座右の書

2005年08月01日

世の中にないことを始める テンポスバスターズ(2)

上手くいかない理由を考えるのは
人間の得意とするもののひとつだ。

上手くいくかどうかもわからないけど
新しいことを始めようとする人と
失敗する可能性が高く
今の状況を考慮し躊躇する人と
どちらが利口に見えるだろうか?

「まあ、しばらく様子をみよう」
というのが大人の対応でしょうね。
けれどやったことないことをやるには
事前に予測してどうこうって難しいので
とりあえず正しいと思うほうをやってみて
その結果を見て次を考える方がいいですね。
結果が良いとか悪いとかも重要ですが
自分が次に更なるアクションをおこす
ということが大事なのです。
前進し続けることが大事なのです。
しかもすばやく。



(株)テンポスバスターズのホームページにこんな文章があります。

(引用)
中古屋を始めるにあたり、
幹部や経営者仲間に意見を聞いた。
『うまくいかないから』
『中古なんかを売ると修理が大変だ』
『中古冷蔵庫を売って故障して、中味が腐ったらどうするんだ』
『ものが集まるのか』等々ネガティブな話が多かった。
世の中にない事を始める人に向かって
色々な質問(まともで的確な質問)をされたって、
その時になってみないと答えられない事の方が多い。
(引用終わり)



それは違うんじゃないか?っていうのはわかります。
いや、それもすごくありがたいアドバイスで
自分も慎重になり、心するようになります。
けど、我々は「上手くいかないケースを考える天才(または秀才または平均以上)」なのだ。「まだ起こってもいないことを心配したりする」ことも出来る。「最悪のケースを想定する」ことだって真っ先にできてしまう。


「まともで的確な質問」というのは実はすごく困る。
ごもっともなのだ。120%正しい。
120対−20くらいで負けているかもしれない。
そしてまた新しいことをやらなくても人間というのは
なんとかなってしまうものなのだ。
現状の中で、精一杯の努力をすることで。


「パズル?

 はあ?

 迷路?

 はあ、お疲れさん。」

なのである。


「そんなもので成績が上がったら苦労しないよ!」

なのである。


「九九を暗記せずに工夫していちいち計算する?」

常軌を逸しているんですね。

「九九ぐらい、覚えろよ」

ってことになるんです。

もうまともな人の感覚じゃないのかもしれません。



けれど、けれど、けれど、


けれどなんですよ。


いままで誰もが疑わない「まともなやり方」で成果が出てなくて

逆に弊害がすごく目立ってしかたがないなら

「さらなる努力」をするんじゃなくて

その努力の方向が間違っていたんだと気付いて

違う努力をしないといけないんですよ。

時としてその「違う努力」はとんでもないことに

思えることがあるんですが、しかたがない。

常軌を逸しているように見えるかもしれない。

残念だがしかたない。

進むしかない。




テンポスは今まで誰もやらなかった

「汚れ仕事の生産性を上げる」

ということや

「自分たちで努力して勝手に値下げして

 体質を強くする」

ということや

「モノを集めるために
 
 関連する会社に

 毎朝300件電話をかける」

というようなことをしている会社だそうです。



毎朝300件の電話!!

これはすごいですね。

毎朝2時間もあればかけられるそうです。



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2005年07月29日

石のスープ(ストーン・スープ)

みなさん、『石のスープ(Stone Soup)』というお話をご存知でしょうか?

私が以前に読んだのはマーシャ・ブラウンが書いた本でした。
あの『三びきのやぎの がらがらどん』のマーシャ・ブラウンです。
子供向けの本でした。
英語だったか日本語だったか・・・。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと
「石のスープはポルトガルに伝わる民話。
そしてそのエピソードから、
協力を集めるための呼び水の比喩にも使われる。」
とあります。



お話はこうです。

3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。村人たちはケチなので食べ物を隠す。兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、次々と鍋の中身が充実してくる。最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。


