



同じように業績のいい大手塾は毎年毎年

新教室をボンボン立てるのはいいのだが

講師はいったいどこから連れてくるのだろうか?

パンフレットや広告には優秀そうな人が写ってるが

新しくできた教室にも既存の教室にも

優秀な講師が配属されているんだろうか?

そんなことは経営幹部にとってはささいな問題だろうか?

強気の経営でお金があれば教室などいくらでもつくれる。

けれどいくら経営者が強気でも講師はそう簡単に集まらない。




塾は生徒を集める前によい講師を集めないといけない。

最近そう思っている。

誰も優秀な人の集め方なんて教えてくれない。

集めた人を育てるというと聞こえはいいが

実際は難しい。



いつでも優秀な人は求められている。

どんなに高い給料を払うといっても

優秀な人はいつも不足している。

残念ながら仕事が不足しているのではなく

能力が不足しているだけだ。

だから努力をしてください。

必ず自分にあった仕事が見つかるはずです。

私は心の底からそう信じていますし

みながそうなればいいと思っています。




じゃあ、自分は優秀か?

または優秀な人になりたいか?

そんなことはない。

私は優秀な人を雇えるような人間になりたい。

優秀な人が働いてみたいと思えるような職場をつくりたい。





選挙が終わる。

応援した候補者が

「当選だ!やった!よかった!」ってみんな感謝感激する。

支持者達が深夜、「万歳!万歳!」となり

汗まみれの候補者がだるまに黒目を入れている。

支持者の前で深々と頭をさげる。



そんなときうぐいす達も一緒に感激したりする。

ましてはじめての選挙。

10日あまり一所懸命戦った。

ただただ、感激だ。

そして、うぐいすたちは本物のうぐいすになっていく。



そんななか、ひとりのうぐいすはクールにお茶を飲んだりして

「ひと仕事、終わった」と思う。

「さあ、次の内閣は短命か、それとも・・・」

自分なりの予測を立てたりする。

そのうぐいすにとっては誰が当選するかとか

どの政党が勝つかとか

そんなにも大きな問題ではないかもしれない。

あまりそういったことには拘泥しない。



彼女は自分の依頼者が

自分の声で当選することを重視する。

そしてジンクスや伝説が生まれる。

解散がある。

選挙本部長が叫ぶ、

「あのうぐいすを呼べ!」








当塾ではひきつづき、講師を募集いたしております。

ご連絡ください。




ringo_juku at 19:50|この記事のURLComments(14)TrackBack(0)

2005年08月31日

続・お金をダウンロードする?現実編

この前きいて驚いたんですが

取引のある会社が

非常に人気のあるホームページをけっこうな値で

買い取ったそうです。



コンテンツとアクセス数が商品になるってことは

十分考えられるんですが

本当にお金をポンっと出して買っちゃうっていうのに

驚きました。



だってその後はどうやって運営していくのでしょう?

コンテンツは毎日消費され陳腐化していく。

新しいコンテンツは誰がつくるんでしょう?




「お前に心配してもらわなくてだいじょうぶ」

ごもっともです。

誰かいい人雇うんでしょうね。




いい話を聞いた、新しいアイデアをもらった、

具体的な商売の方法だったりしたら

これはお金をダウンロードしていることになる

と言うことを先週書きました。(お金をダウンロードする?)



本日発売のいきのいいネタご紹介いたしましょう。

今日のもいいですよ。

学習塾経営戦略クラブです。

まぐまぐで登録いたします。

ですからリスクはありません。

発行者に登録された方の名前・住所・メルアド等、一切わかりません。

いつでも解除できます。

安心システムです。

お金や知識が自動的に配信されるようなものです。




発行者はスーパーサンボーさんです。

戦略思考的学習塾 というブログを書かれています。

私のリンクも貼っていただいてます。



それで本題なんですが、

「続・お金をダウンロードする?現実編」ということで

実際に自分のお客様がさしだしてくださる「見えない手形」についてです。

自分はどうもそういったことに気づかない。

「あんたそんなこと言うけど、どうやって換金するの?」

ってことになりますよね。



現実的に見ていきましょう。

自分では出来ないことは、やっぱり出来ないのです。

時間の制約もある、体はひとつしかない。

私はそのうえ目も悪い。

じゃあ、どうする?



答えはいつも新聞折込広告にある。

朝起きる、インクの匂いの新しい新聞を広げる。

その間に折り込んであるもの。

それが折り込み広告だ。



その広告が何を叫んでいるだろうか?

「スタッフ募集」

「パート・アルバイト募集」

「正社員募集」

これは何を意味しているのか?



「自分で出来ないので誰かやってくれませんか?

 ちゃんと対価もお支払いします。

 払っても利益が出るんです」

ということをあの広告はおっしゃっています。



毎朝、ポストにお金が入っていたんだ!

ってかんじでしょうかね。



違いますかね?




