いなブログ

なるようになる、なるようになれ、な日々の徒然 世の中を憂い人を憂う

2013年11月

母、復活。父、つられて元気に

母は普段は食べないリクローおじさんのチーズケーキを食べて復活。

母が元気になると父もしゃきっとした。

恐るべき一蓮托生っぷり。

夫婦ってのは。


あたいはやるべきことをやった、っつう一日。

朝から授業したし、野暮用で走り回ったし。

よく動いたー。


ちょっと、あたい、動けるやん、って思った。

でも、ゆっくり焦らず。


大丈夫。

あたいは大丈夫。

自分に催眠術。

あたいだけは

父母が疲れているので、あたいだけでもしっかりしないと。

あの二人は、自分達のことよりも、あたいを守ろうとしてくれているのだから。

今日で11月が終わる。

今月は、滝が落ちるように時間が過ぎていった。



あたいは、馬鹿なことをやりかかったし。


訳のわからない不安感がずっと覆いかぶさってる。


それでも。


あたいはしっかりせなアカン。


焦らずに、でも淡々とできることをやろう。


それが父母のためにもなるだろうし。



あたいが疲れている場合ではないよね。


しんどいけど、苦しいけど、辛いけど、あたいは動ける範囲で動かないと。


少し特効薬が切れてきてるけど、あたいは頑張らないと。


さ。


今日も何か小さくてもいいから、よいことありますように。


よしっ。

昨日の父母

父は慣れない書類作業に錯乱し、母は何も食べられずに。

無理もない。


昨日は二人を落ち着かせ、なだめることに終始した。


あたいの精神状態は安定に向かいつつあるが、父母は日に日に不安定に。


二人とも、飯食ってんのかなー。

さっき父と久しぶりにゆっくり話をした。

かなり疲れているみたい。
そりゃそうだよ。


父の鮨職人としての人生はもうすぐ途切れる。


仕事だけが取り柄の職人が仕事を奪われる。


父の両親は、父がまだ小学生の頃に離婚した。
父は自分の叔父さん夫婦に育てられた。

戦争中には実母のもとに疎開した。
その折、空襲に会い、父は実母とはぐれた。

実母を捜した父。

実母は井戸に浮いていたそうだ。


父は母と出会い、結婚し、あたいたち三人の子供を持った。

が。

あたいの弟が一歳になったばかりの頃、父は交通事故に遭って、7ヶ月入院し、後遺症もあり、1年以上働けなかった。

3つあった父の店は1つしか残らなかった。

母は父がいない間、その残された店を、子供を背負いながら働いて守った。


父が還暦になる年、阪神大震災が起きた。

父の店がある建物は基礎から傾いてしまった。

父は新たに借金をして、自分の城を守ろうとした。



で。


今。



今、改めて思う。


父は幸福だったのだろうかと。


あたいは父の仕事を継がなかった。つーか、継げなかった。

父ほどの職人になる才能と素質があたいには備わってないから。



いつもあたいは父のことを「おやっさん」と呼ぶ。

周りの職人さんがそうしていたし、あたいも父を手伝っていたから、あたいにとっては師匠やから。


今日、久しぶりに父を「お父さん」と呼んだ。

なぜだかは、あたいにもわからない。


あたいは、小さくなった父を、痩せてしまった母を支えなければ、と思う。

が、思うように動かない体、思いがけないタイミングで来やがる発作が邪魔しやがる。


あたいは自分が情けない。
周りは、自分を責めるな、って、あたいに言ってくれる。

でも。

今、父母を支えきれない自分がいる。


父が「初めて見る書類ばっかりでわからん」と漏らした。


母が「当たり前やん。2回あってたまるかいな、こんなこと」と返してた。


母も必死の思いで父を支えてる。


あとひと踏ん張りやから。

非力な息子が役に立たなくて申し訳なく思う。



いつか、この時期のことを笑って話せる時が来るんやろか。


この記事も、ひょっとしたら消すかも。


あたいは、あたいのできることで父母を支援しようと思う。


長い文ですんませんでした。

父母が

連日の慣れない書類作成で父は少し動揺してる。

母は、そんな父を見て体調を崩してしまった。


あたいがしっかりしなければ、とは思う。

でも父母にしかできない作業もあり。


あたいにできることはやってるんだけど。


気遣かってあげるしかなく、歯痒い。


父母の喪失感を共有してるつもりだったが。


まだまだダメ息子なんかなー。


くそっ。

何をしてあげられるんやろう。
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