私が図書館で今日借りてきたのは
Troll Associatesというところから
出版されている英語の絵本です。
どちらも同じような内容です。


この話を読み返してみて
以前には気付かなかったことがひつあります。

それは、塾とは「石のスープ」だということです。

「はあ?違うでしょう!」とおっしゃる方も
多いと思います。「あん、どこが?」とか。


私がいつも思うのは勉強を教えてはいるんですが
結局、勉強をするのは生徒自身なので
我々は兵士のように「もうちょっと関係代名詞を勉強したらなあ・・・」
と言ってるだけなんですよね。
「おしいな、もうちょっと古文ができたらなあ・・・」とかです。

その教えている勉強というものも
自分で発見し考えたことでもないのに
偉そうに「速さ×時間は道のりだろっ!!!!!」
って言う部分が多い仕事です。

全く、こちらは石と鍋だけ用意して
残りはみな生徒のがんばりです。
「なんてことだ!
 成績がこんなに上がるなんて!」
「先生、おかげさまで
 数学の点数だいぶん上がりました」
志望校に合格すればもう大騒ぎ・・・。


お母さん、
すべてお宅の息子さん・娘さんが
努力された結果なんですよ!




一夜を柔らかなベッドで過ごした兵士たちは、
次の朝、村人たち全員に見送られ
村を後にすることになります。

「村のみなさん、ありがとう!」

「こちらこそありがとうございます。
 あなた方はとても大切なことを教えてくださいました!」

兵士たちが手を振っています。
村人たちも手を振っています。

「まったく、石からおいしいスープが出来るなんて、
 今まで聞いたことがあるか?」
と村人たちは互いにささやきあいます。



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2005年07月28日

使えるようになったんですか?

テンポスの社長、森下篤史氏の話の中で

非常に印象に残っている言葉に

「使えるようになったんですか?」

と言うものがあります。



「わかった」「なるほどなー」と言うレベルでは

使い物にならないと力説されていました。

これは勉強も同じで

「やり方はわかってる」や「知ってる」だけでは

実際、問題を解けないことが多いです。

高学年になるほどその傾向は

強くなるのは皆さんもご存知のとおりです。


彼がまた言うのは、講演で

300人の前でいろいろノウハウや

考え方を話しても自分の会社へ帰って

実際に実行する人は1人か2人だそうです。

「日本人はやりゃーしないんですよ。

 みんな大学出て、頭良くなってるもんだから

 わかった、分析する、こんなのばっかです。」


これは不思議な話です。

頭が良くなったらいろんなことが出来るように

思えるんですが、違うんでしょうかね?


はじめの話に戻るんですが

「わかった」というのと「使えるようになった」

というものの間には大きな隔たりがあるんでしょう。

それを埋めるのは訓練しかない。

斉藤孝先生の言葉で言い直すと

その隔たりは「技化されていない」ということでしょう。

恐ろしい量の練習や訓練を積むと

ある時、質の向上がみられる、というのと

同じではないでしょうか?


話をごっちゃにしてしまってるでしょうか?



ということで私の塾では今中1から中3まで

英語が苦手な生徒は中1の教科書のはじめから

ひたすら「読めるようになったんですか?」

「書けるようになったんですか?」

ということで、自家製プリントで

英文を書きまくり、覚えまくってます。



今年の夏はいい夏です!

生徒が一所懸命、勉強しています!(涙)




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2005年07月26日

株式会社テンポスバスターズ

ITバブル全盛の頃
テレビでは若き起業家たちが
カッコイイことを言っていました。
その後のことは皆さんの方が詳しいと思います。

そんな中でひとつだけ奇妙な会社があり
興味を持ちました。

飲食店専門のリサイクル業
「株式会社テンポスバスターズ」です。
閉店した飲食店の厨房用品を引き取り
再製して安価で売るという商売です。
つまりリサイクルショップです。

ITと関係ないのに注目の起業家ということで
テレビに出ていたのを見ました。
確か新聞や雑誌にも載ってました。
若くもないしなんでかな?って思ってました。


それから時代は移り変わり
ITバブルがはじけ
私は塾業界に身を置くようになりました。
どのように生き残っていくかを
毎日考える中で偶然にも
株式会社テンポスバスターズ
代表取締役 森下篤史氏の講演を聞く機会がありました。


