Private_blog

鍼灸には関係の無いお話が中心です。医学の話は大真面目ですがプライベートはそれ程でもありません。信用を失わない程度のエピソードです。

morandi
ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890-1964;イタリア)の絵と出合ったのは1990年の京都国立博物館で行われた四百年忌記念『千利休展』の時だったと記憶している。
『千利休展』はどうしても観たいと思っていたが当時の僕は心身ともに余裕がなく京都までの行程を考えると行こうか行くまいかと迷っていた。迷っていることを当時師事していた書の先生に漏らしたところ「迷っているのは行ける可能性があるからよ。可能性がなければ迷わないわ」と言われてしまった。なるほど言われてみればその通りかも知れない。仕事を休まず他にしわ寄せをしないためには夜中から車をとばして新幹線に乗り継ぎすれば良い。それなら一日京都で遊べるわけだということになって日曜日の夜中から車を走らせて博多始発の新幹線に間に合わせた。

お目当ての『千利休展』は午前中に充分堪能したが午後からの予定は行き当たりばったりにしていたので何か他にこの辺りで良い催しがやっていないか と展覧会案内のポスターがずらりと張ってあるのを見ていたら、ちょうどこの時期に京都国立近代美術館で「ジョルジョ・モランディ展」というのをやっているらしい。モランディという画家は知らなかったが京都国立近代美術館は観るべきものも沢山あるので行って損はしないだろうと思って行った。

モランディ展は日曜日にしては観客は少なく一つひとつをゆっくり観る事ができた。最初会場を一瞥した時は「普通のありふれた静物画家さんだな」と思ってしまったが目が慣れてくると何かが気になりだした。気になりだしたがそれが何なのか最初は解らない。モチーフはどれも瓶や缶、陶器などだ。それが無機的に並べてある。何十年と同じ物を並べて描いている。色調も主に二通り。どれも似たり寄ったりの絵にみえた。
ところが段々目が慣れてくると何かが違う。何だろうと絵に近づいてみた。近づいて解ったが彼の絵はどれひとつとして筆の跡が同じには見えない。専門家ではないので自分の勝手な思い込みかもしれないが全ての絵がそれぞれ違ったテーマが与えられた中で描かれているようにみえる。普通はテーマが変われば見た目も変わるのだがモランディの絵はどれも見た目はあまり変わらない。第一印象は変わらないのに実は全然違ったりする。とても不思議な気分に陥ってしまった。
制作活動をした時期を考えると第2次世界大戦の前後にかかるのにも驚いた。当時の画家はピカソの活動にみられるように画業において何らかの形で戦争に影響されていた。その同じ時代に淡々と粛々と内証的に静物画を探求し続けたのだ。これはある意味驚きだった。
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お茶道具でまず思い浮かぶのはお茶碗だがこれにも色々ある。中には茶人にしか判らないような趣もある。高麗井戸茶碗の「雨漏れ」などはその例だ。「雨漏れ」の名の由来は元々は作りが粗雑で気泡や貫入(釉薬のひび割れ)にお茶が染み込んでできる染みの様子が雨漏れの染みに喩えられた。
福岡市立美術館にある松永コレクションにも雨漏れが所蔵されているがその実物と初めて出会ったときの話。
春の名品展でお目当ての「雨漏れ」をガラス越しにしげしげと覗き込んで「これが雨漏れか・・・いい景色だなあ・・・」と感心していると、このおっさん何をそんなに熱心に観ているのかと興味を持ったらしいSoftBankの野球帽をかぶった小学生が僕の側に来て並んで覗き込んだ。

「坊主・・・どや?良かろう?これが名品の「雨漏れ」やで」と心の中でつぶやいていると、その坊主がひとことつぶやいた・・・

「汚ね!」

ガクッときた。
ガクッときたがそれと同時に「だよなあ・・・普通だったら漂白だよなあ・・・」
amamore

観るものが観ると400年の深みも只のカビた汚い茶碗になってしまう。しかし、それを見識のなさと馬鹿にできないと言う思いも同時にあった。世の中にはこういう事象はしょっちゅうあってどちらが正しいと言い切れないものも多いのだ。

確かに唐津焼や萩焼など土ものを一度でも使ったことのある者だったらその扱いの気難しさを知っているので300年400年と壊れず大事に使われてきたことの重み、使いながら時代を経ないと出てきてはくれぬ景色の変化の妙にこの上ない感動を覚えるのだがそう言うことを考えもしない人にとっては何の価値も見出せない筈だ。だが一度知ってしまうと抜けられない楽しみの一つでもある。

