April 11, 2006
始まりの季節、春。
4月は始まりの季節です。
春を迎えて、心や体が自然に浮き立つようになって、
さあ、新年度の始まりだ!と張り切っている人達がいる一方。
新しい環境の中で緊張や不安をいっぱい抱えて、
まだ戸惑っている人達もいる。
そんな季節です。
長い間緊張した状態から、やっと解放された子供とその家族は、
安堵とともに見えない疲れもどっとでてくる時期でもあります。
知り合いの息子さんは、志望校に合格してホッとしたのもつかの間、
原因不明の難聴になってしまいました。幸い、今はほとんど元どおりに
回復してきたそうですが。
受験生の母友達だった友人は、息子が入試直前に志望校を変更して、
最後までハラハラさせられたそうです。
無事受験が終わったあと、自分でも今まで感じた事がなかったほど、
無性にイライラして、家族にあたってしょうがなかったといいます。
年ごろなので、すわ更年期の症状かと疑ったりもしたそうです。
春を迎えて、心や体が自然に浮き立つようになって、
さあ、新年度の始まりだ!と張り切っている人達がいる一方。
新しい環境の中で緊張や不安をいっぱい抱えて、
まだ戸惑っている人達もいる。
そんな季節です。
長い間緊張した状態から、やっと解放された子供とその家族は、
安堵とともに見えない疲れもどっとでてくる時期でもあります。
知り合いの息子さんは、志望校に合格してホッとしたのもつかの間、
原因不明の難聴になってしまいました。幸い、今はほとんど元どおりに
回復してきたそうですが。
受験生の母友達だった友人は、息子が入試直前に志望校を変更して、
最後までハラハラさせられたそうです。
無事受験が終わったあと、自分でも今まで感じた事がなかったほど、
無性にイライラして、家族にあたってしょうがなかったといいます。
年ごろなので、すわ更年期の症状かと疑ったりもしたそうです。
そういえば私も息子の受験の佳境には、肩こりや頭痛がひどかったり、
時々心臓がどきどきしたりしました。
いよいよ受験一週間前、という時には、急に胃痛と食欲不振に襲われ、
胃薬が手放せませんでした。
それでも私の場合は、一過性のストレス反応というものだったのでしょう。
受験終了後、すみやかにすべての症状が消え去りました。
今は、何を食べても美味しくて困っているくらいです・・・。
色んな試練を乗り越えて、この春を迎えた人達。
その結果が満足のいくものであっても、不本意なものであっても、
新しい第一歩は、踏み出さなくてはいけません。
親の側も色々思いはあろうとも、子供の新しい旅立ちを
暖かく見守ってあげるしかないですね。
この時期は、親子関係をもう一度見直して、
親と子の新たな関係を作っていける、いい機会かもしれません。
色んな葛藤を経た末に読んだからでしょうか。
はっと目を開かされ、その後しみじみと胸にしみ込んでくる、
そんな詩を最近見つけました。
この詩を読むと、子供の後姿を温かい目で見送ってあげる事が、
今自分にできる唯一の事だと思えるのです。
その矢は より高く
あなたの子どもは あなたの子どもではない
子どもたちは 人生の希望 そのものの息子である
彼らはあなたを通じてくるが
あなたから来るのではない
そしてあなたと共にいても あなたに属していない
あなたは子どもたちに愛を与えてもいいが
あなたの考えを与えてはいけない
なぜなら
彼らは自分の考えを持っているからである
あなたは子どもたちの
身体を家の中に入れてもいいが
その魂を入れてはならない
なぜなら 魂はあなたが訪ねることもできなければ
夢の中でさえ 訪ねることのできない
明日の家に住んでいるからである
こどもたちがあるようになろうと
あなたが励んでもいいが
無理に あなたのようになって欲しいと
求めてはいけない
なぜなら 人生は後戻りもしなければ
明日と同じように ためらいもしないからである
あなたは あなたの子どもが生きている矢として
送り出されるための 弓なのである
<レバノンの詩人/カーリル・ギブラン作>
*この記事は「ジャンバラヤ」にTBします。
時々心臓がどきどきしたりしました。
いよいよ受験一週間前、という時には、急に胃痛と食欲不振に襲われ、
胃薬が手放せませんでした。
それでも私の場合は、一過性のストレス反応というものだったのでしょう。
受験終了後、すみやかにすべての症状が消え去りました。
今は、何を食べても美味しくて困っているくらいです・・・。
色んな試練を乗り越えて、この春を迎えた人達。
その結果が満足のいくものであっても、不本意なものであっても、
新しい第一歩は、踏み出さなくてはいけません。
親の側も色々思いはあろうとも、子供の新しい旅立ちを
暖かく見守ってあげるしかないですね。
この時期は、親子関係をもう一度見直して、
親と子の新たな関係を作っていける、いい機会かもしれません。
色んな葛藤を経た末に読んだからでしょうか。
はっと目を開かされ、その後しみじみと胸にしみ込んでくる、
そんな詩を最近見つけました。
この詩を読むと、子供の後姿を温かい目で見送ってあげる事が、
今自分にできる唯一の事だと思えるのです。
その矢は より高く
あなたの子どもは あなたの子どもではない
子どもたちは 人生の希望 そのものの息子である
彼らはあなたを通じてくるが
あなたから来るのではない
そしてあなたと共にいても あなたに属していない
あなたは子どもたちに愛を与えてもいいが
あなたの考えを与えてはいけない
なぜなら
彼らは自分の考えを持っているからである
あなたは子どもたちの
身体を家の中に入れてもいいが
その魂を入れてはならない
なぜなら 魂はあなたが訪ねることもできなければ
夢の中でさえ 訪ねることのできない
明日の家に住んでいるからである
こどもたちがあるようになろうと
あなたが励んでもいいが
無理に あなたのようになって欲しいと
求めてはいけない
なぜなら 人生は後戻りもしなければ
明日と同じように ためらいもしないからである
あなたは あなたの子どもが生きている矢として
送り出されるための 弓なのである
<レバノンの詩人/カーリル・ギブラン作>
*この記事は「ジャンバラヤ」にTBします。