いなブログ

なるようになる、なるようになれ、な日々の徒然 世の中を憂い人を憂う

2017年08月

戻らないのよ。

夏期講習という激務を終えたはいいけれど。

そのまま地続き的に2学期に入って、体を休めている暇がなく。

その上に、ライブやら、やらなければならないことは目白押しで。

自分をいたわらなきゃ、と思う反面、行ける所まで走ったろかい、とも思ってしまう。

貧乏性ですなぁ。

望まれているうちが華なのではないかなぁ、とか考えてしまうんだよね。

あの秋の日々があったからなぁ。



北朝鮮、ミサイル発射

これ、本当に危ない事態になってきましたよね。

恐らく、飛距離が大きなミサイルの実験ができるようになって、グアム島辺りを・・・なんて発言してみたら、思いのほかアメリカの反撃が凄そうになったから、日本の近海でお茶を濁しておくか、てなことで発車したのでしょうが。

関東よりも北にいる人たちにはJアラートも発信されたそうで。

でもあれだぁ、ミサイルが飛んできますよ、って言われたってよ、何ができんのよ。(ここのくだりからは大泉洋の口調を想像してください)

北海道の空をだぁ、ミサイルが飛んでだぁ。

着弾なんてことになってねぇ、道民が驚くわけでしょぉ~。

道民だけの問題じゃないんだよぉ~。日本国民全体の問題なんだぁ、これはぁ~、藤村くぅぉ~ん。

(大泉さん、ここで終わり)

日本はきちんと怒りを表現できるのかなぁ。

国連の安保理を動かせるのかなぁ。

防衛大臣が稲田じゃなくてよかったなぁ。

色んな事を考えたさ。

天変地異じゃなくてよ、予測できない国外からの攻撃で命を奪われる事態にもなってしまうという意味で、今日の北朝鮮のミサイル発射は無視できない事件なんだが。

あれこれ考えながら、朝の報道番組を見てました。

うーん、って考えながらトイレから出てきたら、関西テレビは「よーいドン!」やってるんだもの。

平和ボケもここまで極まれり。

今日は中止しようよ。




小学2年生の夏休み

カテゴリーに「創作」とつけてはみたものの。

それほど練って書いたものがないのでねぇ。

今回は、夏休みにちなんで、自分の身に起きた昔の出来事を私小説風に描いてみようかなぁ、なんて思いまして。


 あたいは小学校の頃、酷い喘息を患っていたので、夏休みの間は母の田舎である大分県は耶馬渓町に預けられていることが多かったのですね。大阪の高温多湿の夏は体の弱い小学生にはきついので、せめて夏休みの間ぐらいは綺麗な空気のところで過ごさせてやろう、ってな感じでしょうか。

 7月20日が終業式。例年ならその翌日から大分県に行っていたのですが、あたいが小学2年生の時、何らかの事情で大分への出発の日が8月1日になりました。当時、父方の祖父が体を悪くしていたことも理由の1つかもしれません。

 宿題は全部とっくに終わらせてしまって(嫌なガキでしょ?)、近所の友達と遊んで時間つぶしをしていました。

 あたいの両親は鮨屋をやっていたので親には構ってもらえないし、学校ではいじめの対象になっていました。だから学校に心を許して一緒に遊べる友達がいませんでした。
 父親の鮨屋があった商店街、そこは校区外でしたので、自分をいじめる嫌な奴も来ません。その商店街の近くの公園があたいたちの遊び場でした。

 集まってくる子どもはみんなあたいと似たような境遇で。ケンゴは美容院の息子でしたし、アヤメは食堂の娘、ミホは焼き鳥屋の娘、コウテツは焼肉屋の息子でした。

 あたいはその中でもコウテツと気が合って、好きな怪獣の話やウルトラマンシリーズや仮面ライダーシリーズの本を見せ合ったりしていました。

 コウテツの家に遊びに行くと、食べたことのないような美味しいものを出してくれたり、お客さんには出せない肉のはじっこを炒めたりしたものを食べさせてくれました。

 コウテツの家にはおばあちゃんがいましたが、おばあちゃんの喋る言葉はときどきわかりませんでした。でも、遊びに行くと、満面の笑みを浮かべて、あたいたちに何かを食べさせてくれました。

 あたいが大分に行く前の日にも、コウテツの家に行きました。
「俺、明日から田舎に帰るねん」
あたいが言うと、
「田舎ってどこやねん?」
と、コウテツが聞き返しました。
「大分県の耶馬渓っていうところやねん。川がめっちゃ綺麗でな、虫もいっぱいおっておもろいで」
「いつ帰ってくるん?」
「さぁ、はっきりわからんけど、8月の30日ぐらいやと思う」
 あたいの返事を聞くと、コウテツは急に暗い顔になりました。
「ほんなら、俺、もうお前には会われへんかもしれへん」
 