「お、また大手が講師募集してる。

 定着が悪いのかね?」

ではないんです。



大手の方は教えてくださっているのです。

「自分の出来ない仕事は人にやってもらう」

なんて親切なんでしょう。

大手の方は隠したりしないから好きだ。

何でも教えてくださる。



小さい塾は中でなにをやっているかわからない。

チラシも出さないし、ホームページもつくらない。

ちょっと不親切。




大切なことは、出来ない事は自分より優秀な人にやっていただく。

私は今よりも若い頃にわからなかったことで

今わかることって

「自分の不得意なところ」です。



これを克服している時間とエネルギーがもったいない。

なぜなら若い頃よりも「得意なところ」がありますから。

それをフルに活用して生活していかないといけませんから。



ですから、なるべく優秀な人を採用することが大切です。

できれば新卒がいいのですが

とりあえずアルバイトから。

すごく優秀な大学生はよくいますよ。

その人がある日言ってくれますよ。

「先生、この手形、金額はいってませんね」

「勝手に入れときましょうか?」

あなたが見逃していたことをその人は見つけた。

あなたの投資が当たった瞬間です。

はじめはびっくりして、けどしばらく考えて

「OK」を出せばいいんですよ。
ringo_juku at 21:24|この記事のURLComments(13)TrackBack(0)

2005年08月30日

お誕生おめでとう!

今日の昼過ぎ、

友達夫婦に第2子が誕生しました。

さっそくメールが届いて

写真まで貼付されてて

すごい時代ですね。

すくすく育ってください。





面接も一応終わりました。

ここでどうこう言うものではないので

詳しくは書きません。




明日は8月最終日。

長かった夏休みも終わりです。

そしてこの夏の感想は

「ブログを書き続けてよかった」

というものです。

いつの間にか100本を越えていました。

非公開も含めてです。

なんか量を書くっていいなって思いました。




明日からまたがんばって書きますので

よろしくお願いします。




それでは。






ringo_juku at 21:25|この記事のURLComments(12)TrackBack(0)

2005年08月29日

愛の対義語は無関心

明日は新しいスタッフになるかもしれない方の面接です。

とても楽しみです。

いろいろ私も準備しないと。

これでパズルと迷路のスタッフが入れば

9月からガンガンいきます。

楽しみです。




生徒募集にお金をかけるのはやむを得ません。

けれど講師やスタッフの募集にお金をかけるのは

なかなかつらいところがあります。

「いっしょに仕事しませんか?おもしろいですよ」

と言ってもたいがいは無関心です。

毎週求人広告が新聞に折り込まれますが

てきとうに時給だけみて、ポイてす。

別に私の塾にうらみがあるわけではありません。

ただ、関心がないだけ。

「愛の対義語は無関心」っていう言葉きいたことありませんか?

無関心っていうのはつらいですね。





とんかつ屋の話を何度か書きました。

今日は誰でも知っていることでしょうがあえて書きますね。

そんなことわかってるって言わないで、まあ読んでください。



とんかつ屋へ行って、さあ、何食べようってなりますよね。

とんかつ屋にもいろいろなメニューがあります。

この前行ったときは「ヒレかつ定食」を食べました。

いろんな定食があって選べるんですよね。

ひとくちかつ定食

とんかつ定食

カツ丼定食

エビフライ定食

カキフライ定食

ミックスフライ定食・・・



じゃあ、一体彼らは何を売っているんでしょうか?

経営コンサルタントの大久保一彦さんは著書「繁盛の天才 2時間の教え」のなかでこうおっしゃってます。

「極論すれば、お客様は肉を食べにではなく、
 ソースを飲みに来ている」

と考えることができるそうです。


常連さんを観察していてそう思ったそうです。

なにせソースをドボ、ドボ、とかけるそうなんですよ。



そのソースを生かすために「サクサクの衣」で「柔らかい肉」が必要なようです。

本当にどれだけの方が肉の味というものをわかるでしょうか?

私はそんなものわかりません。

私は「食通」ではありません。

ソースがうまくて、ご飯とキャベツがおかわり自由なら最高です。

エビフライ定食を頼んでも

やっぱりソースは同じものを使います。

今日はミックスフライ。

やっぱりソースをドボドボです。



庶民の舌を満足させるにはプロが考えることと

少しのズレがあるんです。

あそこは味はいいのに儲かってないってことがおこるのかもしれません。

あの先生はすごい優秀なのに授業はおもしろくないってことがおこるかもしれません。

すごくいい大学出てるのに仕事が出来ないってことがおこるかもしれません。



われわれは「勉強の通」を相手に授業しているんでしょうか?

ハイレベルなことがやりたい子供ばかりを相手にしているんでしょうか?


「私はこんなことも知っています、学歴はこうです、

おまけに留学経験もあって、こんなにすごいですよ」って

誰が相手にするでしょうか?


この肉は、契約牧場から来ていて、エサにはこだわっていて

太陽をいっぱい浴びて、新鮮な湧き水を飲んで・・・


確かにそういったことに価値を見出されるかたは存在します。

けれど私のお客様はたいがい庶民の方です。

顧客のレベルを上げて「通に評価されたい!」なんて思いません。




で、いったい塾では何がソースなんでしょう?




私はヒレかつを食べに行ったけれど

実際はソースを食べにいったことになる。

どんなものを頼んでも結局はソースはひとつ。




生徒は塾へ勉強をしに来たけれど

実際は「努力」をしに来たとも考えられる。

数学を勉強したけれど、実際は「努力」をした。

英語を勉強したけれど、実際は「努力」をした。




先生は学歴を見せびらかして知識を売るのではなく

一緒に努力できる時間を売っている。



な〜んだ、そんなことかって思われたでしょう?



ところでどうして子供たちは先生方の教室で「努力」するんでしょう?

家で努力したっていいわけですよね。



それは先生方が生徒の勉強に関心があるからです。

彼らの成績に関心があるからです。



関心の類義語はやっぱり愛?

ですかね。


関心の類義語はやっぱりお金、

なんてくれぐれも言わないで下さい。



それでは。
ringo_juku at 16:37|この記事のURLComments(13)TrackBack(2)