講演の中で森下社長がこう言われました。

「お宝発見!」とか「これはいいなー」っていうのはお客さんにとってよいだけで、会社としてはそんなところはあんまり関係なく、力を入れなければならないところは、自社の「生産性を上げる」とか「経費削減」とかで、リサイクル業は単なる「運送業」と同じである。そんなところに値段をつけるんじゃない。どんどんどんどん儲かったら、値下げしよう、儲かったら、値下げしよう。勝手に値下げするんだから、どうせ体質は強くなる。


私は今朝、そのことを考えていてふと思いついたのですが、

「○○高校××名合格!」っていうのは本当は合格した本人や家族にとってよいだけで、先生の教え方が良かったから合格したのか、それとも生徒が優秀だったから、生徒ががんばって勉強したからか、そんなものはわからない。そういったことは市場が成熟してくるにつれ、だんだん消費者もわかってくるはずだ。だったらそんな数字なんかで勝負しようと思わないで、自塾の「教材」を開発するだとか、「経費削減」するだとかに力をいれるべきだ。塾業というのは「喫茶店」と同じで「場所」や「快適な学習空間」を提供しているに過ぎないんじゃないか。


とまあ、極端な事を書いておりますが
基本的な考えは私は森下社長から多く学んでます。


次回も同じ話題です。
どうかお付き合い下さい。





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2005年06月04日

構造化して記憶せよ 『数学に感動する頭をつくる』(2)

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栗田哲也先生の

『数学に感動できる頭をつくる』

の紹介の2回目です。


この本で学んだことは多かったのですが、
「構造化して記憶せよ」という部分は
多分一生忘れることはないでしょう。


栗田先生は高校生の頃、通信添削を受講されていたそうです。
成績上位者は旬報にペンネームが載るそうです。
ひとつ学年が上ですごく数学が出来る文科系志望だった人がいたそうです。
理系志望の秀才をさしおいて、その人が一位になったりしたそうなんですが、
その人のペンネームがなんと「数学は暗記だよ」というものでした。

(うん?どこやらで聞いたことのある言葉ですね)


栗田先生は数学オリンピックで金賞・銀賞をとるような生徒をそだてておられる先生なのですが、彼らが言うらしいんですよ。
「数学オリンピックの数学なんて、所詮は、発想力でもなく、思考力でもなくただの知識ではないですか」って。
驚きますよね。


これらのことからたいていの人は、

なーんだ、大学受験程度の数学はパターンの暗記で十分なのか

って短絡してしまうというのです。


けれど数学がむちゃくちゃできる人が言う
「知識」とか「パターン」とか「暗記」とかって
一般の人がいうのとは別世界の言葉であるらしいのです。


それで「構造化して記憶せよ」ということになるんです。
ここで左上の図を見ていただけますでしょうか。(図をクリック)


上側の図は単なる知識の集まりで、丸暗記というやつです。
これは受験が終わればすぐに忘れてしまう種類の記憶の構造です。
それぞれにつながりがない。


それに対して
「下側のほうの人の頭の中には、まず矢印で示したように、ある事項は別の事項よりも上位概念であるとか、ある事項とある事項は対立概念であるとかいうように、覚えた事柄が、単に並列しているだけでなくて、階層構造をなしていたり、対立概念としての構造をなしていたりしています。
 この二つの頭の働きには、雲泥の差があります。」

ということです。

「覚えるという作業は、いままで自分が学習してきた事項と関連付け、構造化して覚えていかないと、すぐに忘れるし、使い物にもならない」

ほんとにそうです。


自分の得意な分野で考えると納得します。
私の場合は
英語で考えるとはっきりします。



同じことを意味する言葉でも
それがどこに属する言葉か理解していないと
使えませんよね。

「家へ帰る」」という時の「家」というのは
「go home」の「home」ですよね。

「家を建てる」時の「家」というのは
「build the house] の 「house」ですよね。

どちらも日本語では「家」なんですが、
「home」は「家庭」とか「家族」という意味を含んでいます。

観念的な「家」ですよね。私は「family」とか
「living room」とか、「have dinner」とかと結びつきます。

「house」の方はそれに対して、物質的なものを感じます。
「entrance」「a picture on the wall」「open the window」「top of the roof」などと結びつきます。