 コウテツによると、コウテツのお父さんの焼肉屋が忙しくなくなったから、店をやめて親戚のおっちゃんがやっている神戸の焼肉屋でお父さんが働くことになったのだ、と。
 そのおっちゃんのところにはコウテツとお父さんは行くけれども、お母さんと妹は来ないのだ、と。

「明日、何時頃に出発なんや?」
コウテツは取ってつけたような笑顔であたいに訊きました。
「お父さんが仕入れから帰ってからやから10時過ぎぐらいやと思う」
「俺、見送りに行ったるわ。もう会われへんかもしれへんから」
「おおげさやなぁ。住所教えるから手紙を書いてくれたらええやん」
「俺、字ぃ書くん、面倒くさいねん」
「書けや、そういう時ぐらい」
「そやなぁ」

 出発の日。

 コウテツは来ませんでした。

 行ったらアカンって言われたのか、自分で嫌になったのか、面倒くさくなったのか、理由はわかりませんでした。
 あたいも、仕方ないなぁ、ぐらいにしか思いませんでした。

 またどこかで会えると思っていましたから。

 新大阪駅に向かう車の中で、あたいはお父さんに言いました。
「コウテツ、見送りに来るって言うててんけどなぁ」
「そうか・・・。残念やったなぁ」
 お父さんの返事はそれだけでした。

 夏休みのほとんどを大分で過ごし、夏休みが終わる2日前にあたいは大阪へ戻ってきました。

 最後に残してしまった宿題がありました。日記です。
 あたいは台所の片隅に積まれた新聞を読みながら、1日ずつ自分が何をしたかを思い出しては適当な文章を書いていました。

 「〇〇〇区で焼肉店が火事」
 そう書かれた記事を見つけてしまいました。

 あの日の晩、コウテツも、コウテツのお父さんもおばあちゃんも。

 うちのお父さんは知っていたのでしょう。「残念やったなぁ」の意味がようやくわかってしまったのでした。


 そんなことがあった小学2年の夏休みでした。


 夏休み。その頃から好きなものではなくなりました。


 

必要ですか?

自分を大きく見せること。

あたいには合わない考え方で。

凄いかどうかは自分が決めることじゃない。

見苦しいことに気づきなさいね。

「俺が俺がの『我』を捨てて、お蔭お蔭の『下』で暮らせ」

幇間芸のお師匠さんの言葉。

今日はこれだけ。

読書感想文なんですけどね。

今日の朝方、何気なくテレビを見ておりましたら、夏休みの宿題の読書感想文の話題が。

なんでも、ネットのオークションサイトに読書感想文が出品され、それに買い手がついている、とのことで。

ま、買うやつも買うやつですがね、それを狙って書いて出品するのもどうなんだろうねぇ。

で、だ。

あたい、小・中学生に読書感想文を書かせることに基本的には反対なのですよ。

以前にもこのブログで書いたんですけれどもね。

読書感想文ってある種の書評みたいなものなんですよね。

書評って、名のある作家や評論家が書いても的を射ていない場合も多いのですね。

それを、読書習慣も身についていない小・中学生に書かせたって、重荷になるだけですよ。

それに、最近、学校では作文の書き方もきちんと指導されていないらしいのね。

つまり、方法論もわからないのに、課題として出されているのが実情なのですよ。

作家の清水義範氏も「作文のすすめ」という著書の中で、子供に読書感想文を書かせることの愚について書かれておりましたがね。

読書感想文の代わりに、夏休みに経験したことを書かせた方が生き生きとした文章になるのではないかなぁ。

大体が、子供がまだ多かった時代に、「課題図書」として売りたい書物をプッシュした出版会社と教育の現場の癒着から始まったのが読書感想文なのですからね。

あたいは子どもの頃から活字を読むことが苦にならないタイプだったのですけれど、最近は活字を読んでも情景を頭に浮かべることのできる子供も減ってますしねぇ。

改めて考える時期に来ているとは思いますがね。

みんな本読まなくなっているのですものねぇ。

直木賞と芥川賞の境界線だってそのせいであやふやになってしまっているのですしねぇ。

書物を読むことの価値観からきちんと教えた上で、感想を述べさせることは必要でしょうけれど。

今の教育現場では難しいですよねぇ。

ふむ。


記事検索
プロフィール

riptidevo

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