諌早市にある馬事公苑で障害飛越の練習をしていた時の話だ。
障害を飛べるからといって僕は馬術が優れている訳ではない。馬を旨く乗るのに必要なのは「抜群のバランス感覚」か「怖さ知らず」のどちらかひとつ有れば良い。
勿論、僕は後者。僕にもうひとつ有るとしたら馬の気持ちが少し判ること。何れにしても技術はたいしたことはない。




その日は障害のバーを少し上げて跳ぶ練習をしていた。跳ぶのは実際は馬なのだが乗っている人間がその踏み切りのタイミングを馬に伝えなければならない。タイミングだけではない本当は馬は跳びたくないかもしれないところを跳ぶ気にさせなければならない。気迫と集中力だ。馬のリズムと人間のリズム。人間の気迫と馬が人間の意識を理解しようと集中した時。瞬間400kgの巨体がガバッと宙に浮く。一瞬だ。次の瞬間、今度は巨体は前脚から地面に落ちその衝撃で跳ね上げられそうになるのを僕は旨く膝を使って抜く。ああ。。。もう最高。。ウィルお利口!

・・・となる筈だった・・・

僕はバーを跳んだ。でもウィルは跳ばなかった。バーの直前で僕の指示に反して急ブレーキをかけたのだ。彼が悪いのではない僕の技量の無さだ。技量は無いが怖さ知らずだからリズムもタイミングも合っていないのに闇雲に突っ込んでいく僕が悪い。

宙を舞った。青い空が目の前に広がったまま地面に叩きつけられた。本来は手綱を握って放さなければこうまでならないのだがこの時は不幸なことに手綱が切れた。下手をしたら頚椎骨折するところだった。
馬場の砂の上に大の字になって「やっちゃった…」と放心状態でいる僕の顔の上にバー越しにウィルが覗き込んできた。眼と眼が合ったらウィルは「ハッ」とした顔つきをした。「ああ。僕のこと心配してるんだ!」と思っていたら、さっさと厩舎の方に歩き出した。乗り手が馬を降りる時はレッスンの終わりを意味するから彼はそう思ったらしい。

「ウィ~ル!」
「まだ終わってないって~!」

(ちなみに、落馬したらその日の内にもう一回乗りなおさないと次回から怖くなって乗れなくなる人があります。)

フリーシアンホース

15年ほど前ハウステンボス(HTB)に乗馬クラブがあったころの話。

当時はHTBの目玉の一つでフリーシアンホースという種類の馬が十数頭いた。この馬はHTBがオランダから直接輸入した。当時日本ではハウステンボスだけでしか飼われていない珍しい馬だった。足元にはまるでフレアパンツをはいているように毛が密生している。主にパレード用の馬として使われるのだがHTB乗馬クラブでも2頭ほどレッスンに使わせてもらっていた。(本来はフリーシアンホースはHTBの持ち馬で乗馬クラブの馬ではないのだが中に訳アリの馬がいてパレードに出せないので運動不足にならないようにと乗馬クラブで使っていた)

訳アリの馬は「イエルマ」といった。彼はアトピーみたいな体質で春先から秋口までは湿疹ができてかぶれがひどくなる。見かけだけなので乗馬をするのには何の問題もなかったのだが見た目が悪いのでその時期はパレードに使えなかった。
イエルマ

乗馬クラブではどうかというとサラブレッドやアラブと比べると馬体が大きく重いので軽快さがないとあまり人気がなかった。当時僕は乗馬クラブでは一番経験がない方だったのでレッスンを受けたい先輩方と時間が重なった時はこの人気のない「イエルマ」をあてがわれることが多かった。
厳密に言えば僕にとってイエルマが最初の馬ではないが乗馬というものが僕の中で出来上がってしまう前にイエルマと出会った。だから先輩たちが「フリーシアンは重いから(動きが鈍い)」とか言って毛嫌いするほど僕の中に経験がなかった。だからあまり気にもせずイエルマでレッスンを受けていたし他の馬が乗れる時でも先輩がいれば譲って自分はイエルマに乗っていた。

馬は「感情の動物」とか「人を見る」とか言われるが実際自分が馬達と接してみてもその通りだと思う。自宅で犬を飼っていたので犬が相当に利口で感情も豊かであるのはたくさん見てきたが馬も犬に劣らぬくらい利口だ。