英語でも単語をいくら山のように覚えたところで、
それらが互いに関連付けられていなければ
話したり書いたりなんてできません。 
ひとつ新しい単語を覚えても
今まで知っている単語や文脈や風景の中で
どのような位置を占めるのかわからないと
使うことが出来ませんよね。


数学は暗記だよ、とか
英語は単語力で決まる、とか言われても
それの意味するところがあいまいで
注意しないと単なる徒労に終わることが
多いと思うんです。

私もそう思いますよ。数学は暗記だし、英語も暗記ですよ。
けどその暗記の意味を丁寧に説明しないのは
危険だと思います。

そんなことも含めて、栗田先生のこの本は
ちょっとすごいですよ。







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ringo_juku at 21:35|この記事のURLComments(10)TrackBack(1)

2005年06月02日

運命にコントロールされないために


今日紹介するキャメル・ヤマモトさんは凄まじい学歴です。

凄まじすぎるので書くのやめときます。

ひとつだけ書くと、アラビア語も出来るってことです。

よく「英語は小さい頃から習わせたほうがよいでしょうか?」

ってお母さんに質問されますが、

焦点を絞るところを間違っている気がするんですよね。

英語、英語ってそれは基本ですよね。

それにそんなに迷うなら今やればいいんですよ。






キャメルさんの

『稼ぐ人・安い人・余る人』です。



それで突然、引用なんですが、「外交官の情報分析」について

彼の上司が語ったところが、私には忘れられないんですよ。


「情報を扱うプロは、第一報が入ってきたときに、即座にその後の展開を見通せねば失格である。重要な情勢の展開にかかわる情報であれば、第一報に続いて世界中の大使館から膨大な量の情報が送られてくるが、プロとしては、情報が集まってから情勢判断ができる、というのでは遅い。第二報以降は、第一報を得たときの見通しを検証していくプロセスに過ぎない。したがって、第一報に接して、その後の展開を洞察できるかがプロとなるための必須条件である」


スタートの段階でゴールまでの道筋を

頭の中に描ける人が常に先手を打つことができ、

膨大な情報にも振り回されることなく

主導権を握ることができる、

とおっしゃってます。



すごいですよね。

これはかなりのことにあてはまりそうじゃないですか。


「何かやるときに、仮説をもっているかいないかが

 自分で運命をコントロールするのか、
 
 運命にコントロールされるのかの境目なのだ」

とまでおっしゃってますね。


もちろんその仮説自体は、どんどん修正されていくものですが。


もっとわかりやすい例は

即興演奏のコツはまずエンディングのフレーズを

どうするか決めてからやるそうです。

「即興で演奏していることと(現実直視)、

 エンディング(結果イメージ)の距離感を

 とらえながら新しいアイデアを演奏する」

というのがいいらしいですね。



小学生が迷路やパズルを解くときに

よくゴールから解いていく子がいます。

それを「ズルしてる」と捉える人もいるし、

「全体を見てるね」と捉える人もいます。

私がやってもらってることは

この仮説をたてて、それに従いすすめるってことです。

迷路とパズルは非常に効果的です。




独立するにしても、新しい事業を始めるにしても

ゴールのイメージなしにはじめるのは危険でしょう。

ゴールとは、終点ではなく、成果のことです。




はじめの話に戻るんですが、

子供に英語をいつから学ばせたらいいかというのは

子供の将来にどんなイメージを持っているかによって

違ってくるはずです。


将来は英語が話せて、海外でも仕事をして

なんていうイメージなら、今すぐ始めるべきです。

周りがいつはじめるからとか

学校のカリキュラムがとか

語学学校のコースが何歳からだとか

どうでもいいことでしょう。


だいたい語学学校とか学校とかって

成果に対して何も保障してくれないし、

あなたのお子さんの事情は

これっぽちも考えてくれないのは

120%明らかなんですよ。


お子さんが今受けている英語教育の

ゴールは何でしょうかね?

