フリーシアンホース

15年ほど前ハウステンボス(HTB)に乗馬クラブがあったころの話。

当時はHTBの目玉の一つでフリーシアンホースという種類の馬が十数頭いた。この馬はHTBがオランダから直接輸入した。当時日本ではハウステンボスだけでしか飼われていない珍しい馬だった。足元にはまるでフレアパンツをはいているように毛が密生している。主にパレード用の馬として使われるのだがHTB乗馬クラブでも2頭ほどレッスンに使わせてもらっていた。(本来はフリーシアンホースはHTBの持ち馬で乗馬クラブの馬ではないのだが中に訳アリの馬がいてパレードに出せないので運動不足にならないようにと乗馬クラブで使っていた)

訳アリの馬は「イエルマ」といった。彼はアトピーみたいな体質で春先から秋口までは湿疹ができてかぶれがひどくなる。見かけだけなので乗馬をするのには何の問題もなかったのだが見た目が悪いのでその時期はパレードに使えなかった。
イエルマ

乗馬クラブではどうかというとサラブレッドやアラブと比べると馬体が大きく重いので軽快さがないとあまり人気がなかった。当時僕は乗馬クラブでは一番経験がない方だったのでレッスンを受けたい先輩方と時間が重なった時はこの人気のない「イエルマ」をあてがわれることが多かった。
厳密に言えば僕にとってイエルマが最初の馬ではないが乗馬というものが僕の中で出来上がってしまう前にイエルマと出会った。だから先輩たちが「フリーシアンは重いから(動きが鈍い)」とか言って毛嫌いするほど僕の中に経験がなかった。だからあまり気にもせずイエルマでレッスンを受けていたし他の馬が乗れる時でも先輩がいれば譲って自分はイエルマに乗っていた。

馬は「感情の動物」とか「人を見る」とか言われるが実際自分が馬達と接してみてもその通りだと思う。自宅で犬を飼っていたので犬が相当に利口で感情も豊かであるのはたくさん見てきたが馬も犬に劣らぬくらい利口だ。

乗馬クラブではいつの間にかイエルマは僕の馬みたいになっていたのでインストラクターの古川先生に許しを得て僕が乗る日はHTBが開園する前からスタッフゲートから入れてもらって朝早くから厩務員と一緒にイエルマの世話を朝からさせてもらうようになった。
そのうちイエルマも自分が特別扱いされているのが判ったのだろう僕が厩舎に入って行くと首を縦に振って喜ぶようになった。
僕以外のメンバーからはイエルマは重たくて面白くない馬としかみられてないからどちらかと言えばぞんざいに扱われていた。だから僕との関わりは彼にとっても特別なものになっていったようだ。

忘れられない経験がある。

クラブに入って9ヶ月くらいの頃、クラブでレクレーションを兼ねた小さな競技会があった。
競技会と言ってもメンバーだけのイベントだから初心者の僕でも参加させてもらうことができた。僕はジムカーナに出してもらったのだがこの時競技に使われたのがイエルマだった。
それぞれがイエルマに乗って決まった障害コースを走破するタイムレースだ。同じ馬を使うから馬の疲れを考慮しなければ乗り手の技量によって差が出る。順当にいけば僕は最下位だろう。ただイエルマに一番乗っているのは僕だから少しは戦えるかもしれないと思っていた。

結果は圧倒的なタイムで僕は優勝してしまった。

僕は5番目に騎乗したのだが爆走するイエルマの背中で僕は何もしなくて良かった。ただ、落ちないようにバランスをとっているだけだった。もう5回目のトライアルだからイエルマはコースを覚えていて僕も指示は出しているのだけれどそんな難しい指示は出せないから精々「曲がれ」とか「走れ」とかだけなのにそれ以上の動きをしてくれた。

障害飛越やジムカーナはタイムトライアルだから馬の足さばきひとつでタイムが随分違ってくる。前脚のどちらを先に出すかで曲がりやすい方向が決まってしまうので先のコースを考えながら馬の足さばき(右手前か左手前)を変えなくてはならない。
まだまだ未熟だった僕がタイムトライアルのなかで素早く適切に手前を変える指示を出すのは難しいことなのだがこの時は指示も出していないのにイエルマは軽やかなステップを踏んで次から次にと障害をこなしてしまった。
平行バーを横切る時などサイドステップを軽やかに踏んであっと言う間に通過してしまった。
最後の直線は襲歩にもならんかという勢いでゴールを駆け抜けた。
本で読んだ通り俊敏な馬である証だ。

勝手な想像だが信じていることがある。

イエルマは僕の為に走った。勝ち負けがかかっていることまで判っていたかは疑問だがとにかく自分に乗る人間誰もが今日は何時にもなく自分を急がせているからできるだけ素早く動かなければならないという状況が判っていてその通りにしたのだ。

僕が乗った時だけ。

全力で!

ありがとね イエルマ

(その時はこれからもずっとイエルマに乗れると思っていた・・・)