乗馬クラブではいつの間にかイエルマは僕の馬みたいになっていたのでインストラクターの古川先生に許しを得て僕が乗る日はHTBが開園する前からスタッフゲートから入れてもらって朝早くから厩務員と一緒にイエルマの世話を朝からさせてもらうようになった。
そのうちイエルマも自分が特別扱いされているのが判ったのだろう僕が厩舎に入って行くと首を縦に振って喜ぶようになった。
僕以外のメンバーからはイエルマは重たくて面白くない馬としかみられてないからどちらかと言えばぞんざいに扱われていた。だから僕との関わりは彼にとっても特別なものになっていったようだ。

忘れられない経験がある。

クラブに入って9ヶ月くらいの頃、クラブでレクレーションを兼ねた小さな競技会があった。
競技会と言ってもメンバーだけのイベントだから初心者の僕でも参加させてもらうことができた。僕はジムカーナに出してもらったのだがこの時競技に使われたのがイエルマだった。
それぞれがイエルマに乗って決まった障害コースを走破するタイムレースだ。同じ馬を使うから馬の疲れを考慮しなければ乗り手の技量によって差が出る。順当にいけば僕は最下位だろう。ただイエルマに一番乗っているのは僕だから少しは戦えるかもしれないと思っていた。

結果は圧倒的なタイムで僕は優勝してしまった。

僕は5番目に騎乗したのだが爆走するイエルマの背中で僕は何もしなくて良かった。ただ、落ちないようにバランスをとっているだけだった。もう5回目のトライアルだからイエルマはコースを覚えていて僕も指示は出しているのだけれどそんな難しい指示は出せないから精々「曲がれ」とか「走れ」とかだけなのにそれ以上の動きをしてくれた。

障害飛越やジムカーナはタイムトライアルだから馬の足さばきひとつでタイムが随分違ってくる。前脚のどちらを先に出すかで曲がりやすい方向が決まってしまうので先のコースを考えながら馬の足さばき(右手前か左手前)を変えなくてはならない。
まだまだ未熟だった僕がタイムトライアルのなかで素早く適切に手前を変える指示を出すのは難しいことなのだがこの時は指示も出していないのにイエルマは軽やかなステップを踏んで次から次にと障害をこなしてしまった。
平行バーを横切る時などサイドステップを軽やかに踏んであっと言う間に通過してしまった。
最後の直線は襲歩にもならんかという勢いでゴールを駆け抜けた。
本で読んだ通り俊敏な馬である証だ。

勝手な想像だが信じていることがある。

イエルマは僕の為に走った。勝ち負けがかかっていることまで判っていたかは疑問だがとにかく自分に乗る人間誰もが今日は何時にもなく自分を急がせているからできるだけ素早く動かなければならないという状況が判っていてその通りにしたのだ。

僕が乗った時だけ。

全力で!

ありがとね イエルマ

(その時はこれからもずっとイエルマに乗れると思っていた・・・)

以前、HTB(ハウステンボス)には乗馬クラブがあって僕はそこに3年ほど通ったのだが残念なことに当時のHTBの都合で十数年前になくなってしまった。それが今年3月(2012)から再開されることになった。
昔のアラビアの人達の言葉を借りれば乗馬は「地上の天国は馬上にあり」だ。経験した者でないと判らない感覚だが一度経験すると一生忘れられない。僕も妻もそのひとり。
乗馬クラブがある頃は週1・2回HTBが一般にオープンする前からスタッフゲートから通してもらって厩務員に混じって馬の世話をしたりレッスンを受けたりして一日を過ごした。馬場に居る一日には時計は要らない。陽の高さを見て「そろそろですね…」とか腹具合を見て「そろそろ…」

行動の節目は成り行き任せ。お日様任せだった。一日がゆっくりゆっくり過ぎていく感じがたまらなく良かった。オランダから馬にくっついて渡来してきたレモンバームの匂いも忘れられない。当然「天国は馬上にあり」だが馬を降りても馬場にはやすらぎがあった。現実社会にそれほど辟へきしていたわけではないが時間の流れの違いが楽しかった。

3月の初め妻と久々にHTBへ散歩に出かけてみて乗馬クラブの再開を知った。

「今からでも直ぐ乗れますよ」と言うスタッフの誘惑には勿論勝てるわけもなく十数年振りに騎乗した。
馬場の様子もスタッフも馬もかわってしまったけれど「馬上の天国」は相変わらずだった。
やっぱり馬は良いなあ。。。

写真は1998年頃のHTBのレッスン風景【馬名;イエルマ(フリーシアンホース)】
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