簡単なコミュニケーションを取れる程度か

学校でよい成績をとれ、大学に入れる程度の

英語力でいいのなら、いつからはじめられても

どこで始められてもたいした差はないように思います。

大学に入学して3ヵ月後に大半を

忘れてしまうでしょうね。(例外は多々あります)


英語を子供に身につけさせたいって言うのは

将来、世の中で自分ひとりで生きていくための

戦略の一つなんじゃないですか?


そういったことを、語学教室のパンフレットを

見たりして、選んで決めて、送り届けておしまいでしょうかね?



過去と現在を見て「子供には英語を習わせたい」

というのは、正しいようで正しくない。

昔自分はちゃんと勉強しなかったから英語がしゃべれない

今仕事で英語が必要で勉強しているがなかなか身につかない

だから子供には英語を小さいときから身に付けさせたい

っていうのは、未来に対する仮説が欠落している気がしませんか?

誰だって考えることで、それはほんの始まりです。


10年後、20年後、日本は世界はこうなると考えるから

英語は必須で、他にも中国語とアラビア語ぐらいは

読み書きできるようにさせておかねば、っていうのとは

本質的に違うと思うんですよ。



ああ、偉そうなことを書いてしまいました。

気にしないで下さい。

キャメルさんの本について書こうとしたら

ついつい英語教育について書いてしまいました。




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2005年05月23日

「マクドナルド社はハンバーガー屋ではなく不動産業」!?



「金持ち父さん 貧乏父さん」
ロバート・キヨサキ+シャロン・レクター(共著)


私がいまさら紹介するのもおかしい程のベストセラーで申し訳ありません。
けれどこの本や他のキヨサキ氏の著書は、
常に教育について語られており、
子供の教育に携わる者の必読書だと考えています。

誤解を恐れず今日も書きます。


この本は私の教科書のひとつで
学ぶべき点は山ほどありますが
今日はその中のひとつ

「マクドナルドはハンバーガーを売る店だが
経営者のレイ・クロクにとってのビジネスは
ハンバーガーを売ることによる不動産事業だった」

ということについて書きます。
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2005年05月18日

「数学に感動する頭をつくる」

「数学に感動する頭をつくる」 栗田哲也(著)

私の学習に対する考え方を変えた一冊です。

栗田さんは国際数学オリンピックを目指す子供たちを指導されておられる方です。

生徒達がどうしてこんなに算数・数学ができるようになったのか、どうやってそういった能力を身につけたのか、終始考えておられるとのことです。

カッコいいくらい数学ができる子は「工夫する力」「イメージする力」「発想力」が優れていているとのことです。

「すごく難しい懸賞問題のようなものをああでもない、こうでもないと熱中して解きまくっている人にこのような能力が初めて芽生えるというケースが多い。解けそうもない問題を自力で考えるという一見効率の悪そうな学習方法が実は世間で最も頭のいい人を生」んでいると考えておられます。


この本については何回も取り上げたいのですが、


この「一見効率の悪そうな学習方法」というのに
すごく惹かれたんです。


そして「ああでもない、こうでもないと熱中して解きまくる」というのに惹かれたんですよ。


そうだ、これは全く自分が小さいころにいろんなことに熱中してやってきたことじゃないかって思いました。

そしてそれは今でもやっていることです。

一見何の役にも立たないことをああでもない、こうでもない、とやっているうちに、自然と能力が開発される。

塾の経営だって、パソコンやブログだって、ああでもない、こうでもない、で少しずつ上達する。そしていつの間にか能力開発ができている。


本当だ、その通りだ、って思いましたよ。

私はとびっきり優秀な生徒ではありませんでしたが、それでもそういったことをやってきたし、今もやっている。


だけどどうして塾ではまともに勉強を教えてるんだ?ってことを考えたわけなんです。


成績を上げることが目的なのですが、

うわべだけのことでは、試験に合格したらきれいさっぱり忘れてしまうんじゃないのか?

そんな生徒をたくさん見てきたんじゃないのか?

そんな疑問がありました。


そこでたまたまペンシルパズルと出会うわけです。



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